メニューを閉じる
該当件数319件
  • 日本初の私鉄である日本鉄道が、上野-熊谷間の第一区線開業時に合わせて、山下町に東京方の起点駅として明治16年(1883)に開業した歴史ある駅です。現在、北関東と東京を結ぶJR各線と東京メトロ各線、また東北、上・信越方面の各新幹線、その他在来線各線が発着するなど、東京の「北の玄関口」として機能しています。
    上野・御徒町エリア
  • 1882年に日本で最初に開園した動物園。園内は大きく「西園」と「東園」に分かれており、約300種3,000点の動物が飼育されています。

    「東園」は、都心では珍しい、豊かな緑に溢れたエリアです。トラ、ゾウなどが住む森エリアや、ホッキョクグマやアザラシが住む海エリアでは、水浴びなど迫力あるシーンが目撃できることもあります。国指定重要文化財の「旧寛永寺五重塔」や藤堂高虎が建て1878(明治11)年に再建された「閑々亭」などの歴史的建造物も見どころです。

    一方「西園」は、蓮の名所としても知られる風光明媚な「不忍池」のほとりに位置する区域。キリンやサイなどの人気動物をはじめ、アイアイや“動かない鳥”として話題のハシビロコウなどユニークな種も見られます。
    子ども動物園「すてっぷ」では、小動物を間近で観察することを通じて、命の大切さや生きものの魅力が学べる体験プログラムが実施されています。

    歩き疲れたり、お腹が空いてきたら、園内にいくつかあるフードショップで休憩しましょう。それぞれのお店で、動物たちをモチーフにした可愛いフードやスイーツが食べられます。オリジナルグッズを取り扱うギフトショップも必見です。
    上野・御徒町エリア
  • 1627年に創建された、上野公園に鎮座する上野東照宮。徳川家康公(東照大権現)、徳川吉宗公、徳川慶喜公を祭神とし、出世、勝利、健康長寿にご利益があるとされている神社です。戦争や地震でも崩壊を免れた貴重な江戸初期の建築物として、国の重要文化財に指定されています。春は牡丹・桜、秋は紅葉やダリア展、お正月は初詣や冬ぼたん鑑賞の地として、年間を通して国内外からの参拝者で賑わうスポットです。

    贅沢に金箔が使われた豪華絢爛な金色殿(社殿)などの建造物は、三代将軍・徳川家光公が、日光東照宮までお参りに行けない江戸の人々のために建てられたそう。社殿内部は文化財保護のため通常は非公開ですが、特別公開が実施されることもあるので、拝観を申し込んでみてはいかがでしょうか。
    授与所では、期間・数量限定のお守りや御朱印も授与されているので要チェック。手塚治虫のユニコのお守りなど愛らしいものがありますよ。
    上野・御徒町エリア
  • 浅草寺本堂前に佇む朱塗りの2階建て門。左右に阿形像と吽形像の仁王尊像が安置されています。門裏に掛けられている重さ約500kgの大わらじは、仁王さまの力を表し魔除けとして伝わるもの。台東区の友好都市のひとつ、山形県村山市の有志により奉納されました。また、小船町の大提灯や重厚感あふれる吊灯篭も存在感を放ち、参拝客を迎えてくれます。

    宝蔵門は、平安時代、武蔵守に任命された平公雅(たいらのきみまさ)により、祈願成就の御礼として942年に建立されました。数度の火災を経て、現在の門は1964年にホテルニューオオタニ創始者・大谷米太郎の寄進により本瓦葺きで再建された(2007年チタン瓦に葺き替え)楼門です。上層部には仏教の経典である『元版⼀切経(げんばんいっさいきょう)』や寺宝が収蔵されています。
    浅草中央部エリア
  • 三代将軍家光公が寛永19年(1642)に浅草に建立した三十三間堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先に当たっていたので「矢先稲荷」と名付けられたといわれています。拝殿の格天井には、神武天皇の御世からの「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されて、馬にまつわる歴史が一目瞭然に理解できます。
    浅草中央部エリア
  • 浅草寺の本坊である伝法院内には、江戸時代寛永年間(1624~44)に近江(滋賀県)の大名小堀遠州の作庭と伝えられている廻遊式庭園(面積約3700坪)があります。庭園内には茶室「天佑庵」や明治2年に本堂後方の塚より出土した古墳時代の石棺(長さ2.5m)があります。一般公開はしていませんが、不定期で特別公開されることがあります。
    浅草中央部エリア
  • 寿湯は、上野という都会にありながら銭湯という概念の常識を超えた様々なお風呂が楽しめ、露天風呂が自慢の銭湯です。お風呂の温度は40度から45度の3種の湯に設定してあり老若男女楽しめます。また男女ともにサウナも人気のお風呂になっております。
    上野・御徒町エリア
  • ノスタルジックな景観に惹かれ中に入ると、昔ながらの番頭さん。もう少し進むと、格子状の高い天井に、波打った形のタイル浴槽。どこか懐かしいあたたかな空間が広がります。
    早朝6時から営業しており、すべての浴槽で46度のお湯が提供されています。常連の方々を魅了するのは早朝のこの少し熱めの温度のお湯と昔ながらの懐かしさでしょうか。
    店頭の屋根瓦や格子型天井等も昭和から引き継がれてきている歴史あるものです。お立ち寄りの際は、有形文化財に指定されたその景観も、ぜひゆったりとご覧ください。
    上野・御徒町エリア
  • 厩橋は、春日通りが隅田川を渡る橋です。この橋の創架は明治7年(1874)で、隅田川では 第6番目の橋です。この一帯には幕府の御米蔵があり、米の運搬のために馬もたくさん飼われ、「御厩」 の名称となりました。現在の橋は、昭和4年(1929)に架設されたもので、親柱には馬をデザインしたガラス細工が組み込まれています。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 春日通りから清洲橋通りに至る全長330mの全蓋式アーケードの商店街で日本で二番目に古い商店街といわれています。明治の初年に秋田藩の屋敷跡に見せ物小屋、寄席、飲食の屋台等が並び、盛り場として賑わい、下町情緒豊かな商店街として発展を続けてきました。現在も色々なイベントを行い、住民から親しまれている魅力的な商店街です。
    上野・御徒町エリア
  • 都内で最も古い「お稲荷様」として知られる下谷神社は、730年に創建された歴史深い神社です。大年神と日本武尊を祀っていることから、商売繁盛や家内安全のご利益があるとされています。5月に行われ、東京の下町で一番早い夏祭りと言われる「下谷神社大祭」は1000年以上の歴史があり、本社神輿の渡御を行う「本祭り」と、町会神輿の渡御だけの「陰祭り」が隔年に行われています。
    本殿には、日本を代表する画家 横山大観による「龍」の天井絵が掲げられており、その壮大な美しさは見る者を圧倒します。俳句の大家・正岡子規の「句碑」や、初代・三笑亭可楽の寄席が境内で初めて開かれたという「寄席発祥之地」の石碑などの見どころも。
    オリジナルの朱印帳の販売や、月や日によって限定の御朱印頒布も行っています。
    上野・御徒町エリア
  • 俳句・短歌の革新者正岡子規(まさおかしき)が、1894(明治27)年から亡くなるまでの8年半、暮らした家です。
    子規は門弟や友人たちと文学や美術談義を行い、作品を発表し続け俳句や短歌、文章の革新に邁進しました。
    故郷松山より母と妹を呼び寄せ、結核に苦しみながらも34歳で亡くなるまで精力的に文学作品を創作し続けた場所でもあります。

    1945(昭和20)年の空襲で焼失しましたが、その5年後、当時の間取りのまま再建され、現在の庵は東京都指定史跡として明治の雰囲気が体感できる魅力的な空間となっています。

    子規が病室兼書斎にしていた「病牀六尺の間」などを復元しており、明治の暮らしだけでなく創作の様子を偲ぶことができます。現在、一般のボランティア団体により大切に維持・保存されています。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 見返り柳は吉原遊郭の名所の一つで、遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで振り返ったことからその名がつきました。かつては山谷堀脇の土手にありましたが、区画整理に伴い現在地に移され、今ある柳も数世代に渡り植え替えられています。
    奥浅草エリア
  • 1857年に開席した「鈴本演芸場」は、現存する中では最古の歴史を誇る寄席(よせ)。落語をはじめ、漫才や曲芸、紙切りなどバラエティに富んだ様々な演目が10日毎に内容を変えて上演しています。昼の部と夜の部に分かれており、それぞれ好きなタイミングで入退室できるのも魅力のひとつ。
    上演中は飲食も可能です。おすすめは売店で購入できる、お箸で切れるやわらかさで有名な「上野 井泉本店」のかつサンド。お弁当やお菓子を食べたりビールを飲みながら、演目をお楽しみください。
    上野・御徒町エリア
  • ジュエリータウンおかちまち(貴金属・宝飾店街)は、JR御徒町駅東側一帯にある400軒もの貴金属・宝石の卸問屋が集まっている日本有数のジュエリータウンです。全国の店に卸しているほか、個人が入れる店舗も多く、品揃えも豊富で市価より安く手に入れることができます。
    上野・御徒町エリア
  • 昭和52年(1977)にこけら落としされた浅草公会堂は、毎年1月の新春浅草歌舞伎などの演芸・演劇などの興業や、集会室や展示会などが催されます。客席1000席の大ホールには、浅草寺三社祭や広重の「江戸百景 浅草仲見世」の情景が描かれた鍛帳が雰囲気を創り上げています。
    浅草中央部エリア
  • 言問橋は、昭和3年(1928)に完成した長さ240mの橋で、国道6号を通しています。橋の名称は、かつて上・下流側にあった「言問の渡し」や在原業平が詠んだ古歌に由来するとされています。橋柱の街灯は瓢箪の形、欄干に朝顔がデザインされています。
    浅草中央部エリア 奥浅草エリア
  • 目黄不動は寛永年間(1624~1643)の中頃、三代将軍家光が天海大僧正の具申をうけ、江戸の鎮護と天下泰平を祈願して、5つの方角の不動尊を選んで割り当てた江戸五色不動(目白・目赤・目黒・目青・目黄)の一つです。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 谷中霊園は、谷中にある都立霊園です。明治7年(1874)明治政府は天王寺の寺域の一部を引き継ぎ、東京府管轄の公共墓地として谷中墓地を開設しました。その後、昭和10年(1935)に谷中霊園と改称されました。園内には寛永寺や天王寺の墓地が入り組んでおり、面積は約10万平方m、約7000基の墓が並んでいます。園内を通る「さくら通り」は桜の名所となっています。
    谷中エリア
  • 東本願寺は、天正19年(1591)神田に開創され、明暦の大火(1657)で浅草に移転しました。江戸時代の様子は葛飾北斎の『富嶽三十六景』中の『東都浅草本願寺』等の浮世絵に登場します。現在の本堂は、関東大震災後に再建されました。御本尊の『阿弥陀如来立像』は四天王寺の心柱を使用し、嘉禄2年(1226)頃の作と伝わっています。また、梵鐘は寛永7年(1630)以後のものと推定され、都内に現存する梵鐘の中では有数の風格を誇り、毎年大晦日に除夜の鐘で一般開放します。(要予約)
    浅草中央部エリア
  • 東京初の駅直結デパートとして1931年に開業した「松屋浅草」は、当時アメリカや西洋で流行したアール・デコ様式を採用したモダンな外装が特徴です。屋上に遊園地やこども動物園を作るなど斬新なアイデアで、当時の人々の話題を集めました。
    現在は、B1階から地上3階までが松屋浅草の売り場。2012年のリニューアルで建設当時のシンボル・大時計も復活し、昭和の面影を残す百貨店は今でも人々に親しまれています。地上1階は 浅草らしい下町銘菓をはじめ、全国からセレクトされた銘菓が並ぶ「浅草すいーつ小町」。東武線「浅草駅」直結なので、お土産購入にも便利です。
    浅草中央部エリア
  • 世界のカバン博物館は、世界約50ヶ国から収集された希少価値の高いコレクションをはじめ、カバンの歴史・カバンづくりの技術、文化に触れることができるミュージアムです。著名人から寄贈されたカバンの展示や企画展なども行われます。
    浅草中央部エリア
  • 慶応4年(1868)の上野戦争によって荒れ果て、明治新政府が病院建設を決めていた上野の山を、近代的な公園にすべきと提言した長崎医学校教官でオランダ人医師ボードウィンの胸像です。昭和48(1973)年に建立されましたが、オランダ政府の資料の錯誤で平成18年(2006)に像を交換するまでは博士の弟の像でした。
    上野・御徒町エリア
  • どこかノスタルジックな景観のお江戸上野広小路亭。その魅力はなんといっても、舞台と客席の近さ。舞台に手が届きそうな距離で、古典芸能やお笑いライブを楽しめる、なんとも贅沢な空間となっています。
    ここでは、落語や漫才だけでなく、講談も聞くことができます。落語は知っているけど講談ってなんだろう?と思われた方も、ぜひ一度お江戸上野広小路亭をのぞいてみませんか?
    上野・御徒町エリア
  • 桜橋 は、台東区今戸と 墨田区向島との間で、隅田川両岸の 「隅田公園」 を結ぶ歩行者専用橋です。橋の創架は昭和60年(1985)、「隅田公園」 の施設の一つとして台東区と墨田区の共同事業で架橋されました。「隅田川」 では最初のそして唯一の歩行者専用橋です。
    奥浅草エリア
  • 昭和8年(1933)に京成本線開通にあわせ、開業した駅です。ホームが短く4両編成の電車しか停車できないことによる乗降客の減少や、建物の老朽化のため、平成9年(1997)に営業休止となりました。駅事務室、ホームは地下にあり、ホームは電車の通過中に見ることができ、外観では入口にあたる建物を見ることができます。
    上野・御徒町エリア
  • 浅草寺本堂の東に建つ朱塗りの鮮やかな二天門。当初は、境内にあった東照宮の随身門として建てられたと伝えられています。随身門とは、神社を守護する神さまを配置した門のこと。当時は、神道の神さまである豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)と櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)の守護神像が左右に祀られていました。
    しかし、1868年(明治元年)に明治政府が発令した神仏分離令により、仏教寺院である浅草寺には、この2柱の神さまの像を祀ることができなくなりました。そこで、浅草寺はこの2柱の像を浅草神社に遷座し、代わりに鎌倉の鶴岡八幡宮にあった仏教の守護神である広目天(こうもくてん)と持国天(じこくてん)の像を二天門に安置。これに伴い、正式名称が随身門から二天門に変更されました。
    その後、第二次世界大戦により2柱の像は焼失。現在は、上野の寛永寺(かんえいじ)の四代将軍徳川家綱霊廟にあった持国天と増長天(ぞうちょうてん)の像が祀られています。持国天と増長天は、四天王と呼ばれる仏さまとして知られていますが、四天王は仏教の守護神であることから武装した姿。どちらも、鎌倉時代以降に流行した複数の木材を組み合わせる技法「寄木造」により造られています。
    浅草中央部エリア
  • 山谷は、荒川区と隣接した地域にあり数多くの簡易宿泊所があります。これは戦後、東京都によって被災者を仮の宿泊施設に集めたことが簡易宿泊所へとつながり、高度経済成長期の頃には日本有数の日雇労働者の滞在場所となりました。現在では、日雇労働者の高齢化や景気の低迷により、従来の労働者に代わって、外国人の利用が増えています。
    奥浅草エリア
  • 正寶院(しょうぼういん)は享禄3年(1530)の創建と言われ、江戸期にはすでに「飛不動」の通称で知られていました。古くより「旅人の守り本尊」「厄飛ばしのお不動様」として信仰されてきましたが、昭和期からは航空安全の守護神としても有名になり、航空関係者や宇宙関係者などが海外からも多く参拝に訪れます。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 伝法院通りは、仲見世通りと六区興行街を結び、浅草通りの裏通り道として早くから賑わってきました。つくばエクスプレス開業時には来街者を引き込み、街に回遊性を持たせるため、伝法院通り江戸まちづくり景観整備事業と銘打って、正面外観の改修や統一看板の設置など、江戸情緒あふれる街並みを再現する景観整備を進めてきました。
    浅草中央部エリア
  • 浅草寺本堂の東側、石造大鳥居をくぐったところに位置し、「三社さま」の名で親しまれる浅草の総鎮守。毎年5月に行われる日本を代表する祭礼の一つ、「三社祭」は東京の初夏の風物詩。「大行列」や無形文化財「びんざさら舞」のほか、神輿を担いで浅草を巡行する「神輿渡御」が見どころです。町を練り歩く担ぎ手たちの威勢良い掛け声が響き渡り、浅草の町がまつり一色に染まります。
    6月の「夏越し(なごし)の大祓」では、茅草で作られた輪の中(茅の輪)が設置されます。それを八の字に三回通って穢れを祓うことで疫病や災厄から逃れ、福徳があると伝えられる行事です。

    本殿には浅草寺のご本尊である聖観世音菩薩像を見つけた漁師の兄弟とともに、尊像として奉安した郷土の文化人、土師真中知(はじのなかとも)の3人が祀られています。江戸時代に徳川家光が寄進した社殿は本殿・幣殿と拝殿の間が渡り廊下で繋がる建築様式。国の重要文化財に指定されています。また、浅草名所七福神のひとつとしても知られ、恵比須像が祀られています。
    浅草中央部エリア
  • 浅草演芸ホールは、初心者でも気軽に落語を楽しめる伝統的な寄席(よせ)です。365日休まず公演を行っており、落語のほか漫談、マジック、ものまねなどバラエティーに富んだ演目が上演されています。寄席と聞くと敷居が高いイメージがあるかもしれませんが、囃家(はなしか)さんは喋りのプロ。すぐに巧みな話芸に引き込まれ、予備知識が無くても楽しめます。
    ホール内で飲食できるのも魅力のひとつ。売店でお弁当やお菓子を買ってゆっくり番組を楽しんではいかがでしょう。数々の著名な落語家やお笑い芸人を輩出した笑いの殿堂で、昔ながらの下町文化を体感してみてください。
    浅草中央部エリア
  • 上野恩賜公園内の東照宮の入り口付近にあり、寛永8年(1631)、佐久間勝之が奉納した石灯籠です。高さ約6m、笠石の周囲約4mとあまりにも巨大な灯籠のため「お化け灯籠」と呼ばれています。名古屋の熱田神宮の石灯籠、京都南禅寺の大石灯籠と合わせて日本三大石灯籠のひとつに数えられています。
    上野・御徒町エリア
  • 曹源寺(かっぱ寺)は、江戸時代には大雨のたびに掘割の溢れた水に苦しむ住民のために雨合羽商の喜八は私財を投じて水はけ工事を行い、これを河童が手伝って瞬く間に完成させたといわれています。この噂が広まり「かっぱ寺」とも呼ばれ、特に水に縁のある商売人から信仰されています。
    浅草中央部エリア
  • 徳川家霊廟は、江戸幕府の将軍職を務めた徳川将軍家歴代の墓所のことで、東京の寛永寺、増上寺、日光の輪王寺にあります。上野寛永寺墓地には、徳川将軍15人のうち6人(家綱、綱吉、吉宗、家治、家斉、家定)が眠っています。厳有院(家綱)霊廟と常憲院(綱吉)霊廟の建築物群は、昭和20年(1945)の空襲で大部分を焼失しました。
    上野・御徒町エリア
  • 上野恩賜公園内の竹の台噴水東側にある銅像で、昭和26年(1951)に福島県出身の玉應不三雄によって建立されました。高さ4.5m(石台を含む)の全身立像です。英世は福島の貧農に生まれ、北里柴三郎博士に師事し、ロックフェラー研究所に入り、梅毒の病原体を発見、アフリカで黄熱病の研究中感染して、死去しました。
    上野・御徒町エリア
  • 祈る者に十種福を授ける仏様が祀られている天王寺は鎌倉時代の創建といわれ、都内有数の古寺です。江戸時代には「富くじ」興行があり、目黒の滝泉寺、湯島天神と共に江戸三富と呼ばれて賑わいました。幸田露伴の「五重塔」のモデルとなった天王寺五重塔は昭和32年(1957)に焼失しましたが、その跡地は今も谷中霊園に残っています。
    谷中エリア
  • 伊能忠敬は、江戸時代の商人・測量家で、寛政12年(1800)から文化13年(1816)までの17年をかけて全国を測量して「大日本沿海輿地全図」を完成させました。歴史上はじめて国土の正確な姿を明らかにし、初めて金星の子午線経過を観測した人物です。「東河伊能先生之墓」と記された墓は源空寺(げんくうじ)にあります。
    上野・御徒町エリア
  • 日暮里駅北口から御殿坂を上っていくと下る階段があります。階段から眺める夕日が美しいことから名付けられました。
    谷中エリア
  • 江戸たいとう伝統工芸館には、江戸庶民の町、江戸文化発祥の町として栄えてきた台東区で、受け継がれてきた伝統工芸への関心を深めることができる工芸品が展示されています。
    浅草中央部エリア

当サイトでは、利便性の向上と利用状況の解析、広告配信のためにCookieを使用しています。
サイトを閲覧いただく際には、Cookieの使用に同意いただく必要があります。
詳細はこのサイトについてをご確認ください。