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台東区社会教育団体協議会の加盟団体が、日頃の成果を発表する、年に一度の祭典です。
入場は無料です。どうぞお気軽にご来場ください。
●展示の部
10月19日(土)~11月3日(日・祝)午前9時30分~午後4時30分
(初日:午後1時から、最終日:午後4時まで)
生涯学習センター1階アトリウム
●式典・舞台の部
11月3日(日・祝) 午前10時~午後4時30分 生涯学習センター2階ミレニアムホール
●体験の部
茶席:11月3日(日・祝) 午後1時~午後4時 生涯学習センター4階和室
囲碁体験コーナー:11月3日(日・祝) 午前11時~午後4時 生涯学習センター3階301研修室
●加盟団体一覧
台東区華道茶道文化協会
台東書道連盟
台東川柳人連盟
台東区短歌連盟
台東区合唱連盟
台東区美術会
台東区写真連盟
台東区ボーイスカウト・ガールスカウト協議会
台東区能楽連盟
台東区体育協会
台東区ラジオ体操連盟
台東区舞踊協会
台東区囲碁連合会 -
社会教育団体協議会加盟団体が各種催しを実施します。台東区社会教育団体協議会の加盟団体が、日頃の成果を発表する、年に一度の祭典です。
入場は無料です。どうぞお気軽にご来場ください。
●展示の部
10月19日(土)~11月3日(日・祝)午前9時30分~午後4時30分
(初日:午後1時から、最終日:午後4時まで)
生涯学習センター1階アトリウム
●式典・舞台の部
11月3日(日・祝) 午前10時~午後4時30分 生涯学習センター2階ミレニアムホール
●体験の部
茶席:11月3日(日・祝) 午後1時~午後4時 生涯学習センター4階和室
囲碁体験コーナー:11月3日(日・祝) 午前11時~午後4時 生涯学習センター3階301研修室
●加盟団体一覧
台東区華道茶道文化協会
台東書道連盟
台東川柳人連盟
台東区短歌連盟
台東区合唱連盟
台東区美術会
台東区写真連盟
台東区ボーイスカウト・ガールスカウト協議会
台東区能楽連盟
台東区体育協会
台東区ラジオ体操連盟
台東区舞踊協会
台東区囲碁連合会●展示の部 2024年10月19日(土)から11月3日(日・祝)まで ●式典・舞台の部●体験の部 11月3日(日・祝) -
開運招福・商売繁昌、江戸時代から続く年中行事酉の市は、毎年11月の酉の日に、鷲(おおとり)神社と長國寺で開かれる、開運招福・商売繁昌を願う祭りで、江戸時代から続く代表的な年中行事です。
午前0時の一番太鼓と共にはじまります。長国寺では、鷲妙見大菩薩(鷲大明神・おとりさま)を安置する厨子の扉が開かれ、住職が宝剣を振り本堂内を浄め、白装束の僧侶たち(祈祷師)が参詣者全員の開運招福と無病息災を祈祷、熊手商の「イョ!お手を拝借」の音頭で、参詣者全員で開運手締め、酉の市が始まります。
境内は熊手、八ツ頭芋、お多福の面などの縁起物を扱う店舗や露店が立ち並びます。運を開いて福を呼び込む熊手御守は、「かっこめ」「はっこめ」とよばれる神様の御分霊で、開運・商売繁昌のお守りとして主に商売をする人たちが買い求めていましたが、最近では、恋愛成就や家内安全、健康などの願いが叶う熊手もあり、若い人たちも楽しめる市として、さらに賑わいを見せています。 -
開運招福・商売繁昌、江戸時代から続く年中行事酉の市は、毎年11月の酉の日に、鷲(おおとり)神社と長國寺で開かれる、開運招福・商売繁昌を願う祭りで、江戸時代から続く代表的な年中行事です。
午前0時の一番太鼓と共にはじまります。長国寺では、鷲妙見大菩薩(鷲大明神・おとりさま)を安置する厨子の扉が開かれ、住職が宝剣を振り本堂内を浄め、白装束の僧侶たち(祈祷師)が参詣者全員の開運招福と無病息災を祈祷、熊手商の「イョ!お手を拝借」の音頭で、参詣者全員で開運手締め、酉の市が始まります。
境内は熊手、八ツ頭芋、お多福の面などの縁起物を扱う店舗や露店が立ち並びます。運を開いて福を呼び込む熊手御守は、「かっこめ」「はっこめ」とよばれる神様の御分霊で、開運・商売繁昌のお守りとして主に商売をする人たちが買い求めていましたが、最近では、恋愛成就や家内安全、健康などの願いが叶う熊手もあり、若い人たちも楽しめる市として、さらに賑わいを見せています。 -
元旦の午前0時、弁天山で除夜の鐘が鳴り響き新年の幕開けが告げられると、浅草寺に詰めかけた参拝者の大きな歓声とともに初詣が始まります。本堂内陣のご宝前では「新年特別祈祷」が始まり、1月7日まで30分~1時間ごとに閉堂近くまで営まれます。
華やかな正月飾りで彩られた仲見世通りも、初詣ならではの見どころのひとつ。江戸時代から続くおみくじで新年の運勢を占ったり、自分や大切な人のために御守や開運厄除札を授与いただいたり、新たな年の幸せを祈ってお参りをしてみてはいかがでしょうか。
※浅草寺の境内は24時間自由に入退門できますが、本堂やその他の建造物には開閉門時間があります。例年、多くの参詣者が見込まれる元旦~3日には境内の参拝順路が設けられ、入場規制が行われます。山門である雷門を入口として仲見世通りが一方通行となり、途中の路地からの参列はできなくなりますのでご注意ください。加えて、周辺の道路では交通規制が実施され、車両通行禁止となる区間がありますので、併せてこちらも注意が必要です。なお、公式サイトでは、境内のライブカメラ映像を公開しており、事前に混雑状況を確認することができます。 -
初詣の参拝者数は全国トップレベル!元旦の午前0時、弁天山で除夜の鐘が鳴り響き新年の幕開けが告げられると、浅草寺に詰めかけた参拝者の大きな歓声とともに初詣が始まります。本堂内陣のご宝前では「新年特別祈祷」が始まり、1月7日まで30分~1時間ごとに閉堂近くまで営まれます。
華やかな正月飾りで彩られた仲見世通りも、初詣ならではの見どころのひとつ。江戸時代から続くおみくじで新年の運勢を占ったり、自分や大切な人のために御守や開運厄除札を授与いただいたり、新たな年の幸せを祈ってお参りをしてみてはいかがでしょうか。
※浅草寺の境内は24時間自由に入退門できますが、本堂やその他の建造物には開閉門時間があります。例年、多くの参詣者が見込まれる元旦~3日には境内の参拝順路が設けられ、入場規制が行われます。山門である雷門を入口として仲見世通りが一方通行となり、途中の路地からの参列はできなくなりますのでご注意ください。加えて、周辺の道路では交通規制が実施され、車両通行禁止となる区間がありますので、併せてこちらも注意が必要です。なお、公式サイトでは、境内のライブカメラ映像を公開しており、事前に混雑状況を確認することができます。新年大祈禱会:毎年元旦~1月7日 -
掛け声は「千秋万歳(せんしゅうばんぜい)、福は内」豆まきをして悪い鬼を払い、年齢よりひとつ多く豆を食べて無病息災を願う「節分」。この行事を江戸で大々的に行ったのは、浅草寺が最初でした。
節分の一般的な掛け声といえば、「鬼は外、福は内」ですよね。しかし、浅草寺では「千秋万歳(せんしゅうばんぜい)福は内」!これは「観音様の前に鬼はいない」ことに由来します。
節分会では、本堂や本堂東側の舞台で年男たちが豆まきを行います。福豆は授与所でも手に入りますが、年男たちが撒く福豆も大人気。手に入れようと、毎年多くの観光客が訪れる行事です。
豆まきの後は、浅草寺三大寺舞のひとつ「福聚の舞(七福神の舞)」の奉演があり、境内では浅草寺幼稚園園児や芸能人による豆まきも行われるので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。 -
掛け声は「千秋万歳(せんしゅうばんぜい)、福は内」豆まきをして悪い鬼を払い、年齢よりひとつ多く豆を食べて無病息災を願う「節分」。この行事を江戸で大々的に行ったのは、浅草寺が最初でした。
節分の一般的な掛け声といえば、「鬼は外、福は内」ですよね。しかし、浅草寺では「千秋万歳(せんしゅうばんぜい)福は内」!これは「観音様の前に鬼はいない」ことに由来します。
節分会では、本堂や本堂東側の舞台で年男たちが豆まきを行います。福豆は授与所でも手に入りますが、年男たちが撒く福豆も大人気。手に入れようと、毎年多くの観光客が訪れる行事です。
豆まきの後は、浅草寺三大寺舞のひとつ「福聚の舞(七福神の舞)」の奉演があり、境内では浅草寺幼稚園園児や芸能人による豆まきも行われるので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。 -
子どもの無病息災を願い、毎年3月3日の雛祭りに近い日曜日に隅田川で開催される「江戸流しびな」。主催は江戸流し雛振興会。流しびなは、子どもの災いを紙や草木で作った人形(ひとがた)に託し、川や海に流すことで祓い清める行事です。平安時代中期に始まったと伝わり、日本各地で行われています。
当日は、正面に東京スカイツリーを臨む隅田川河畔にて、幼稚園児をはじめ事前公募の一般参加者1,500人がそれぞれの願いを記した「流しびな」を流します。抽選で外れた場合は、当日会場で流しびなを購入して参加することも可能。護岸が高いため、特設の滑り台を使ってひな人形を水面に浮かべます。例年、見物客も含めて3,000人近くのお年寄りから若者まで日本古来の伝統行事を楽しみます。 -
春の訪れを告げる隅田川の風物行事子どもの無病息災を願い、毎年3月3日の雛祭りに近い日曜日に隅田川で開催される「江戸流しびな」。主催は江戸流し雛振興会。流しびなは、子どもの災いを紙や草木で作った人形(ひとがた)に託し、川や海に流すことで祓い清める行事です。平安時代中期に始まったと伝わり、日本各地で行われています。
当日は、正面に東京スカイツリーを臨む隅田川河畔にて、幼稚園児をはじめ事前公募の一般参加者1,500人がそれぞれの願いを記した「流しびな」を流します。抽選で外れた場合は、当日会場で流しびなを購入して参加することも可能。護岸が高いため、特設の滑り台を使ってひな人形を水面に浮かべます。例年、見物客も含めて3,000人近くのお年寄りから若者まで日本古来の伝統行事を楽しみます。2025年(令和7年)2月23日 -
毎年10月18日1945年の東京大空襲で焼失した浅草寺本堂の再建を記念して創られた寺舞。浅草寺の山号「金龍山」にちなんだ金龍の舞は、毎年春と秋の2回奉演されます。
長さ約18mもの金龍が仲見世や境内を練り歩く様子は迫力満点!賑やかなお囃子とともに、勇ましく、力強く、まるで生きているかのように華やかな舞が繰り広げられます。行列の先頭を歩くのは、観音様を象徴する「蓮華珠(れんげしゅ)」。蓮華珠を守護する88kgの金龍を、8人で自在に操る巧みな技術も見どころのひとつです。 -
1945年の東京大空襲で焼失した浅草寺本堂の再建を記念して創られた寺舞。浅草寺の山号「金龍山」にちなんだ金龍の舞は、毎年春と秋の2回奉演されます。
長さ約18mもの金龍が仲見世や境内を練り歩く様子は迫力満点!賑やかなお囃子とともに、勇ましく、力強く、まるで生きているかのように華やかな舞が繰り広げられます。行列の先頭を歩くのは、観音様を象徴する「蓮華珠(れんげしゅ)」。蓮華珠を守護する88kgの金龍を、8人で自在に操る巧みな技術も見どころのひとつです。毎年10月18日 -
2024年09月25日例年9月25日に執り行われる人形供養大法要のことです。子授け、安産などを「子育て観音さま」に祈願した人々が心願成就のお礼に「子供の身代わり」として奉納される人形の供養がはじまりといわれます。奉納された人形や家庭で飾って汚れたり、子供と遊んで壊れた人形を秋の彼岸の終わりに集めて読経のうえ荼毘に付します。
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例年9月25日に執り行われる人形供養大法要のことです。子授け、安産などを「子育て観音さま」に祈願した人々が心願成就のお礼に「子供の身代わり」として奉納される人形の供養がはじまりといわれます。奉納された人形や家庭で飾って汚れたり、子供と遊んで壊れた人形を秋の彼岸の終わりに集めて読経のうえ荼毘に付します。2024年09月25日
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戦後、海外からさまざまな音楽が日本に紹介されるなか、ジャズやロカビリー、マンボやルンバ、そして痛快なリズムと振り付けのない特徴でサンバも多くの人に親しまれました。1970年代後半、劇場や娯楽施設が立ち並ぶ日本一の劇場街として賑わっていた「浅草六区」もテレビの普及からかげりが見えはじめ、喜劇俳優の伴淳三郎氏からサンバを提案されたことが「浅草サンバカーニバル」の始まりと言われています。
「常に浅草に新しい文化を」という“浅草っ子気質”から、1981年にスタートし、開催当初は本格的なサンバチームは少なく、仮装コンテスト的様相の強いイベントでしたが、年々、楽器を揃え、衣装を工夫し「サンバ」を追求するチームが増え、リオデジャネイロのカーニバルをお手本とする出場チームの努力などもあり、非常にレベルが高い、北半球最大級のサンバカーニバルに成長しました。
一日限りの開催でありながら、近年では約50万人の人出があり、馬道通り~雷門通りを会場に、参加するサンバチームは規模などに応じてグループ分けがなされ、表現力や衣装、演奏、ダンスなどの観点から採点方式で優勝を競い合うコンテストとなっています。 -
北半球最大級のサンバカーニバル戦後、海外からさまざまな音楽が日本に紹介されるなか、ジャズやロカビリー、マンボやルンバ、そして痛快なリズムと振り付けのない特徴でサンバも多くの人に親しまれました。1970年代後半、劇場や娯楽施設が立ち並ぶ日本一の劇場街として賑わっていた「浅草六区」もテレビの普及からかげりが見えはじめ、喜劇俳優の伴淳三郎氏からサンバを提案されたことが「浅草サンバカーニバル」の始まりと言われています。
「常に浅草に新しい文化を」という“浅草っ子気質”から、1981年にスタートし、開催当初は本格的なサンバチームは少なく、仮装コンテスト的様相の強いイベントでしたが、年々、楽器を揃え、衣装を工夫し「サンバ」を追求するチームが増え、リオデジャネイロのカーニバルをお手本とする出場チームの努力などもあり、非常にレベルが高い、北半球最大級のサンバカーニバルに成長しました。
一日限りの開催でありながら、近年では約50万人の人出があり、馬道通り~雷門通りを会場に、参加するサンバチームは規模などに応じてグループ分けがなされ、表現力や衣装、演奏、ダンスなどの観点から採点方式で優勝を競い合うコンテストとなっています。2024年9月15日(日) -
関東大震災や東京大空襲などで隅田川で亡くなった多くの方々の霊を弔うために始まった「隅田川とうろう流し」。一時期は中止されていましたが、隅田川沿岸の親水テラスなどが整備されたのにあわせて復活。現在では、台東区と墨田区の両岸で開催され、年齢・国籍を問わず多くの参加者が集います。最近は、追悼だけではなく、七夕のように願い事を書いて成就を祈るという新たな側面も。
言問橋と吾妻橋の間の川面をゆらゆら流れ、隅田川を彩る幻想的なろうそくの光。その風景は、日本の夏の風情そのもの。とうろうは当日購入も可能ですが、数に限りがあり大変な混雑になりますので、事前購入がおすすめです。自宅でじっくりとうろうを組み立ててから当日持参するのがスマートかもしれません。
また、隅⽥川とうろう流しの開催に合わせて、屋形船やクルーズ船が運航されます。隅田川に浮かぶ船の上から特設スロープを使って、とうろうを流してみませんか。 -
ゆらゆら灯る幻想的な浅草の夏の夜祭り関東大震災や東京大空襲などで隅田川で亡くなった多くの方々の霊を弔うために始まった「隅田川とうろう流し」。一時期は中止されていましたが、隅田川沿岸の親水テラスなどが整備されたのにあわせて復活。現在では、台東区と墨田区の両岸で開催され、年齢・国籍を問わず多くの参加者が集います。最近は、追悼だけではなく、七夕のように願い事を書いて成就を祈るという新たな側面も。
言問橋と吾妻橋の間の川面をゆらゆら流れ、隅田川を彩る幻想的なろうそくの光。その風景は、日本の夏の風情そのもの。とうろうは当日購入も可能ですが、数に限りがあり大変な混雑になりますので、事前購入がおすすめです。自宅でじっくりとうろうを組み立ててから当日持参するのがスマートかもしれません。
また、隅⽥川とうろう流しの開催に合わせて、屋形船やクルーズ船が運航されます。隅田川に浮かぶ船の上から特設スロープを使って、とうろうを流してみませんか。毎年8月中旬(2024年8月10日) -
夜の暗闇の中でかがり火をたいた幻想的な雰囲気につつまれ、浅草寺の本堂と五重塔を背景に屋外に設けられた能舞台で上演される「台東薪能」。
そもそも薪能は、奈良時代に中国から伝わった曲芸や奇術などの芸能、散楽に由来し、そこに日本古来の神楽舞や、五穀豊穣を祈る田楽などが融合して生まれたといわれています。 平安時代に入り次第に短い劇のような形の猿楽となり、室町幕府の将軍、足利義満の保護を受けた観阿弥・世阿弥親子によって現在の芸術性が確立されました。江戸時代には幕府の公式の芸能となりましたが、明治維新以降いったん下火に。第二次世界大戦後、奈良の興福寺の薪御能が復興し、その後全国に広がりました。
台東薪能では、木遣りで火が運ばれる“火入れ式”が他の薪能にはない特色で大きな見どころです。野外の静けさ、風にそよぐ葉、薪がパチパチと燃える音。かがり火で照らされた幽玄な雰囲気のなか演じられる薪能は、神秘的で非日常的な世界へ見る者たちを連れて行ってくれます。 -
下町・浅草の夜に浮かぶ幽玄な世界夜の暗闇の中でかがり火をたいた幻想的な雰囲気につつまれ、浅草寺の本堂と五重塔を背景に屋外に設けられた能舞台で上演される「台東薪能」。
そもそも薪能は、奈良時代に中国から伝わった曲芸や奇術などの芸能、散楽に由来し、そこに日本古来の神楽舞や、五穀豊穣を祈る田楽などが融合して生まれたといわれています。 平安時代に入り次第に短い劇のような形の猿楽となり、室町幕府の将軍、足利義満の保護を受けた観阿弥・世阿弥親子によって現在の芸術性が確立されました。江戸時代には幕府の公式の芸能となりましたが、明治維新以降いったん下火に。第二次世界大戦後、奈良の興福寺の薪御能が復興し、その後全国に広がりました。
台東薪能では、木遣りで火が運ばれる“火入れ式”が他の薪能にはない特色で大きな見どころです。野外の静けさ、風にそよぐ葉、薪がパチパチと燃える音。かがり火で照らされた幽玄な雰囲気のなか演じられる薪能は、神秘的で非日常的な世界へ見る者たちを連れて行ってくれます。毎年7月下旬~8月上旬 (令和6年は7月31日(水)) -
1732年に発生した大飢饉と疫病の流行で犠牲となった人々の慰霊と悪疫退散を祈り、徳川幕府8代将軍吉宗公が水神祭を催しました。「隅田川花火大会」は、翌年の川開きの日に催された水神祭で、両国橋周辺で花火が上げられたことに由来し、歴史の記録に残る花火大会として、日本最古と言われています。
当時は「両国の川開き」の名称で開催され、1961年を最後に、周辺の交通事情の悪化等により中止となりました。その後、1978年に「隅田川花火大会」と名を改め隅田川で復活し、打ち上げ場所もさらに上流へと移動して2か所から打ち上げられるようになりました。現在では毎年100万人近くの人出があり、令和5年(第46回)大会では過去最多103万人の観客者数を記録しました。
毎年7月最終土曜日に、桜橋から言問橋の間に設けられた第一会場、駒形橋から厩橋の間に設けられた第二会場で、合わせて約2万発の花火が打ち上げられ、第一会場では花火コンクールも開催されます。 -
国内最大級20000発が打ち上げられる日本最古の花火大会1732年に発生した大飢饉と疫病の流行で犠牲となった人々の慰霊と悪疫退散を祈り、徳川幕府8代将軍吉宗公が水神祭を催しました。「隅田川花火大会」は、翌年の川開きの日に催された水神祭で、両国橋周辺で花火が上げられたことに由来し、歴史の記録に残る花火大会として、日本最古と言われています。
当時は「両国の川開き」の名称で開催され、1961年を最後に、周辺の交通事情の悪化等により中止となりました。その後、1978年に「隅田川花火大会」と名を改め隅田川で復活し、打ち上げ場所もさらに上流へと移動して2か所から打ち上げられるようになりました。現在では毎年100万人近くの人出があり、令和5年(第46回)大会では過去最多103万人の観客者数を記録しました。
毎年7月最終土曜日に、桜橋から言問橋の間に設けられた第一会場、駒形橋から厩橋の間に設けられた第二会場で、合わせて約2万発の花火が打ち上げられ、第一会場では花火コンクールも開催されます。毎年7月最終土曜日 -
毎年7月9日、10日毎年7月9日・10日に行われる「ほおずき市」は、浅草寺の風物詩。約100軒もの露店が立ち並び、夜遅くまで賑わう様子はまさに江戸情緒を感じる景色です。境内は鮮やかなほおずきで彩られ、チリンチリンと鳴る風鈴が涼を添えます。
浅草寺では、「参拝すると数百~数千日分の功徳が得られる」とされる功徳日が月に1度設けられていますが、特に7月10日は46,000日分の功徳がある特別な日。「四万六千日」と呼ばれる7月10日とその前日が、参拝者で賑わう縁日として定着したそうです。
ほおずき市でしか手に入らない祈祷札「黄札」や「雷除札」もお見逃しなく! -
毎年7月9日・10日に行われる「ほおずき市」は、浅草寺の風物詩。約100軒もの露店が立ち並び、夜遅くまで賑わう様子はまさに江戸情緒を感じる景色です。境内は鮮やかなほおずきで彩られ、チリンチリンと鳴る風鈴が涼を添えます。
浅草寺では、「参拝すると数百~数千日分の功徳が得られる」とされる功徳日が月に1度設けられていますが、特に7月10日は46,000日分の功徳がある特別な日。「四万六千日」と呼ばれる7月10日とその前日が、参拝者で賑わう縁日として定着したそうです。
ほおずき市でしか手に入らない祈祷札「黄札」や「雷除札」もお見逃しなく!毎年7月9日、10日 -
浅草六区の西から「かっぱ橋道具街通り」を横切り、上野まで約1.2km続く「かっぱ橋本通り」を会場に、毎年七夕の日に近い週末をメインに地元商店街のお祭り「下町七夕まつり」が開催されます。
浅草寺に詣でる御成道として西に真っすぐ整備されたと言われている通りは七夕飾りで彩られ、正面に見える東京スカイツリーとの競演を写真に収める人も。
上野から浅草へ大人数が練り歩くパレードに始まり、流し踊りや路上パフォーマンス、商店街各所には地元商店による模擬店や、誰でも自由に短冊に願いごとを書いて飾ることができる笹竹も設置され、多くの人で賑わいます。
夜は商店街の雰囲気が一変、ライトアップされた東京スカイツリーを背景に、ライトに照らされきらきら輝く七夕飾りの幻想的な光景が広がります。 -
七夕飾りと東京スカイツリーの競演浅草六区の西から「かっぱ橋道具街通り」を横切り、上野まで約1.2km続く「かっぱ橋本通り」を会場に、毎年七夕の日に近い週末をメインに地元商店街のお祭り「下町七夕まつり」が開催されます。
浅草寺に詣でる御成道として西に真っすぐ整備されたと言われている通りは七夕飾りで彩られ、正面に見える東京スカイツリーとの競演を写真に収める人も。
上野から浅草へ大人数が練り歩くパレードに始まり、流し踊りや路上パフォーマンス、商店街各所には地元商店による模擬店や、誰でも自由に短冊に願いごとを書いて飾ることができる笹竹も設置され、多くの人で賑わいます。
夜は商店街の雰囲気が一変、ライトアップされた東京スカイツリーを背景に、ライトに照らされきらきら輝く七夕飾りの幻想的な光景が広がります。2024年7月4日(木)~8日(月) -
学問や芸能、仕事運などにご利益があるといわれる入谷にある小野照崎神社。平安時代の歌人で百人一首にも登場する小野篁(おののたかむら)を祭神としています。境内に鎮座する浅間神社には、国の重要有形民俗文化財に指定され、1782年(天明2年) に築山された幅15m、高さ6mにおよぶ富士塚「下谷坂本富士」があります。全体が富士山の溶岩石で覆われ、霊峰・富士の分身ともいえるその富士塚は、今も昔ながらの荘厳な姿のまま。富士信仰に伴い、老若男女だれでも心安く富士に登山できるようにと築かれました。
その「下谷坂本富士」が、富士山の開山に合わせて、年に2日だけ開放され、誰でも気軽に登ることが可能です。この“お山開き”は、夏越の大祓、そして、上半期の納めと新たな半期の息災を祈る祭礼です。富士の歴史や文化に触れながら、子どもは夢中になって何度も登り、大人は精神的な体験を求めて登拝を行います。年に2日しか登ることのできないこの“お山開き”を、ぜひ体験してみませんか。
また、お山開き特別授与品の授与もありますので、2日間限定の特別御朱印なども要チェックです。 -
入谷で富士登山。小野照崎神社の富士塚で登拝しよう学問や芸能、仕事運などにご利益があるといわれる入谷にある小野照崎神社。平安時代の歌人で百人一首にも登場する小野篁(おののたかむら)を祭神としています。境内に鎮座する浅間神社には、国の重要有形民俗文化財に指定され、1782年(天明2年) に築山された幅15m、高さ6mにおよぶ富士塚「下谷坂本富士」があります。全体が富士山の溶岩石で覆われ、霊峰・富士の分身ともいえるその富士塚は、今も昔ながらの荘厳な姿のまま。富士信仰に伴い、老若男女だれでも心安く富士に登山できるようにと築かれました。
その「下谷坂本富士」が、富士山の開山に合わせて、年に2日だけ開放され、誰でも気軽に登ることが可能です。この“お山開き”は、夏越の大祓、そして、上半期の納めと新たな半期の息災を祈る祭礼です。富士の歴史や文化に触れながら、子どもは夢中になって何度も登り、大人は精神的な体験を求めて登拝を行います。年に2日しか登ることのできないこの“お山開き”を、ぜひ体験してみませんか。
また、お山開き特別授与品の授与もありますので、2日間限定の特別御朱印なども要チェックです。毎年6月30日、7月1日 -
毎年6月30日鳥越神社の茅の輪くぐりは、鳥越神社で行われる催しで、平安朝時代から伝わる日本の伝統行事です。人形の形の半紙に名前と歳を書いて、知らず知らずについた罪汚れをその形代に託し、神社へ納めます。その後、神社の参道のガマの穂でできた境内にかかる茅の輪をくぐると、災厄からのがれることができ、福徳があるといわれています。
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鳥越神社の茅の輪くぐりは、鳥越神社で行われる催しで、平安朝時代から伝わる日本の伝統行事です。人形の形の半紙に名前と歳を書いて、知らず知らずについた罪汚れをその形代に託し、神社へ納めます。その後、神社の参道のガマの穂でできた境内にかかる茅の輪をくぐると、災厄からのがれることができ、福徳があるといわれています。毎年6月30日
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毎年6月30日小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)で6月30日に行われる伝統的な催しです。茅(チガヤ)を束ねてつくった大きな輪をくぐって身を祓い清めます。6月晦日の夏越の祓いにそれをくぐると、災厄からのがれることができ、福徳があるといわれています。その際、輪から抜き取った茅は厄よけになるといわれています。
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小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)で6月30日に行われる伝統的な催しです。茅(チガヤ)を束ねてつくった大きな輪をくぐって身を祓い清めます。6月晦日の夏越の祓いにそれをくぐると、災厄からのがれることができ、福徳があるといわれています。その際、輪から抜き取った茅は厄よけになるといわれています。毎年6月30日
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蔵前橋通りに面し、約1400年の歴史を誇る鳥越神社で毎年6月に開催される「鳥越祭」。祭りの最終日には、早朝6:30から、都内最大級を誇る一千貫神輿(約4トン)が、それぞれの町会へ受け渡されながら一日かけて氏子町会を巡り、多くの観客でにぎわいます。
狭い下町の路地裏にも入ることから担ぎ棒が短く担ぎ手1人当たりの負担も大きいため、渡御が難しい神輿としても知られ、その活気と迫力に圧倒されます。
神輿の列の先頭には、猿田彦(天狗)や手古舞連、子供たちの持つ五色の旗が歩き、日没からは「鳥越の夜祭り」といわれ、神輿の弓張提灯と町会の高張提灯に灯りが入り、荘厳かつ幻想的な姿で21:00に宮入りし、祭りは最高潮に。
神社周辺には、都内最大規模の約250軒の屋台がずらりと並び、グルメ系はもちろん、子どもたちが喜ぶ遊べる屋台が多く出ているのも特徴です。
神社では、特別御朱印の限定頒布も行われています。 -
都内最大級を誇る一千貫神輿の活気と迫力蔵前橋通りに面し、約1400年の歴史を誇る鳥越神社で毎年6月に開催される「鳥越祭」。祭りの最終日には、早朝6:30から、都内最大級を誇る一千貫神輿(約4トン)が、それぞれの町会へ受け渡されながら一日かけて氏子町会を巡り、多くの観客でにぎわいます。
狭い下町の路地裏にも入ることから担ぎ棒が短く担ぎ手1人当たりの負担も大きいため、渡御が難しい神輿としても知られ、その活気と迫力に圧倒されます。
神輿の列の先頭には、猿田彦(天狗)や手古舞連、子供たちの持つ五色の旗が歩き、日没からは「鳥越の夜祭り」といわれ、神輿の弓張提灯と町会の高張提灯に灯りが入り、荘厳かつ幻想的な姿で21:00に宮入りし、祭りは最高潮に。
神社周辺には、都内最大規模の約250軒の屋台がずらりと並び、グルメ系はもちろん、子どもたちが喜ぶ遊べる屋台が多く出ているのも特徴です。
神社では、特別御朱印の限定頒布も行われています。2024年6月7日(金)~9日(日) -
上野公園番地に鎮座し、江戸三大天神のひとつに数えられる五條天神社は、医薬祖神を祀る神社です。日本武尊(やまとたけるのみこと)がご加護を受けたことに感謝し、創建されたと伝えられています。また、相殿には、学問の神様である菅原道真公が祀られています。
五條天神社大祭は、毎年5月25日に行われ、3年に一度の神幸祭では、千貫神輿といわれる大神輿と鳳輦(ほうれん)行列が町内を廻ります。大太鼓の前触れに続き、猿田彦、巫女、供奉員ら鳳輦行列が粛々と進み、その後に大神輿が続きます。担ぎ手や見物客からの威勢のいいかけ声と熱気や活気が辺りに広がります。上野公園から上野広小路一帯を大行列となって巡幸する光景は、圧巻です。神賑行事は毎年行われ、町神輿の巡行や里神楽奉納、巫女舞・奉納弓道大会・奉納太鼓が行われ、多くの観光客でにぎわいます。 -
若葉が茂る上野公園界隈を練り歩く大神輿は厳かで見応えあり上野公園番地に鎮座し、江戸三大天神のひとつに数えられる五條天神社は、医薬祖神を祀る神社です。日本武尊(やまとたけるのみこと)がご加護を受けたことに感謝し、創建されたと伝えられています。また、相殿には、学問の神様である菅原道真公が祀られています。
五條天神社大祭は、毎年5月25日に行われ、3年に一度の神幸祭では、千貫神輿といわれる大神輿と鳳輦(ほうれん)行列が町内を廻ります。大太鼓の前触れに続き、猿田彦、巫女、供奉員ら鳳輦行列が粛々と進み、その後に大神輿が続きます。担ぎ手や見物客からの威勢のいいかけ声と熱気や活気が辺りに広がります。上野公園から上野広小路一帯を大行列となって巡幸する光景は、圧巻です。神賑行事は毎年行われ、町神輿の巡行や里神楽奉納、巫女舞・奉納弓道大会・奉納太鼓が行われ、多くの観光客でにぎわいます。毎年5月25日(大祭式) -
浅草寺の草創に関わった檜前兄弟と土師真中知(はじのなかとも)の3人を祀る浅草神社で行われる「三社祭」は、1312年に神輿を船に載せて隅田川を渡御した「船祭」を起源とする、日本を代表する祭礼の一つです。
以前は、浅草寺のご本尊が示現された3月18日を中心とした祭でしたが、現在は毎年5月中旬の金・土・日曜日に実施され、本社神輿御霊入れの儀や、無形文化財「びんざさら舞」の奉納が行われます。
この祭りの中でも、最終日に行われる、勇壮且つ華やかな神輿渡御や御本社神輿3基の「宮出し」は圧巻の迫力。東部・西部・南部方面の氏子各町へ向けて、御本社神輿が担ぎ出され、日没後に神社境内へ戻る「宮入り」を迎えて祭礼行事が終わります。観衆の熱気に浅草一帯は包まれ、三日間で延べ180万もの人出で賑わいます。
江戸風情の残る下町浅草が1年でもっとも活気付くと言われ、台東区の初夏を代表する風物詩となっています。 -
下町浅草が1年でもっとも活気付く、日本を代表する祭礼浅草寺の草創に関わった檜前兄弟と土師真中知(はじのなかとも)の3人を祀る浅草神社で行われる「三社祭」は、1312年に神輿を船に載せて隅田川を渡御した「船祭」を起源とする、日本を代表する祭礼の一つです。
以前は、浅草寺のご本尊が示現された3月18日を中心とした祭でしたが、現在は毎年5月中旬の金・土・日曜日に実施され、本社神輿御霊入れの儀や、無形文化財「びんざさら舞」の奉納が行われます。
この祭りの中でも、最終日に行われる、勇壮且つ華やかな神輿渡御や御本社神輿3基の「宮出し」は圧巻の迫力。東部・西部・南部方面の氏子各町へ向けて、御本社神輿が担ぎ出され、日没後に神社境内へ戻る「宮入り」を迎えて祭礼行事が終わります。観衆の熱気に浅草一帯は包まれ、三日間で延べ180万もの人出で賑わいます。
江戸風情の残る下町浅草が1年でもっとも活気付くと言われ、台東区の初夏を代表する風物詩となっています。2024年5月17日(金)~19日(日) -
上野駅の東側、浅草通りに突如として現れる大きな赤い鳥居。それは、奈良時代に創建され、都内最古の稲荷神社といわれる下谷神社です。なんでも商売繁盛と家内安全の御利益がある神様だとか。
こちらで5月に開催される下谷神社大祭は、下町で1番早い夏祭りとされており、1,000年以上の歴史を誇ります。本社神輿の渡御が行われる「本祭り」と町会神輿の渡御が行われる「陰祭り」が隔年おきに行われ、威勢のいい担ぎ手のかけ声と担ぎ手を鼓舞する見物客の手拍子が辺りに響き渡ります。本祭りでは、鳳凰が屋根に載った「千貫神輿(せんがんみこし)」と呼ばれる高さ3m超の大神輿が、担ぎ手の群衆のボルテージをさらに高め、会場は熱気と興奮に包まれます。
また、下谷神社の周辺には、グルメや遊びを楽しめる露店が多く立ち並ぶため、小腹を満たしたり遊びながら祭りを満喫できるのも嬉しいポイントです。 -
東京の夏祭りの先陣を切る上野駅の東側、浅草通りに突如として現れる大きな赤い鳥居。それは、奈良時代に創建され、都内最古の稲荷神社といわれる下谷神社です。なんでも商売繁盛と家内安全の御利益がある神様だとか。
こちらで5月に開催される下谷神社大祭は、下町で1番早い夏祭りとされており、1,000年以上の歴史を誇ります。本社神輿の渡御が行われる「本祭り」と町会神輿の渡御が行われる「陰祭り」が隔年おきに行われ、威勢のいい担ぎ手のかけ声と担ぎ手を鼓舞する見物客の手拍子が辺りに響き渡ります。本祭りでは、鳳凰が屋根に載った「千貫神輿(せんがんみこし)」と呼ばれる高さ3m超の大神輿が、担ぎ手の群衆のボルテージをさらに高め、会場は熱気と興奮に包まれます。
また、下谷神社の周辺には、グルメや遊びを楽しめる露店が多く立ち並ぶため、小腹を満たしたり遊びながら祭りを満喫できるのも嬉しいポイントです。毎年5月の11日に近い金土日 -
台東区の春を彩る伝統行事「浅草流鏑馬」は、江戸時代に浅草神社の正月行事として、毎年1月5日に開催されていたものを1983年に観光行事として復活、現在は小笠原流弓馬術礼法宗家の協力により古式に則ったやり方で執り行われています。
「浅草流鏑馬」では、隅田公園の隅田リバーウォークから言問橋間に特別馬場が作られ、鎌倉武士の狩装束を身にまとった射手が疾走する馬上から、壱ノ的、弐ノ的、参ノ的を次々と弓矢で射抜きます。
山谷堀広場では、浅草流鏑馬に先立ち「草鹿」も開催され、烏帽子(えぼし)に直垂(ひたたれ)の古式装束を着けた射手が、高さ約110cmの鹿の形をした的を約20mの距離から弓で弾き、大勢の見物客が見守る中、その腕前と所作の美しさを競い合います。 -
疾走する馬上から的を射る伝統行事台東区の春を彩る伝統行事「浅草流鏑馬」は、江戸時代に浅草神社の正月行事として、毎年1月5日に開催されていたものを1983年に観光行事として復活、現在は小笠原流弓馬術礼法宗家の協力により古式に則ったやり方で執り行われています。
「浅草流鏑馬」では、隅田公園の隅田リバーウォークから言問橋間に特別馬場が作られ、鎌倉武士の狩装束を身にまとった射手が疾走する馬上から、壱ノ的、弐ノ的、参ノ的を次々と弓矢で射抜きます。
山谷堀広場では、浅草流鏑馬に先立ち「草鹿」も開催され、烏帽子(えぼし)に直垂(ひたたれ)の古式装束を着けた射手が、高さ約110cmの鹿の形をした的を約20mの距離から弓で弾き、大勢の見物客が見守る中、その腕前と所作の美しさを競い合います。2024年4月20日(土) -
1945年の東京大空襲で焼失した浅草寺本堂の再建を記念して創られた寺舞。浅草寺の山号「金龍山」にちなんだ金龍の舞は、毎年春と秋の2回奉演されます。
長さ約18mもの金龍が仲見世や境内を練り歩く様子は迫力満点!賑やかなお囃子とともに、勇ましく、力強く、まるで生きているかのように華やかな舞が繰り広げられます。行列の先頭を歩くのは、観音様を象徴する「蓮華珠(れんげしゅ)」。蓮華珠を守護する88kgの金龍を、8人で自在に操る巧みな技術も見どころのひとつです。 -
早春の浅草寺に金龍が舞う1945年の東京大空襲で焼失した浅草寺本堂の再建を記念して創られた寺舞。浅草寺の山号「金龍山」にちなんだ金龍の舞は、毎年春と秋の2回奉演されます。
長さ約18mもの金龍が仲見世や境内を練り歩く様子は迫力満点!賑やかなお囃子とともに、勇ましく、力強く、まるで生きているかのように華やかな舞が繰り広げられます。行列の先頭を歩くのは、観音様を象徴する「蓮華珠(れんげしゅ)」。蓮華珠を守護する88kgの金龍を、8人で自在に操る巧みな技術も見どころのひとつです。毎年3月18日