本文へスキップします。

  • 標準
  • 拡大
スポット検索 検索
【全】Google 翻訳
H1

スポット検索

スポット検索リンク

おでかけや観光におすすめの魅力的なスポットをご紹介します。

観光DB:検索
エリア
ジャンル
季節
キーワード
観光DB:一覧
71件~80件(全444件)

谷中七福神 寿老人(長安寺)

谷中七福神 寿老人(長安寺)
谷中
神社・仏閣

延命長寿、諸病平癒、人々の安全と健康を守る神様が祀られている長安寺の歴史は古く、建立は寛文9年(1669)とされていますが、これよりさらに400年も前にさかのぼった板碑(塔婆の一種)が残されています。また、長安寺には明治初期の画家狩野芳崖(かのうほうがい1828-1888)の墓所があります。

詳しく見る

谷中七福神 毘沙門天(天王寺)

谷中七福神 毘沙門天(天王寺)
谷中
神社・仏閣

勇気授福、財産と勇気の神様が祀られている天王寺は鎌倉時代の創建といわれ、都内有数の古寺です。江戸時代には「富くじ」興行があり、目黒の滝泉寺、湯島天神と共に江戸三富と呼ばれて賑わいました。幸田露伴の「五重塔」のモデルとなった天王寺五重塔は昭和32年(1957)に焼失しましたが、その跡地は今も谷中霊園に残っています。

詳しく見る

江戸猿若町市村座跡碑

江戸猿若町市村座跡碑
浅草中央部 浅草北部
史跡・墓碑

市村座の定式幕は、「黒」「萌葱(緑)」「柿色」三色の引幕で、現在国立劇場が同じ定式幕を使用しています。猿若町では天保末期から明治にかけて1丁目に中村座、2丁目に市村座、3丁目に河原崎座(後の守田座)があり、芝居町を形成していました。江戸歌舞伎興隆の場となったこの地に昭和39年(1964)に跡碑が建てられました。

詳しく見る

宮戸座跡碑

宮戸座跡碑
浅草中央部 浅草北部
史跡・墓碑

宮戸座は明治29年(1896)に開場、座名は隅田川の古称「宮戸川」にちなんだといわれます。関東大震災で焼失後、昭和3年(1928)に再建され、昭和12年(1937)に廃座となりました。この舞台で修業し、のち名優になった人は多く、別名「出世小屋」ともいわれています。宮戸座跡之碑は昭和53年(1978)に建てられました。

詳しく見る

浄厳律師・樋口定伊の墓

浄厳律師・樋口定伊の墓
谷中
史跡・墓碑 神社・仏閣

浄厳律師は江戸時代の真言宗を代表する高僧の一人です。5代将軍徳川綱吉の帰依を受け、招請によって霊雲寺(文京区湯島)の祖となりました。上州馬庭念流18代当主剣豪樋口定伊は神田下谷に道場を構え、門弟は1万人を数えたといわれます。水戸藩徳川斉昭に見込まれ剣術の教授し、天留の術を創案しました。お墓は妙極院(みょうごくいん)にあります。

詳しく見る

葛飾北斎墓

葛飾北斎墓
浅草南部
史跡・墓碑 神社・仏閣

江戸時代の浮世絵師で「富岳三十六景」「北斎漫画」などの代表作で知られる葛飾北斎の墓と胸像が誓教寺(せいきょうじ)境内にあります。墓標には「画狂老人卍墓」(「卍」は北斎の雅号の一つ)とあり、辞世の句が刻まれています。毎年4月には「北斎忌」が開かれ、法要が営まれます。

詳しく見る

源空寺

源空寺
上野・御徒町
神社・仏閣

源空寺は、浄土宗の寺で、天正18年(1590)円誉上人が湯島に開山し、明暦3年(1657)の大火で浅草に移転しました。湯島の草庵で多くの信者を集めて、徳川家康も円誉に帰依し江戸城に召して法を聞いていたといわれています。慶長9年(1604)に家康は、寺地と法然上人源空の名にちなんだ源空寺の号を円誉に与えました。

詳しく見る

曹源寺(かっぱ寺)

曹源寺(かっぱ寺)
根岸・入谷・金杉 浅草中央部
神社・仏閣

曹源寺(かっぱ寺)は、江戸時代には大雨のたびに掘割の溢れた水に苦しむ住民のために雨合羽商の喜八は私財を投じて水はけ工事を行い、これを河童が手伝って瞬く間に完成させたといわれています。この噂が広まり「かっぱ寺」とも呼ばれ、特に水に縁のある商売人から信仰されています。

詳しく見る

おもちゃ・工具材料の卸問屋街

おもちゃ・工具材料の卸問屋街
浅草南部
下町の生活

神田川にかかる浅草橋から、春日通り交差点までの江戸通りの両端には数多くの卸問屋が並んでいます。ここは、主に、おもちゃや工具材料などの卸問屋街として、発展を遂げてきました。現在では、ビーズ、装飾品、手芸などのお店も加わって個性豊かな特色のある卸問屋街となっており、多くの店では小売もしてくれます。

詳しく見る

厳有院(家綱)頼額門

厳有院(家綱)頼額門
上野・御徒町 谷中
神社・仏閣

厳有院(家綱)頼額門は、寛永寺にあります。家綱の霊廟の一部は維新後に解体されたり、第二次世界大戦で焼失しましたが、被災を免れたものです。勅額門とは天皇直筆の額を賜った門のことで、昭和32年(1957)の改修時に発見された墨書銘によって、もと家光の上野霊廟の勅額門であったものを転用したものと考えられています。

詳しく見る

71件~80件(全444件)
【参】観光DB:Weeklyランキング

Weeklyランキング

施設等のアクセスランキング

【参】観光DB:イベントのアクセスランキング

イベントのアクセスランキング