古き良き街並みが残るノスタルジックな「谷中・根岸・入谷・金杉」
歴史ある寺院や、古き良き街並みが今も残る台東区「谷中・根岸・入谷・金杉」。近年では、アートとカルチャーの発信地として注目される一方、古くから文人に愛されていたように、今も住みやすい街として人気があるエリアをご紹介します。
「谷中」ってどんなところ?
JR日暮里駅の西側にある谷中エリア。江戸時代に、都市計画によって寺院が集められたことで門前町として発展しました。その後の震災や戦災での被害も比較的少なかったため、今でも昔ながらの古い街並みが残っており、「美しい日本の歴史的風土100選」にも選ばれています。
また、東京三大霊園の一つでもあり、渋沢栄一、横山大観など数多くの著名人が眠る「谷中霊園」や、桜が美しく咲き誇る「さくら通り」は、このエリアの名所として広く知られています。近年では、昔ながらの商店街やアートとカルチャーの発信地としても注目されており、街歩きを楽しむ人の姿も多く見られるようになりました。
また、東京三大霊園の一つでもあり、渋沢栄一、横山大観など数多くの著名人が眠る「谷中霊園」や、桜が美しく咲き誇る「さくら通り」は、このエリアの名所として広く知られています。近年では、昔ながらの商店街やアートとカルチャーの発信地としても注目されており、街歩きを楽しむ人の姿も多く見られるようになりました。
東京下町レトロ「谷中銀座商店街」
JR日暮里駅西口から緩やかに上る御殿坂を歩いて行くと、美しい夕焼けを眺めることができる階段「夕やけだんだん」に辿り着きます。眼下には、下町の郷愁漂う景色が広がり、その中心に昭和の懐かしい景観を残す「谷中銀座商店街」があります。
全長約170mの通りには、飲食店や日用品店をはじめ、さまざまな業種のお店が立ち並び、東京の下町レトロを感じられるスポットとして、国内外から多くの観光客が訪れ、散策を楽しんでいます。
全長約170mの通りには、飲食店や日用品店をはじめ、さまざまな業種のお店が立ち並び、東京の下町レトロを感じられるスポットとして、国内外から多くの観光客が訪れ、散策を楽しんでいます。
小さなギャラリーが点在する「谷中」でアート巡り
谷中エリアは、銭湯をリノベーションしたギャラリーや木造アパートを改造したカフェ&ギャラリーなど、個性的な空間が点在するアートの街。アーティストや職人が作品を制作するアトリエが数多くあり、東京藝術大学に通う学生も多いことから、現代アートや伝統工芸など、さまざまなジャンルの作品展示を観ることができ、アート巡りの旅を楽しむのにうってつけのエリアです。
建築物としても価値のある美術館「朝倉彫塑館(あさくらちょうそかん)」
彫刻家として初めて文化勲章を受章した朝倉文夫(1883~1964)の住居兼アトリエを公開する美術館。朝倉作品のほか、随所に蔵書や掛軸、陶磁器などのコレクションを展示しています。
朝倉が自ら設計した、鉄筋コンクリート造のアトリエ棟と木造の住居棟からなる建物は、異なる素材が違和感なく調和しています。広く門戸を開放し弟子を育成した「朝倉彫塑塾」の教育の場としても使われました。巨石と樹木が濃密な空間を作り出す「五典の池」を中心とした中庭、日本における屋上緑化の先駆けともいえる屋上庭園など、朝倉独自の美学や哲学、教育論も、この建物に色濃く反映されています。
彫刻作品や芸術品を鑑賞する美術館という側面だけでなく、庭園や建築の価値も感じられる施設です。朝倉の芸術思想の特質である自然観を表す庭園は、その芸術上・観賞上の価値が評価され、敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されています。
朝倉が自ら設計した、鉄筋コンクリート造のアトリエ棟と木造の住居棟からなる建物は、異なる素材が違和感なく調和しています。広く門戸を開放し弟子を育成した「朝倉彫塑塾」の教育の場としても使われました。巨石と樹木が濃密な空間を作り出す「五典の池」を中心とした中庭、日本における屋上緑化の先駆けともいえる屋上庭園など、朝倉独自の美学や哲学、教育論も、この建物に色濃く反映されています。
彫刻作品や芸術品を鑑賞する美術館という側面だけでなく、庭園や建築の価値も感じられる施設です。朝倉の芸術思想の特質である自然観を表す庭園は、その芸術上・観賞上の価値が評価され、敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されています。
「谷中」の神社・仏閣
江戸時代、上野に寛永寺が創建されたことに伴い、隣接する谷中にも多くのお寺が建てられました。
さらに幕府の政策や、明暦の大火(1657年)をきっかけに、多くの寺院が江戸中心部から移されることになり、今でも多くの神社・仏閣が現存しています。
さらに幕府の政策や、明暦の大火(1657年)をきっかけに、多くの寺院が江戸中心部から移されることになり、今でも多くの神社・仏閣が現存しています。
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浄名院(じょうみょういん)徳川4代将軍である家綱公の母「宝樹院」の菩提所として栄え、境内には「八万四千体地蔵」と言われる2万5千体を超える像が造立する「浄名院」。「へちま寺」とも呼ばれ、へちま地蔵に祈願すれば喘息治癒の功徳があるとされています。
毎年旧暦の8月15日(十五夜)には、「へちま加持祈祷会」が行われ、全国からお札を求める参拝者が訪れます。 -
観音寺江戸時代の区画整理により神田から現在地に移転。瓦と粘土を交互に積み重ねて造られた築地塀(ついじべい)は、幕末頃に作られたもので、国の登録有形文化財に指定されています。
また、赤穂義士ゆかりの寺としても知られ、境内にある四十七士の供養塔には、多くの「忠臣蔵」ファンが訪れています。 -
全生庵(ぜんしょうあん)戊辰戦争で西郷隆盛を説き、勝海舟との会談を成立させた山岡鉄舟居士が、幕末から明治維新にかけて国事に殉じた人々の菩提を弔うために建立した「全生庵」。
落語家 初代三遊亭圓朝の墓がある他、怪談噺の参考に圓朝がコレクションしていた幽霊画五十幅なども所蔵されており、毎年8月に開催される「谷中圓朝まつり」で一般公開されています。 -
延壽寺(えんじゅじ)健脚の神様「日荷上人(にちかしょうにん)」を祀る「延壽寺」は、マラソンやジョギング愛好者が数多く立ち寄る人気スポット。お堂の中には、上人様の力にあやかるべく、無数の履物をあしらった絵馬が奉納されています。
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瑞輪寺徳川家康公が天下統一を果たした後、幼少期に師事していた日新上人(にっしんしょうにん)への謝儀として日本橋馬喰町に創建された「瑞輪寺」。類焼により神田へ移転するも、再び類焼し、現在の地へ移転しました。 徳川幕府のお菓子司をつとめ、日本の水道の先駆けとなる江戸城・市中の用水事業を成功させた大久保主水の墓もあります。
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天王寺鎌倉時代の創建といわれ、祈る者に十種福を授ける仏様「毘沙門天」を祀る都内有数の古刹です。
江戸時代には、「江戸の三富」として知られ、幕府公認の富突(富くじ)の興行で大いに賑わいました。
また、かつての境内、今の都立霊園には、かつて五重塔が建っていましたが、放火事件で焼失。現在は史跡のみとなっていますが、幸田露伴の「五重塔」のモデルになったことでも知られています。
谷中エリアの主要観光地MAP
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「根岸・入谷・金杉」ってどんなところ?
台東区の北西に位置する「根岸・入谷・金杉」エリア。かつての文人達も愛した静かな住宅街で、少し路地に入れば、どこか懐かしい昔ながらの町並みや建造物が残る場所が見られます。
「根岸・入谷・金杉」の観光スポット
一葉記念館
明治時代の女流作家・樋口一葉を顕彰する文学館です。昭和36年(1961)、一葉がかつて暮らした台東区竜泉(当時は下谷龍泉寺町)に、我が国初の女流作家の単独文学館として開館しました。小説デビュー作「闇桜」や代表作「たけくらべ」の自筆未定稿、和歌の短冊や歌稿、小説の師・半井桃水や先輩作家・田邊花圃など交流のあった人びとに宛てた書簡、下谷龍泉寺町で荒物駄菓子屋を営んでいた時の仕入帳などの貴重な資料をはじめ、一葉が住んでいた頃の家並みや一葉旧宅の模型も所蔵・展示しています。特別展や朗読会など、さまざまなイベントも開催しています。
書道博物館
洋画家であり、書家でもあった中村不折(なかむらふせつ)が、その半生である40年余にわたって書道研究のために収集した、亀甲獣骨文、青銅器、石碑、鏡鑑、拓本、経巻文書などの書道に関する古美術品、考古出土品など、約16,000点が収蔵されています。
館内は、書道の原点である金石(きんせき)関係の資料を数多く展示する本館と、企画展や特別展を行う記念館で構成され、実際に筆を取り、自ら書道を体験するワークショップも定期的に開催されています。
館内は、書道の原点である金石(きんせき)関係の資料を数多く展示する本館と、企画展や特別展を行う記念館で構成され、実際に筆を取り、自ら書道を体験するワークショップも定期的に開催されています。
子規庵
明治時代の日本を代表する俳句と短歌の大家、正岡子規(まさおかしき)の旧居跡に建てられた記念館。結核に苦しみながらも、生涯にわたって文学作品を創作し続けた場所であり、故郷松山より母と妹を呼び寄せ、多くの友人、門弟に支えられながら、俳句や短歌の革新に邁進したと言われています。
現在の庵は1950年に再建されたものですが、実際に病室兼書斎として使われていた「「病牀六尺」の間」などを復元しており、当時の暮らしぶりだけでなく創作活動の様子を偲ぶことができます。
現在の庵は1950年に再建されたものですが、実際に病室兼書斎として使われていた「「病牀六尺」の間」などを復元しており、当時の暮らしぶりだけでなく創作活動の様子を偲ぶことができます。
「根岸・入谷・金杉」の神社・仏閣
真源寺(入谷鬼子母神)
真源寺は、入谷鬼子母神(いりやきしもじん)の名称で親しまれる、子育てや安産の守り神で知られています。元々は、性質凶暴な人間の子供を食べる悪神でしたが、釈迦が鬼子母神の末子を隠し、子を失う悲しみを実感させることで改心させたという逸話があります。
それ以降、子どもの守護神として広く信仰されるようになり、子育ての善神になった由来から、正式には「鬼」のツノ(一画目の点)がない漢字があてられています。
毎年7月の6日・7日・8日に開催される「入谷朝顔まつり」では、境内と寺院前にある言問通り(ことといどおり)にたくさんの露店が軒を連ねます。また、「下谷七福神」を構成する寺社のひとつでもあり、子宝や健康、富にご利益がある「福禄寿」が祀られています。
それ以降、子どもの守護神として広く信仰されるようになり、子育ての善神になった由来から、正式には「鬼」のツノ(一画目の点)がない漢字があてられています。
毎年7月の6日・7日・8日に開催される「入谷朝顔まつり」では、境内と寺院前にある言問通り(ことといどおり)にたくさんの露店が軒を連ねます。また、「下谷七福神」を構成する寺社のひとつでもあり、子宝や健康、富にご利益がある「福禄寿」が祀られています。
小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)
境内には、国の重要有形民俗文化財に指定されているミニチュアの富士山「富士塚」や、日本三大庚申に数えられる「庚申塚」、昭和を代表する囲碁棋士「藤沢秀行」の功績を顕彰した記念碑など見どころが多数。
月毎に変わる2種類の日本画の挿絵をあしらった御朱印も人気があります。
御祭神として祀られているのは、平安初期に実在した政治家・公卿「小野篁(おののたかむら)」。
「博学広才にして人の及ぶところではない。その絵は神に至る」と記されるほどの幅広い才能から、人間の限界を超えた多動の神として、仕事運、芸術・芸能上達、学問などのご利益があるといわれています。
江戸後期には、学問の神様である菅原道真公も遷され、境内にある末社を含めると、15柱もの神様がお祀りされています。
月毎に変わる2種類の日本画の挿絵をあしらった御朱印も人気があります。
御祭神として祀られているのは、平安初期に実在した政治家・公卿「小野篁(おののたかむら)」。
「博学広才にして人の及ぶところではない。その絵は神に至る」と記されるほどの幅広い才能から、人間の限界を超えた多動の神として、仕事運、芸術・芸能上達、学問などのご利益があるといわれています。
江戸後期には、学問の神様である菅原道真公も遷され、境内にある末社を含めると、15柱もの神様がお祀りされています。
正宝院(飛不動尊)
不動明王を本尊として祀る正宝院。
古くより旅人の守り本尊として、旅先まで飛んできて守ってくださる「空飛ぶお不動様」、または病魔や災難等を飛ばしてくださる「厄飛ばしのお不動様」として信仰されてきました。近年では、空飛ぶお不動様から結びつき、航空関係者や飛行機を利用する旅行者の信仰や、「航空安全」は「落ちない」ということから合格祈願の受験生、さらには「よく飛びますように」と願うゴルフ愛好家たちも参拝に訪れています。
「飛不動」という別称は、かつての住職が不動尊を携えて山で修行をしていたところ、ご本尊が留守の江戸の寺院に祈る人々が現れ、ご利益を授けるためにご本尊が一夜にして戻ったという奇跡から名付けられました。
真源寺同様、「下谷七福神」を構成する寺社のひとつでもあり、商売繁盛・大漁満足などのご利益がある「恵比寿」が祀られています。
古くより旅人の守り本尊として、旅先まで飛んできて守ってくださる「空飛ぶお不動様」、または病魔や災難等を飛ばしてくださる「厄飛ばしのお不動様」として信仰されてきました。近年では、空飛ぶお不動様から結びつき、航空関係者や飛行機を利用する旅行者の信仰や、「航空安全」は「落ちない」ということから合格祈願の受験生、さらには「よく飛びますように」と願うゴルフ愛好家たちも参拝に訪れています。
「飛不動」という別称は、かつての住職が不動尊を携えて山で修行をしていたところ、ご本尊が留守の江戸の寺院に祈る人々が現れ、ご利益を授けるためにご本尊が一夜にして戻ったという奇跡から名付けられました。
真源寺同様、「下谷七福神」を構成する寺社のひとつでもあり、商売繁盛・大漁満足などのご利益がある「恵比寿」が祀られています。
根岸・入谷・金杉の主要観光地MAP
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