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おでかけや観光におすすめの魅力的なスポットをご紹介します。
元は旧丸の内大名小路(現在の丸の内3丁目)にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門です。昭和29年(1954)に現在地へ移築されました。屋根は入母屋造、左右に向唐破風屋根の番所を備え、大名屋敷表門では東京大学の赤門と並び称されるものです。
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明治15年(1882)、日本で最初の公立動物園として誕生しました。スマトラトラ・ニシローランドゴリラ等の希少動物をはじめ、500種あまりの動物を飼育しています。不忍池のほとり、かつて水族館があった場所に「両生爬虫類館」があり、サンショウウオ、アジアアロワナ、イリエワニなどを間近に見ることができます。
上野公園では、園内にイチョウ並木が整備され、数百本のイチョウとともにケヤキやモミジなどの樹木も植えられており、随所で紅葉の景色を楽しむことができます。イチョウの木は例年ですと11月中旬頃より見頃の時期となります。また、公園の中央にある擂鉢山周辺やしのぶ川沿いのモミジもとても美しくなります。
明治6年(1873)、太政官布達によって、芝、浅草、深川、飛鳥山と共に、日本で最初の公園に指定されました。江戸時代、東叡山寛永寺の境内地で、明治維新後官有地となり、大正13年(1924)に宮内省を経て東京市に下賜され「恩賜」の名称が付いています。面積は約53万平方mです。
八万四千体地蔵は、浄名院(じょうみょういん)にある地蔵菩薩像のことです。衆生済度(迷い苦しんでいる人々を救い、悟りの境地に導くこと)のために、初めに一千体、次に八万四千体の地蔵建立を発願されたことに始まります。「八万四千」とは仏法で無数の意味を示します。境内には2万体余りの地蔵尊が並んでいます。
厳有院とは第4代将軍徳川家綱の院号です。寛永寺霊園内にある厳有院霊廟の建築物群は、昭和20年(1945)の空襲で大部分を焼失しました。元禄11年(1698)に再建された厳有院(4代家綱)霊廟と宝永6年(1709)造営の常憲院(5代綱吉)霊廟の勅額門、水盤舎などが残り、重要文化財に指定されています。
厳有院霊廟は、寛永寺にある霊廟で四代将軍家綱が埋葬されています。勅額門と水盤舎は、廟所と共に戦災を免れた貴重な遺構で共に重要文化財に指定されています。勅額門とは天皇直筆の額を賜った門のことで、水盤舎は手水舎のことです。勅額門の形式は四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺です。
不忍池の蓮は、江戸時代より浮世絵に描かれたほどの名所です。戦時中は池を埋め立てて水田となりましたが、戦後、復旧作業が始まり昭和30年代頃に池として復活しました。毎年7月中旬頃から開花が始まり、夏の風物詩として親しまれています。花が咲く午前中には見物客が数多く訪れてカメラに蓮の花を収める姿も多く見られます。
春日通りから清洲橋通りに至る全長330mの全蓋式アーケードの商店街で日本で二番目に古い商店街といわれています。明治の初年に秋田藩の屋敷跡に見せ物小屋、寄席、飲食の屋台等が並び、盛り場として賑わい、下町情緒豊かな商店街として発展を続けてきました。現在も色々なイベントを行い、住民から親しまれている魅力的な商店街です。
西郷隆盛銅像は、上野恩賜公園内にあり、隆盛の旧友らにより明治26年(1893)起工、明治31年(1898)に建立されました。作者は彫刻家高村光雲(詩人高村光太郎の父)です。高さ約3.7m、胸囲約2.6m、重さ約9tです。連れている犬は後藤貞行作で、犬の名前は「ツン」といいます。