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寛永寺かんえいじ

歴史の重みを今に伝える、徳川家ゆかりの寺院

上野公園一帯に広がる寛永寺は、天台宗の関東総本山。1625(寛永2)年、天海大僧正(てんかいだいそうじょう)により創建されました。

江戸時代には、現在の上野公園一帯が寛永寺の境内でしたが、上野戦争でその多くを焼失。現在は根本中堂をはじめ開山堂(両大師)、不忍池辯天堂、上野大仏(パゴダ)、輪王殿などの建造物が上野公園とその周辺に点在しています。戦火を免れた輪王寺門跡御本坊表門、徳川将軍霊廟勅額門など重要文化財も多く有し、歴史の重みを今に伝える寺院です。
清水観音堂の舞台前に復元された「月の松」は、浮世絵師歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれていることで有名。丸い形の松から不忍池辯天堂を見下ろす風流な景観は、絶好のフォトスポットとなっています。

東叡山(とうえいざん)という山号は、東の「比叡山延暦寺」を意味しており、比叡山や京都の有名寺院になぞらえて上野の山に数多くの堂舎が建立されました。本尊は薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)で、伝教大師最澄が自ら彫ったと伝えられる秘仏です。徳川歴代将軍の祈祷寺と菩提寺を兼ね、御霊廟には6名の将軍が埋葬されています。
境内の文化財
創建約400年を誇る寛永寺の境内にはさまざまな文化財が点在しています。長い歴史の中でうまれ、今日まで守り継がれてきた貴重な財産に思いをはせてみませんか。
  • 清水観音堂(国指定重要文化財)
    清水観音堂(国指定重要文化財)
    江戸時代に天海僧正が、京都の清水寺に倣って建立したお堂。清水の舞台からは不忍池の蓮池が眺望できました。本尊は千手観世音菩薩です。毎年9月25日には人形供養大祭が行われます。
  • 旧寛永寺五重塔(国指定重要文化財)
    旧寛永寺五重塔(国指定重要文化財)
    上野恩賜公園内にあり、江戸幕府草創期の重臣土井利勝が、東照宮造営にあたり寄進した塔です。五層全体が和様式で、九輪までの高さは約36mあります。
  • 寛永寺 旧本坊表門(国指定重要文化財)
    寛永寺 旧本坊表門(国指定重要文化財)
    現在の東京国立博物館の地に1625(寛永2)年に建立されました。寛永寺本坊の規模は壮大なものでしたが、1866(慶応4)年の上野戦争で表門のみ戦火を免れました。焼け残った表門には皇室の菊の御紋が印されています。
徳川歴代将軍御霊廟
寛永寺の御霊廟には、徳川将軍15名のうち6名(家綱、綱吉、吉宗、家治、家斉、家定)が埋葬されています。厳有院(4代家綱)霊廟と常憲院(5代綱吉)霊廟の建築物群は、第二次大戦の際にほとんどが焼失してしまいました。
  • 霊廟勅額門(ちょくがくもん)
    霊廟勅額門(ちょくがくもん)
    霊廟の構造は、天海大僧正の指導により天台宗の根本聖典である法華経の思想に基づいて造営されました。現在では勅額門と水盤舎が現存し、また宝塔は難を逃れ往時を偲(しの)ぶことができます。※廟内は非公開です。
  • 水盤舎(すいばんしゃ)
    水盤舎(すいばんしゃ)
    廟所と共に戦災を免れた貴重な遺構で共に重要文化財に指定されています。勅額門とは天皇直筆の額を賜った門のことで、形式は四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺です。水盤舎は手水舎のことです。
除夜の鐘
根本中堂の前にある鐘楼と時鐘堂の2ヶ所で鐘が撞かれます。
  • 大晦日の23時半頃から、根本中堂で除夜の鐘法要が行なわれた後、年が変わる0時から鐘楼で大僧正が最初に、続いて住職、と次々に鐘を撞いていき、心穏やかな新年を迎えます。※寛永寺に事前申し込みが必要です。
紅葉
秋になると境内が黄色く染まる光景が素晴らしく、歴史的な建造物との競演が見事です。
  • 桜をはじめイチョウの大樹やモミジなどが色づきます。江戸の風情あふれる空間をゆっくりとお楽しみください。

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