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おでかけや観光におすすめの魅力的なスポットをご紹介します。
雷門前の浅草文化観光センターでは、1階・4階・7階に多目的トイレが完備されています。1階の多目的トイレは、介助用ベッド、オストメイト対応となっております。
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【開催日程】 令和5年度5月27日(土)【浅草流鏑馬とは】浅草流鏑馬は、江戸時代に正月行事として浅草神社で行われていましたが、近年は、行列と隅田公園特設馬場で行われます。馬に乗って弓で的を射る姿は勇壮で、当時の錦絵を見るようです。また、射術の練習として草を束ねた鹿形を的にした草鹿も行われます。【前売観覧券について】 前売り観覧券は、令和5年4月3日(月)から販売を開始します。 お待たせして申し訳ありませんが、もうしばらくお待ちください。
江戸時代の水神祭での花火に由来して、昭和53年(1974)「隅田川花火大会」として復活しました。桜橋下流と駒形橋下流の2ヶ所から2万発もの花火が打ち上げられ、例年90万人に近い人出があり盛況なイベントとなっています。
ほおずき市は、愛宕神社の千日詣が浅草寺に波及し、江戸時代享保元年(1716)からは浅草寺で四万六千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰される縁日に併せて、薬草として評判の「ほおずき」が境内で売る店が建ち並び、鉢に付けられた風鈴が涼しげになる事から、江戸の夏の風物詩となっています。
問合せ先:浅草観光連盟泣き相撲は、昭和61年(1986)に始まり、浅草寺本堂裏にある九代目市川團十郎の歌舞伎十八番「暫」像の復元五周年を記念し、鎌倉源五郎のように力強く健康に育って欲しいという親の願いを込めて、まわし姿の組ませ役に抱かれた赤ちゃんが土俵の上で泣き声を競います。
早慶レガッタは明治38年(1905)に、隅田川向島で第1回大会が開催されて以来、2005年で74回、100年目を迎えました。「レガッタ」とは、イタリア語のレガータ(覇を競う争い)に由来し、「ボートレース」のことを意味します。日本の早稲田大vs慶應大の対校戦は、「世界3大レガッタ」の一つといわれています。
昭和43年(1968)の「東京百年祭」を記念して創始奉納されたのが「白鷺の舞」です。京都八坂神社の祇園祭の「鷺舞」を参考にして、「浅草寺縁起」の遷座式に登場する「白鷺の舞」を再興したものです。「白鷺」「武者」「棒ふり」「大傘」「楽人」や浅草寺幼稚園園児による「守護童子」などにより構成される美しい舞です。
羽子板市は、明治中期、毎年歳末に行われる浅草寺「歳の市」での正月用品や縁起物の販売に始まり、昭和25年頃には「羽子板市」として歳末の風物詩に定着し、江戸情緒ある歌舞伎の絵柄に加えて、話題の社会風刺、時事や人気タレントなどを題材にした変わり種羽子板など多彩な作品が販売されます。
菊の花を酒に浮かべて飲めば延命が得られると言う中国の故事の法話をきっかけに明治30年(1897)より菊供養会が始められました。献菊や菊の交換会、奉演される「金龍の舞」を観る人々で賑わいます。この日に授与される「菊のお守り」は、延命長寿のご利益があるとされています。
開催日程:令和5年9月5日 17時から開場開催場所:金龍山浅草寺境内(雨天時浅草公会堂)薪能は、室町時代中期に奈良興福寺の神事「薪猿楽」から始まり、能楽の太祖観阿弥によって大成されました。明治維新時に能は大きな打撃を受けましたが、現今の能の先鞭をつけたのは、浅草蔵前の舞台での能演でした。その縁の地である浅草で、昭和55年より開催しており、毎年夏に、能、狂言、能の各演目が演能されます。