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おでかけや観光におすすめの魅力的なスポットをご紹介します。

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111件~120件(全445件)

天祐庵

天祐庵
浅草中央部
史跡・墓碑 神社・仏閣 建築物

天祐庵は、京都表千家「不審庵」の写しとして、江戸時代安永年間(1780~)に名古屋の牧野邸「太郎庵」として造営され、大正5年(1916)茶人高橋箒庵への譲渡などを経て、昭和33年(1958)に伝法院庭園内に移築されました。躙口や天井などが、利休系草庵茶室の典型とされる見事な比例感を醸し出しています。

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池波正太郎記念文庫

池波正太郎記念文庫
浅草中央部
博物館・美術館

池波正太郎記念文庫は、上野・浅草を故郷とし、江戸の下町を舞台にした時代小説の傑作を多数発表した池波正太郎の業績や作品の世界を広く紹介するため、平成13年に開設されました。書斎の復元や著作・自筆原稿・絵画等の展示や、時代小説に関する資料を公開しています。

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徳本寺

徳本寺
浅草中央部
神社・仏閣

愛知県三河に創建された浄土真宗本願寺派徳本寺は、檀家本田正信に請われ神田に移転し、江戸時代明暦3年(1657)の大火後に西浅草に移りました。境内には本田夫妻の像(国重要文化財)、木像阿弥陀如来像(都有形文化財)や佐野善左衛門正信「世直し大明神」らの墓があります。

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至徳の古鐘

至徳の古鐘
浅草中央部
史跡・墓碑 神社・仏閣

至徳の古鐘は、南北朝時代至徳4年(1387)の鋳造されたもので、その時代の鐘は東京都では珍しく、都内有数の古鐘として、特に「至徳の古鐘」と呼ばれています。当初、武蔵国多西郡または騎西郡、あるいは相模国西郡のいずれかの寺にあったものを、後に浅草寺に移したと推察されます。

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佐野善左衛門墓

佐野善左衛門墓
浅草中央部
史跡・墓碑 神社・仏閣

佐野善左衛門政言は江戸時代中期の武士で、天明4年(1784)、江戸城内で時の権力者田沼意知(田沼意次の子)に刃傷におよびました。意知は翌日死亡し、政言は切腹となり、28歳で一生を閉じました。この刃傷事件の翌日から高価の米価が下落し、老中田沼意次も失脚しました。お墓は徳本寺(とくほんじ)境内にあります。

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象牙工芸館

象牙工芸館
浅草中央部
博物館・美術館

象牙工芸館では、アフリカ象と象牙原産国の紹介や彫刻品、美術品などを紹介しています。象牙の保護や輸出入に関するワシントン条約がわかりやすく説明されています。また、象牙製品の修理をお願いすることができます。

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芭蕉翁碑

芭蕉翁碑
浅草中央部
史跡・墓碑 神社・仏閣

松尾芭蕉(1644~1694)の句碑は、江戸時代寛政8年(1796)、芭蕉の103回忌に、浅草寺弁天山の鐘楼の入り口に建立されました。この句碑、元は浅草寺本堂の銭塚地蔵の近くにありましたが、戦後この地に移建されました。佐脇嵩雪が描いた芭蕉の座像が線刻してありますが、200年の風雪を経て、碑石も欠損し、碑面の判読も困難となっています。

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浅草迷子しらせ石標

浅草迷子しらせ石標
浅草中央部
史跡・墓碑 神社・仏閣

浅草迷子しらせ石標は、江戸時代安政7年(1860)の復元として、昭和32年(1957)に浅草寺本道前に建立されました。石標は当時、迷子や尋ね人の掲示板の役割を果たしていました。また、安政の大地震による吉原楼閣の犠牲者の慰霊碑でもあります。

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戸田茂睡墓

戸田茂睡墓
浅草中央部
史跡・墓碑 神社・仏閣

江戸時代の歌人である戸田茂睡の墓は、浅草寺境内にあります。戸田茂睡は、古典の研究を行い、公家の間に伝えられた伝統的な歌学が、秘事口伝を主とし、師の歌説に門弟が盲従することに反対して歌学の革新を主張しました。下河辺長流や契沖とともに国学の先駆となりました。

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石川啄木の歌碑

石川啄木の歌碑
浅草中央部
史跡・墓碑 神社・仏閣

明治時代に活躍した詩人、石川啄木の歌碑は等光寺(とうこうじ)の境内にあり、啄木の処女歌集「一握の砂」に収められた「浅草の夜のにぎわひに まぎれ入り まぎれ出で来しさびしき心」という句が刻まれています。啄木生誕70年にあたる昭和30年(1955)に建立されました。

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