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該当件数320件
  • 昭和20年(1945)の「東京大空襲」の犠牲者を悼む慰霊碑で平成17年(2005)に海老名香葉子さん(故林家三平の夫人)によって上野恩賜公園内に建立されました。この塔は東京大空襲を忘れないため・同じ悲劇が起こらないよう、願いをこめて、大空襲で亡くなったご家族がモチーフになっている平和祈念母子像・時計塔です。
    上野・御徒町エリア
  • 浅草寺本堂の東側、石造大鳥居をくぐったところに位置し、「三社さま」の名で親しまれる浅草の総鎮守。毎年5月に行われる日本を代表する祭礼の一つ、「三社祭」は東京の初夏の風物詩。「大行列」や無形文化財「びんざさら舞」のほか、神輿を担いで浅草を巡行する「神輿渡御」が見どころです。町を練り歩く担ぎ手たちの威勢良い掛け声が響き渡り、浅草の町がまつり一色に染まります。
    6月の「夏越し(なごし)の大祓」では、茅草で作られた輪の中(茅の輪)が設置されます。それを八の字に三回通って穢れを祓うことで疫病や災厄から逃れ、福徳があると伝えられる行事です。

    本殿には浅草寺のご本尊である聖観世音菩薩像を見つけた漁師の兄弟とともに、尊像として奉安した郷土の文化人、土師真中知(はじのなかとも)の3人が祀られています。江戸時代に徳川家光が寄進した社殿は本殿・幣殿と拝殿の間が渡り廊下で繋がる建築様式。国の重要文化財に指定されています。また、浅草名所七福神のひとつとしても知られ、恵比須像が祀られています。
    浅草中央部エリア
  • 浅草雷門前に位置し、観光案内をメインとする複合文化施設です。4か国語(日本語、英語、中国語、韓国語)に対応した案内を行い、外貨両替所も併設。情報コーナーは、観光情報雑誌や検索用パソコンが無料で利用できます。また、クチコミ情報が書かれたコミュニケーションボードも閲覧できるので、とっておきの旅のヒントを得られるかも。多目的スペースでは、映像を活用し台東区のみどころやイベント、歴史、文化を紹介。通常、イスが配備されているので休憩場所としても利用できます。
    ここを訪れたなら、8階の展望テラスも必見です。雷門から浅草寺へと続く仲見世や、隅田川や東京スカイツリーも一望できるビュースポットとなっています。

    浅草の街並みに溶け込む平屋を重ねたようなおしゃれな外観は、日本を代表する建築家・隈研吾氏によるデザイン。木の温もりあふれる空間は、初めて日本を訪れる海外ツーリストにも優しい印象を与えています。
    浅草中央部エリア
  • 国立国会図書館法に基づく国内唯一の国立の児童書専門図書館として、平成12年(2000)に開館しました。国内外の豊富な資料と情報資源を活用し、子どもの本に関わる活動や調査研究を支援しています。また、子どもと本のふれあいの場としての役割も担っている図書館です。
    レンガ棟は、明治39年(1906)に建てられた帝国図書館の建物を保存・再利用しています。
    上野・御徒町エリア
  • 平成15年(2003)に、集団就職で上京した中小企業経営者ら有志団体によって上野駅広小路口前のガード下に建立された歌碑です。「あゝ上野駅(ああうえのえき)」は、1964年に発表された高度成長期の世相を描いた代表的ヒット曲で、いわゆる団塊の世代を中心に「心の応援歌」として多くの人々に勇気と感動を与えました。
    上野・御徒町エリア
  • 谷中霊園は、谷中にある都立霊園です。明治7年(1874)明治政府は天王寺の寺域の一部を引き継ぎ、東京府管轄の公共墓地として谷中墓地を開設しました。その後、昭和10年(1935)に谷中霊園と改称されました。園内には寛永寺や天王寺の墓地が入り組んでおり、面積は約10万平方m、約7000基の墓が並んでいます。園内を通る「さくら通り」は桜の名所となっています。
    谷中エリア
  • 江戸の下町を舞台にした「鬼平犯科帳」など、時代小説の傑作を多数発表した池波正太郎。日本を代表する時代小説作家の文学作品を後世に伝え、彼の功績を称えるために設立されたのが「池波正太郎記念文庫」です。
    館内には著作本や小説に関するさまざまな資料をはじめ、生前彼が愛用していた万年筆やパイプ、帽子などが展示されています。書斎も復元されており、池波正太郎をより身近に感じられるスポットです。また「池波グッズ」とよばれる、作品の舞台を紹介した古地図やポストカード、扇子など様々なグッズも必見。池波ファンにはたまらない空間となっています。
    浅草中央部エリア
  • 伊能忠敬は、江戸時代の商人・測量家で、寛政12年(1800)から文化13年(1816)までの17年をかけて全国を測量して「大日本沿海輿地全図」を完成させました。歴史上はじめて国土の正確な姿を明らかにし、初めて金星の子午線経過を観測した人物です。「東河伊能先生之墓」と記された墓は源空寺(げんくうじ)にあります。
    上野・御徒町エリア
  • 桜橋 は、台東区今戸と 墨田区向島との間で、隅田川両岸の 「隅田公園」 を結ぶ歩行者専用橋です。橋の創架は昭和60年(1985)、「隅田公園」 の施設の一つとして台東区と墨田区の共同事業で架橋されました。「隅田川」 では最初のそして唯一の歩行者専用橋です。
    奥浅草エリア
  • 朱塗りの大鳥居が印象的な、江戸下町を代表する神社です。古くから「おとりさま」の愛称で親しまれ、開運や商売繁昌のほか、家運隆昌、子育て、出世の神徳が深いと人々に信仰されてきました。
    毎年11月の酉(とり)の日に境内で行われる例祭「酉の市」は江戸の風物詩として有名。福をかきこむと言われる熊手をはじめ八ツ頭芋、お多福の面など、色とりどりの縁起物を買い求める人たちで賑わいます。樋口一葉の代表作『たけくらべ』や他の文学作品にもこの酉の市が数多く登場することから、いかに地域に根付いた催し物だったかが伺い知れます。

    なでる場所によって異なるご利益を授かるといわれる「なでおかめ」も人気。ふっくらとした優しい顔立ちのおかめは「お多福」とも言われ、福が多く幸せを招く女性の象徴という事から長年親しまれる縁起物です。

    ご祭神としては天日鷲命(あめのひわしのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)の他、浅草名所七福神のひとつとしても知られ、寿老人が祀られています。
    奥浅草エリア
  • 秋葉原駅から御徒町駅間の高架下にある、「日本のものづくり」をテーマとした約50店舗が集まる施設「2k540 AKI-OKA ARTISAN」。
    工房とショップがひとつになった店舗が多く、商品のこだわりを聞きながらお気に入りの逸品を探したり、ものづくりの体験が出来るワークショップに参加して自分だけのオリジナル商品を作ったり、クリエイターと直接コミュニケーションをとりながらのショッピングが楽しめます。飲食店もあるのでランチやカフェ利用もおすすめ。
    ここでしか買えない商品や一点物を扱うブランドなど、大量生産の製品にはないぬくもりと、新しいデザインの商品に出会うことができます。

    名前の由来は、東京駅から2k540m付近にあることから「2k540」、秋葉原駅(AKIHABARA)と御徒町駅(OKACHIMACHI)の間にあるという造語「AKI-OKA」、フランス語で「職人」を意味する「ARTISAN」を組み合わせたもの。
    施設周辺は、江戸の文化を伝える伝統工芸職人の街だったという背景もあり、現在もジュエリーや皮製品を扱うお店が多く、高いセンスとクオリティをもった店舗が集結しています。
    上野・御徒町エリア
  • 江戸時代の浮世絵師といえば葛飾北斎。誓教寺(せいきょうじ)には、葛飾北斎の墓と胸像、そして「富嶽三十六景」など北斎が好んで数多く描いた「富士」のモニュメントがあります。生前93回引っ越しをし、30回名前を変えたと言われている北斎の墓標には「画狂老人卍墓」(「卍」は北斎の雅号の一つ)とあり、辞世の句が刻まれています。毎年命日の4月18日には「北斎忌」が開かれ、法要が営まれます。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 西洋美術全般を対象とする日本で唯一の国立美術館。ヨーロッパで美術品の収集をしていた実業家の松方幸次郎のコレクション(松方コレクション)を基礎に、モネやルノワールなどの印象派の名作や、ゴッホ、ピカソといった有名作家の作品を広く展示しています。このコレクションは第二次世界大戦中にフランス政府に接収され、戦後に専用の美術館を創設することを条件に日本へ寄贈返還されました。

    本館の設計は、フランスで活躍した近代建築の巨匠ル・コルビュジエによるもの。「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の構成資産の一つとして東京初の世界文化遺産に登録されています。前庭にもロダンの彫刻が展示されており、散策しながら美術鑑賞を楽しめるのも魅力のひとつ。 ボランティア・スタッフと一緒に鑑賞する「美術トーク」や、解説を聞きながら本館や前庭を一緒に歩く「建築ツアー」など、初めての来館でも気軽に楽しめるプログラムも用意されています。
    上野・御徒町エリア
  • 江戸たいとう伝統工芸館には、江戸庶民の町、江戸文化発祥の町として栄えてきた台東区で、受け継がれてきた伝統工芸への関心を深めることができる工芸品が展示されています。
    浅草中央部エリア
  • 東京初の駅直結デパートとして1931年に開業した「松屋浅草」は、当時アメリカや西洋で流行したアール・デコ様式を採用したモダンな外装が特徴です。屋上に遊園地やこども動物園を作るなど斬新なアイデアで、当時の人々の話題を集めました。
    現在は、B1階から地上3階までが松屋浅草の売り場。2012年のリニューアルで建設当時のシンボル・大時計も復活し、昭和の面影を残す百貨店は今でも人々に親しまれています。地上1階は 浅草らしい下町銘菓をはじめ、全国からセレクトされた銘菓が並ぶ「浅草すいーつ小町」。東武線「浅草駅」直結なので、お土産購入にも便利です。
    浅草中央部エリア
  • 1627年に創建された、上野公園に鎮座する上野東照宮。徳川家康公(東照大権現)、徳川吉宗公、徳川慶喜公を祭神とし、出世、勝利、健康長寿にご利益があるとされている神社です。戦争や地震でも崩壊を免れた貴重な江戸初期の建築物として、国の重要文化財に指定されています。春は牡丹・桜、秋は紅葉やダリア展、お正月は初詣や冬ぼたん鑑賞の地として、年間を通して国内外からの参拝者で賑わうスポットです。

    贅沢に金箔が使われた豪華絢爛な金色殿(社殿)などの建造物は、三代将軍・徳川家光公が、日光東照宮までお参りに行けない江戸の人々のために建てられたそう。社殿内部は文化財保護のため通常は非公開ですが、特別公開が実施されることもあるので、拝観を申し込んでみてはいかがでしょうか。
    授与所では、期間・数量限定のお守りや御朱印も授与されているので要チェック。パンダのお守りや手塚治虫のユニコのお守りなど愛らしいものもありますよ。
    上野・御徒町エリア
  • 正寶院(しょうぼういん)は享禄3年(1530)の創建と言われ、江戸期にはすでに「飛不動」の通称で知られていました。古くより「旅人の守り本尊」「厄飛ばしのお不動様」として信仰されてきましたが、昭和期からは航空安全の守護神としても有名になり、航空関係者や宇宙関係者などが海外からも多く参拝に訪れます。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • お化け地蔵は松吟寺(しょうぎんじ)にあります。「お化け地蔵」の名には、かつて大きな笠をかぶり、その笠が向きをかえたから、高さ3m余の並外れて大きいからなど、いくつかの伝承があります。石仏は享保6年(1721)の建立で、関東大震災で二つに折れましたが、補修して現在に至っています。常夜灯は、寛政2年(1790)に建てられました。
    奥浅草エリア
  • 「セイコきもの文化財団」が、着物文化の普及向上を目的に平成2年(1990)に開設した美術館です。着物に関する資料の収集・調査研究を行い、江戸時代から明治・大正時代の着物や歌舞伎の舞台衣装など企画展示を行っていました。平成18年(2006)に休館となりましたが、着物に関する調査研究等は引き続き本財団で行っています。
    平成18年(2006)に休館
    上野・御徒町エリア
  • おかず横丁は鳥越本通りにある鳥越本通商盛会の通称で、延長230m、ほとんどが日用食料品を取り扱う店からなる商店街です。戦後まで東西に分かれていましたが、昭和24年(1949)、一本化して現在の商盛会となりました。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 浅草屈指の縁結びの神社として知られ、良縁を求める人の「婚活神社」として注目されています。
    この地は16世紀から焼かれていた今戸焼発祥の地で、猫の焼き物を販売していたことから、招き猫発祥の地でもあります。縁を招き寄せるペアの猫をモチーフにした絵馬や御朱印帳も人気です。

    1063(康平6)年、時の奥羽鎮守府源頼朝・義家父子が祈願し鎌倉の鶴ヶ丘と浅草今戸とに京都の石清水八幡を勧請して創建されました。境内には、幕末に活躍した新選組沖田総司の終焉の地の碑も佇んでいます。また、浅草名所七福神の福禄寿が祀られており、七福神詣りの参拝客でも賑わうスポットです。
    奥浅草エリア
  • 三代将軍家光公が寛永19年(1642)に浅草に建立した三十三間堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先に当たっていたので「矢先稲荷」と名付けられたといわれています。拝殿の格天井には、神武天皇の御世からの「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されて、馬にまつわる歴史が一目瞭然に理解できます。
    浅草中央部エリア
  • 祈る者に十種福を授ける仏様が祀られている天王寺は鎌倉時代の創建といわれ、都内有数の古寺です。江戸時代には「富くじ」興行があり、目黒の滝泉寺、湯島天神と共に江戸三富と呼ばれて賑わいました。幸田露伴の「五重塔」のモデルとなった天王寺五重塔は昭和32年(1957)に焼失しましたが、その跡地は今も谷中霊園に残っています。
    谷中エリア
  • 江戸開城の功労者で宮内省御用掛を務めた山岡鉄舟と初代三遊亭圓朝の墓は、鉄舟が明治16年(1883)に建立した全生庵にあります。鉄舟は晩年、禅を修め道場としてこの寺を建てました。居噺で人気を博した円朝は禅を通じて鉄舟に師事し親交を深めました。円朝の墓石には、鉄舟の筆により「三遊亭円朝無舌居士」とあります。
    谷中エリア
  • 妙亀塚は妙亀塚公園という小さな公園の中にある塚です。このあたりは謡曲「隅田川」で有名な妙亀尼とその子梅若丸の伝説の地で、小高い塚に板碑をはめ込んだ供養塔が立っており、都の旧跡に指定されています。妙亀塚は「梅若伝説」にちなんだ名称です。
    奥浅草エリア
  • 佐野善左衛門政言は江戸時代中期の武士で、天明4年(1784)、江戸城内で時の権力者田沼意知(田沼意次の子)に刃傷におよびました。意知は翌日死亡し、政言は切腹となり、28歳で一生を閉じました。この刃傷事件の翌日から高価の米価が下落し、老中田沼意次も失脚しました。お墓は徳本寺(とくほんじ)境内にあります。
    浅草中央部エリア
  • 上野恩賜公園内の東照宮の入り口付近にあり、寛永8年(1631)、佐久間勝之が奉納した石灯籠です。高さ約6m、笠石の周囲約4mとあまりにも巨大な灯籠のため「お化け灯籠」と呼ばれています。名古屋の熱田神宮の石灯籠、京都南禅寺の大石灯籠と合わせて日本三大石灯籠のひとつに数えられています。
    上野・御徒町エリア
  • 上野恩賜公園内の通称大仏山といわれ、かつて大仏殿があった場所に、昭和47年(1972)建立されたパゴダ(仏塔)です。寛永8年(1631)、堀直寄によって大仏が寄進されましたが、度々の地震や火災で倒壊し、現在は、大仏のお顔のみが保存され、大仏再建の願を込めて、お身体があった場所にパゴダが建てられました。
    上野・御徒町エリア
  • 江戸時代、谷中には大円寺と福泉院に二つの笠森稲荷がありました。福泉院前の鍵屋という水茶屋にいたのが江戸で評判の美人お仙です。幕末の上野戦争で福泉院焼失し廃寺になり笠森稲荷は寛永寺の子院養寿院に移転しました。のち、明治26年に福泉院跡に建立されたのが功徳林寺(くどくりんじ)で、明治末期には稲荷社が祀られました。
    谷中エリア
  • 花川戸靴・はきもの問屋街は、江戸通り沿いに、靴や鞄など革製品を取り扱っている店70店余りが軒を連ねて立ち並んでいる問屋商店街です。
    浅草中央部エリア
  • 日本初の私鉄である日本鉄道が、上野-熊谷間の第一区線開業時に合わせて、山下町に東京方の起点駅として明治16年(1883)に開業した歴史ある駅です。現在、北関東と東京を結ぶJR各線と東京メトロ各線、また東北、上・信越方面の各新幹線、その他在来線各線が発着するなど、東京の「北の玄関口」として機能しています。
    上野・御徒町エリア
  • どこかノスタルジックな景観のお江戸上野広小路亭。その魅力はなんといっても、舞台と客席の近さ。舞台に手が届きそうな距離で、古典芸能やお笑いライブを楽しめる、なんとも贅沢な空間となっています。
    ここでは、落語や漫才だけでなく、講談も聞くことができます。落語は知っているけど講談ってなんだろう?と思われた方も、ぜひ一度お江戸上野広小路亭をのぞいてみませんか?
    上野・御徒町エリア
  • 鳩ポッポの歌碑は、昭和37年(1962)に作詞の舞台となった浅草寺本堂の西側に建立されました。童謡「鳩ポッポ」は、作詞家である東くめ女史が、浅草寺の境内にて鳩と戯れている子供たちをみてこの歌詞を書き、滝蓮太郎により作曲されました。
    浅草中央部エリア
  • 天海僧正の毛髪を治めた宝塔で、慶安5年(1652)に弟子の義海によって建立されました。寛永寺を創建した天海僧正は寛永20年(1643)子院の本覚院において108歳で没し、慈眼大師の諡号がおくられました。毛髪塔が立つ場所は本覚院跡で現在の寛永寺清水観音堂の裏にあります。
    上野・御徒町エリア
  • 日暮里駅北口から御殿坂を上っていくと下る階段があります。階段から眺める夕日が美しいことから名付けられました。
    谷中エリア
  • 俳句・短歌の革新者正岡子規(まさおかしき)が、1894(明治27)年から亡くなるまでの8年半、暮らした家です。
    子規は門弟や友人たちと文学や美術談義を行い、作品を発表し続け俳句や短歌、文章の革新に邁進しました。
    故郷松山より母と妹を呼び寄せ、結核に苦しみながらも34歳で亡くなるまで精力的に文学作品を創作し続けた場所でもあります。

    1945(昭和20)年の空襲で焼失しましたが、その5年後、当時の間取りのまま再建され、現在の庵は東京都指定史跡として明治の雰囲気が体感できる魅力的な空間となっています。

    子規が病室兼書斎にしていた「病牀六尺の間」などを復元しており、明治の暮らしだけでなく創作の様子を偲ぶことができます。現在、一般のボランティア団体により大切に維持・保存されています。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 柳橋はの起源は江戸中期、当時は下柳原同朋町(中央区)と対岸の下平右衛門町(台東区)とは渡船で往来していましたが不便なため、元禄11年(1698)に建設されました。明治20年(1887)に鋼鉄橋になり、その後の関東大震災にて焼失したため、昭和4年(1929)に現在の橋が完成しました。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 2019年に放送されたテレビアニメ「さらざんまい」において、かっぱ橋周辺や浅草地域を中心に台東区内の風景が細かく描かれ、放送終了後も聖地として多くのアニメファンが来訪しています。このマンホール蓋は、東京都下水道局や製作委員会、地元商店街等の協力のもと、観光振興を目的に設置されました。
    描かれているのは、主人公である矢逆一稀、久慈悠、陣内燕太の3人が、かっぱ橋に封印されていた謎のカッパ型生命体“ケッピ”によって河童の姿に変身させられた姿です。

    設置年月日:令和3年4月13日
    浅草中央部エリア
  • 漫画・アニメ作品「ブルーピリオド」は、主人公の高校生・矢口八虎が1枚の絵画との出会いをきっかけに美大受験を目指す青春物語を描いた作品であり、台東区の東京藝術大学をはじめ、上野恩賜公園や公園内の文化施設が舞台として登場します。
    区にゆかりのある本作品を通して、新たな観光スポット創出による誘客促進と区内観光客の回遊性向上を図るため、こちらのマンホール蓋を設置しました。

    設置年月日:令和4年3月1日
    上野・御徒町エリア 谷中エリア
  • 厩橋は、春日通りが隅田川を渡る橋です。この橋の創架は明治7年(1874)で、隅田川では 第6番目の橋です。この一帯には幕府の御米蔵があり、米の運搬のために馬もたくさん飼われ、「御厩」 の名称となりました。現在の橋は、昭和4年(1929)に架設されたもので、親柱には馬をデザインしたガラス細工が組み込まれています。
    浅草橋・蔵前エリア

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