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おでかけや観光におすすめの魅力的なスポットをご紹介します。

観光DB:一覧
31件~40件(全62件)

飛不動

飛不動
根岸・入谷・金杉
神社・仏閣

正寶院(しょうぼういん)は享禄3年(1530)の創建といわれ、「飛不動」の通称で知られています。古くから病魔や災難を「飛ばして」くれると人々に信仰されていたと伝えられていますが、近年では航空安全の守護神として有名になり、空の安全や飛行道中安泰を祈願する参拝客が多く訪れます。

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根岸御行の松

根岸御行の松
根岸・入谷・金杉
自然・花 史跡・墓碑

根岸御行の松は、江戸名所図会や広重の錦絵にも描かれています。江戸名松の一つに数えられ、根岸4丁目の西蔵院不動堂の境内にあります。この松は、樋口一葉の作品「琴の音」や子規の俳句の題材にもなりました。初代の松は樹齢350年を経た後枯れてしまい、現在は平成30年に植えられた4代目の松になります。

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子規庵

子規庵
根岸・入谷・金杉
史跡・墓碑

明治27年(1894)に子規はこの地に移り、故郷松山より母と妹を呼び寄せ、子規庵を病室兼書斎と句会歌会の場として多くの友人・門弟に支えられながら俳句や短歌の革新に邁進しました。空襲により子規庵は焼失しましたが、現在の庵は昭和25年(1950)に再建され、昭和27年(1952)東京都文化史蹟に指定されています。

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小野照崎神社

小野照崎神社
根岸・入谷・金杉
神社・仏閣

東京の下町「入谷」に鎮座する小野照崎神社。

祀られている小野篁公(おののたかむらこう)は、百人一首にも撰された平安初期有数の歌人であり、漢詩は「日本の白楽天」と呼ばれました。その文才は天下無双、「その才は神に至る」と評される程の絵の大廈でもあり、法律に明るい当代きっての学者で、参議という国の要職も務め、その才能の豊かさで知られています。
仕事運、芸術・芸能上達、学問などのご利益を求めて多くの人が訪れます。

852年(仁寿2年)、篁公が東下の際に住んだ上野照崎の地に創建され、寛永寺の建立とともに現在の地に遷されました。
江戸後期には、 学問の神様である菅原道真公(すがわら みちざね)も回向院より遷され、境内にある末社を含めると、15柱が祀られています。

また、俳優の渥美清が願をかけた神社として知られ、仕事が増えるよう、ご利益を求めて芸人が訪れます。
ちなみに、映画『男はつらいよ』シリーズで渥美清が演じた寅さんが首にかけているお守りは、小野照崎神社のものです。

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下谷坂本の富士塚

下谷坂本の富士塚
根岸・入谷・金杉
史跡・墓碑 神社・仏閣

天明2年(1782)に本物の溶岩を運んで築かれた、都内でも珍しい富士塚「下谷坂本富士」。
富士山に誰もが行けるわけではなかった時代、その姿を伝えるべく作られた、直径約15m、高さ約6mのミニチュアの富士山が小野照崎神社の境内にあります。
一合目から順に十合目まで記されており、南無妙法と書かれた石碑や修験道の開祖である役小角の像も残る等、神仏習合の名残が見て取れます。
先人の山守りの知恵によって今も当時の荘厳な姿を残していて、国の重要有形民俗文化財に指定されています。
富士山に合わせて、お山開きが行われ、6月30日と1日には富士塚に登ることができます。

【Twitter】https://twitter.com/onoterupr

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背面地蔵

背面地蔵
根岸・入谷・金杉
史跡・墓碑 神社・仏閣

背面地蔵は正保4年(1647)の創立で一丈三尺余りです。 その昔奥州街道の傍、 道路仏として西向きに立てられましたが、 後に明和元年 (1764) 道筋が寺の東側に改り、 地蔵尊を前向きに建て直したところ、 不思議な事に一夜のうちに元の向きになったと人々に伝えられて、 この尊称が起こったといわれています。薬王寺(やくおうじ)にあります。

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合羽橋道具街

合羽橋道具街
上野・御徒町 根岸・入谷・金杉 浅草中央部 浅草南部
下町の生活

合羽橋道具街は、明治末期から古道具を取扱う店が集まり、戦後、料理飲食店器具や菓子道具商店街へと発展しました。一流ホテルから主婦に至る様々な人々の要望を満たし、楽しく買い物ができ、平成15年(2003)に道具街の生誕90周年を記念して、シンボル像「かっぱ河太郎」が建立されました。

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島田虎之助墓

島田虎之助墓
根岸・入谷・金杉 浅草南部
史跡・墓碑 神社・仏閣

島田虎之助、直心影流島田派の剣客。幼少より中津藩剣術師範堀十郎左衛門の道場で学び、上達が早く16歳の頃には九州一円を武者修行し名声をあげました。浅草新堀で道場を開き、そこには勝麟太郎(のちの海舟)も通いました。虎之助は幕末の剣豪といわれましたが、嘉永5年(1852)に病没しました。お墓は正定寺(しょうじょうじ)にあります。

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金杉通り

金杉通り
根岸・入谷・金杉
下町の生活

金杉通りは昭和初年に開通しました。旧道は上野山下から入谷口通りを経由、昭和通りと並行して東北に延び三ノ輪で昭和通りと合流します。この道を俗に「金杉通り」と呼びますが、昔はこの街道を奥州街道裏道と呼びました。金杉の地名は、鎌倉時代に金曽木彦三郎という人物の姓から、初めは金曽木、それが金杉に変わったものとされています。

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浅草名所七福神 寿老人(鷲神社)

浅草名所七福神 寿老人(鷲神社)
根岸・入谷・金杉 浅草中央部
神社・仏閣

延命長寿、諸病平癒、人々の安全と健康を守る神様が祀られている鷲神社は江戸下町を代表する神社で、開運、商売繁昌、家運隆昌、子育て、出世の神徳が深いとされ、「おとりさま」と称されて古くから江戸下町の民衆に篤く尊信されてきました。鷲神社に祀られている寿老人像は白髪長頭で長寿の福徳を記した巻物をつけた杖を持つ姿です。

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