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おでかけや観光におすすめの魅力的なスポットをご紹介します。
寛永寺は天台宗関東総本山で、寛永2年(1625)天海僧正により創建されました。徳川歴代将軍の祈祷寺と菩提寺を兼ね、全盛期は上野公園のほとんどが寺域で、30余の堂塔伽藍と36の子院を誇っていました。現本堂は、明治12年(1879)天界僧正ゆかりの埼玉県川越喜多院から本地堂を移築したものです。本尊は薬師如来です。
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上野東照宮は、寛永4(1627)年、徳川家康公を祀る神社として建立されました。慶安4(1651)年に家光公が造営替えをした豪華な金色殿は戦争や地震にも崩壊を免れた貴重な江戸初期建築として国の重要文化財に指定されています。春は牡丹や桜、秋は紅葉やダリア展、お正月は初詣や冬ぼたんを鑑賞する方で賑わいます。
下谷神社は、奈良時代天平2年(730)、行基により下谷に神仏習合神社として正法院(現西巣鴨)と共に創建されました。大年神と日本武尊を祀っています。本殿の天井絵「龍」は横山大観筆として有名です。寛政10年(1798)に初代三笑亭可楽の寄席が境内で初めて開かれたため「寄席発祥之地」の石碑があります。
下谷神社(したやじんじゃ)の境内に「寄席発祥之地」の石碑があります。江戸時代寛政10年(1798)に馬喰町で櫛職人をしていた京屋又五郎(のちの三笑亭可楽)が、素人噺家として入場料をとって興行を行ったことが、寄席のはじまりだといわれています。
上野恩賜公園内の通称大仏山といわれ、かつて大仏殿があった場所に、昭和47年(1972)建立されたパゴダ(仏塔)です。寛永8年(1631)、堀直寄によって大仏が寄進されましたが、度々の地震や火災で倒壊し、現在は、大仏のお顔のみが保存され、大仏再建の願を込めて、お身体があった場所にパゴダが建てられました。
滋養のため、食材として、人々の胃袋におさめられたスッポンに感謝するために建立された塔です。上野恩賜公園内の不忍池の弁天島にあります。塔自体はスッポンの形をしていませんが輪郭が彫ってあります。
上野五條天神社のうそかえは菅原道真に由来する厄払いの行事で、旧年中についたうそを「鷽鳥」に託して罪を滅ぼし、新しい「鷽鳥」と受け替える神事です。毎年1月25日(正月3が日にも授与)に行われます。「鷽うそ」とは天神様と関わりが深い鳥の名前です。初天神の日に凶を祓い、吉を迎える行事で旧年の鷽を神前に納めて罪を滅ぼし新しい鷽と受け変えます。
厳有院(家綱)勅額門は、寛永寺にあります。家綱の霊廟の一部は維新後に解体されたり、第二次世界大戦で焼失しましたが、被災を免れたものです。勅額門とは天皇直筆の額を賜った門のことで、昭和32年(1957)の改修時に発見された墨書銘によって、もと家光の上野霊廟の勅額門であったものを転用したものと考えられています。
不忍弁天堂は、比叡山延暦寺にならって寛永寺を創建した天海僧正が建立しました。現在のお堂は昭和33年(1958)に再建したもので、不忍池の四方からお参りできるよう八角形のお堂となっています。ご本尊(八臂大弁財天)は、長寿や芸能の守りとして信仰されています。
不忍池は、上野恩賜公園の中に位置する天然池です。室町時代頃、現在の形になったといわれています。マガモ・オナガガモなどたくさんの鴨や渡り鳥が訪れ、大都会の中でバードウォッチングが楽しめる場所となっています。春は桜、夏は蓮の花が咲き、たくさんの行楽客で賑わいをみせます。