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該当件数320件
  • 寿湯は、上野という都会にありながら銭湯という概念の常識を超えた様々なお風呂が楽しめ、露天風呂が自慢の銭湯です。お風呂の温度は40度から45度の3種の湯に設定してあり老若男女楽しめます。また男女ともにサウナも人気のお風呂になっております。
    上野・御徒町エリア
  • 秋葉原駅から御徒町駅間の高架下にある、「日本のものづくり」をテーマとした約50店舗が集まる施設「2k540 AKI-OKA ARTISAN」。
    工房とショップがひとつになった店舗が多く、商品のこだわりを聞きながらお気に入りの逸品を探したり、ものづくりの体験が出来るワークショップに参加して自分だけのオリジナル商品を作ったり、クリエイターと直接コミュニケーションをとりながらのショッピングが楽しめます。飲食店もあるのでランチやカフェ利用もおすすめ。
    ここでしか買えない商品や一点物を扱うブランドなど、大量生産の製品にはないぬくもりと、新しいデザインの商品に出会うことができます。

    名前の由来は、東京駅から2k540m付近にあることから「2k540」、秋葉原駅(AKIHABARA)と御徒町駅(OKACHIMACHI)の間にあるという造語「AKI-OKA」、フランス語で「職人」を意味する「ARTISAN」を組み合わせたもの。
    施設周辺は、江戸の文化を伝える伝統工芸職人の街だったという背景もあり、現在もジュエリーや皮製品を扱うお店が多く、高いセンスとクオリティをもった店舗が集結しています。
    上野・御徒町エリア
  • 江戸時代、谷中には大円寺と福泉院に二つの笠森稲荷がありました。福泉院前の鍵屋という水茶屋にいたのが江戸で評判の美人お仙です。幕末の上野戦争で福泉院焼失し廃寺になり笠森稲荷は寛永寺の子院養寿院に移転しました。のち、明治26年に福泉院跡に建立されたのが功徳林寺(くどくりんじ)で、明治末期には稲荷社が祀られました。
    谷中エリア
  • 東京初の駅直結デパートとして1931年に開業した「松屋浅草」は、当時アメリカや西洋で流行したアール・デコ様式を採用したモダンな外装が特徴です。屋上に遊園地やこども動物園を作るなど斬新なアイデアで、当時の人々の話題を集めました。
    現在は、B1階から地上3階までが松屋浅草の売り場。2012年のリニューアルで建設当時のシンボル・大時計も復活し、昭和の面影を残す百貨店は今でも人々に親しまれています。地上1階は 浅草らしい下町銘菓をはじめ、全国からセレクトされた銘菓が並ぶ「浅草すいーつ小町」。東武線「浅草駅」直結なので、お土産購入にも便利です。
    浅草中央部エリア
  • 有富蓄財、有徳、財宝、五穀豊穣の神様が祀られている護国院は、天海僧正の弟子の生順が釈迦堂の別当寺として寛永年間(1624-1644)初期に創立した寺で、当時は現在の東京国立博物館右手裏に位置していました。こちらの大黒天画像は徳川三代将軍家光公が贈ったものと伝えられています。御前立の大黒天木像は台東区文化財に指定されています。
    谷中エリア
  • 浅草雷門前に位置し、観光案内をメインとする複合文化施設です。4か国語(日本語、英語、中国語、韓国語)に対応した案内を行い、外貨両替所も併設。情報コーナーは、観光情報雑誌や検索用パソコンが無料で利用できます。また、クチコミ情報が書かれたコミュニケーションボードも閲覧できるので、とっておきの旅のヒントを得られるかも。多目的スペースでは、映像を活用し台東区のみどころやイベント、歴史、文化を紹介。通常、イスが配備されているので休憩場所としても利用できます。
    ここを訪れたなら、8階の展望テラスも必見です。雷門から浅草寺へと続く仲見世や、隅田川や東京スカイツリーも一望できるビュースポットとなっています。

    浅草の街並みに溶け込む平屋を重ねたようなおしゃれな外観は、日本を代表する建築家・隈研吾氏によるデザイン。木の温もりあふれる空間は、初めて日本を訪れる海外ツーリストにも優しい印象を与えています。
    浅草中央部エリア
  • 「セイコきもの文化財団」が、着物文化の普及向上を目的に平成2年(1990)に開設した美術館です。着物に関する資料の収集・調査研究を行い、江戸時代から明治・大正時代の着物や歌舞伎の舞台衣装など企画展示を行っていました。平成18年(2006)に休館となりましたが、着物に関する調査研究等は引き続き本財団で行っています。
    平成18年(2006)に休館
    上野・御徒町エリア
  • 170年以上の歴史を誇る「浅草花やしき」は、レトロな雰囲気が魅力の遊園地。日本現存最古ローラーコースターや華やかなメリーゴーランドといった昔ながらのアトラクションはもちろん、ライブやイベントが開催される多目的ホール「浅草花劇場」、遊園地に入園しなくても楽しめる「ガシャポンのデパート浅草花やしき店」も併設され、さまざまな娯楽を楽しめる浅草の「遊びの場」として親しまれています。

    浅草花やしきは、江戸時代末期の1853年に造園師・森田六三郎により、牡丹と菊細工を主とした花園(かえん)として誕生しました。明治時代に入ると遊戯施設が置かれ、珍鳥や猛獣、見世物の展示などでも評判に。全国有数の動物園としても知られるようになりました。戦後は遊園地として再開し、温かさと懐かしさを併せ持つレトロなアトラクションや雰囲気で人気のスポットとなっています。幼児(0歳~4歳)は入園とのりもの料が無料で、年齢や身長制限の無いアトラクションもあり、子どもの遊園地デビューにもぴったりです。
    浅草中央部エリア
  • 浅草ロック座は、浅草六区(明治期に七つの区画に整備された際に六番目に整備されたことに由来)にあります。昭和22年(1947)にストリップ劇場としてスタート。客席145席を有してメイン出演者とバックダンサーによる華やかなレビューショーが楽しめます。
    浅草中央部エリア
  • 隅田川は、東京湾に注ぐ全長23.5kmの一級河川。古くから下町の人々の生活の一部として親しまれてきた川で、江戸時代には暮らしや経済を支える輸送の大動脈として、大きな役割を担っていました。
    春になると、屋形船に乗って隅田川両岸に続く桜並木を楽しむ姿も見られ、東京スカイツリーとのコラボレーションも、まさに絵になる光景です。また、毎年7月の最終土曜日に開催される「隅田川花火大会」は、東京の夏の風物詩になっており、こちらも多くの見物客でにぎわいます。

    川沿いには「隅田川テラス」と呼ばれる遊歩道も整備されています。心地よい風に吹かれながら、緑化が施された遊歩道で散歩やジョギングを楽しんだ後は、オープンカフェでほっと一息つくのもおすすめです。
    隅田川にかかる橋々も、それぞれ特徴的な形をしていて見応えは抜群。せっかくなら水上バスに乗船して、優雅に観察してみてはいかがでしょうか。
    浅草中央部エリア 奥浅草エリア 浅草橋・蔵前エリア
  • 水上バスやクルーザーで隅田川や東京湾のクルージングが楽しめる「東京都観光汽船」。浅草の乗船場からは、浜離宮・お台場海浜公園・豊洲・日の出桟橋へ行くルートなど、東京観光に便利な便が多数出航しています。また、東京スカイツリーをバックに綺麗な写真が撮れるスポットなどを巡る約30分の「浅草周遊コース」も。初日の出やお花見、隅田川花火大会、クリスマスなどのイベント時は、いつもと違う目線から東京の景色を堪能できるイベントクルーズも企画されています。
    漫画・アニメ界の巨匠、松本零士氏が宇宙船をイメージしてデザインした船や、約300人が乗船可能なアメリカンな大型船など多種多様な船体も魅力。目的や人数にあわせてコースや時間帯を選べるチャータークルーズも行われています。
    浅草中央部エリア
  • 昭和20年(1945)の「東京大空襲」の犠牲者を悼む慰霊碑で平成17年(2005)に海老名香葉子さん(故林家三平の夫人)によって上野恩賜公園内に建立されました。この塔は東京大空襲を忘れないため・同じ悲劇が起こらないよう、願いをこめて、大空襲で亡くなったご家族がモチーフになっている平和祈念母子像・時計塔です。
    上野・御徒町エリア
  • 平成15年(2003)に、集団就職で上京した中小企業経営者ら有志団体によって上野駅広小路口前のガード下に建立された歌碑です。「あゝ上野駅(ああうえのえき)」は、1964年に発表された高度成長期の世相を描いた代表的ヒット曲で、いわゆる団塊の世代を中心に「心の応援歌」として多くの人々に勇気と感動を与えました。
    上野・御徒町エリア
  • 651年に日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まるとされ、前九年の役で源義家が東国鎮定に向かう折、白い鳥が飛び立ち浅瀬を知り、隅田川を渡ることができたことから、その名を鳥越大明神と改めたと伝えられる神社です。
    江戸時代までは三社の神社から成り、約2万坪の広大な敷地を所領していましたが、天領からの米を収蔵する蔵や、大名屋敷などを建てるために没収され、現在の鳥越神社が残りました。
    毎年6月上旬に行われる鳥越祭では、都内最大級を誇る千貫神輿(約4トン)が氏子町内を渡御し、夜の宮入道中では、提灯に照らされた神輿が荘厳かつ幻想的な光景をつくりだします。例年、数十万人の人出があり、多くの観客で賑わう蔵前の初夏の風物詩になっています。
    社務所では、社紋の七曜紋と月星紋がデザインされた御朱印帳の販売や、鳥越祭の開催期間中は限定御朱印も頒布されます。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 1627年に創建された、上野公園に鎮座する上野東照宮。徳川家康公(東照大権現)、徳川吉宗公、徳川慶喜公を祭神とし、出世、勝利、健康長寿にご利益があるとされている神社です。戦争や地震でも崩壊を免れた貴重な江戸初期の建築物として、国の重要文化財に指定されています。春は牡丹・桜、秋は紅葉やダリア展、お正月は初詣や冬ぼたん鑑賞の地として、年間を通して国内外からの参拝者で賑わうスポットです。

    贅沢に金箔が使われた豪華絢爛な金色殿(社殿)などの建造物は、三代将軍・徳川家光公が、日光東照宮までお参りに行けない江戸の人々のために建てられたそう。社殿内部は文化財保護のため通常は非公開ですが、特別公開が実施されることもあるので、拝観を申し込んでみてはいかがでしょうか。
    授与所では、期間・数量限定のお守りや御朱印も授与されているので要チェック。パンダのお守りや手塚治虫のユニコのお守りなど愛らしいものもありますよ。
    上野・御徒町エリア
  • 都内で最も古い「お稲荷様」として知られる下谷神社は、730年に創建された歴史深い神社です。大年神と日本武尊を祀っていることから、商売繁盛や家内安全のご利益があるとされています。5月に行われ、東京の下町で一番早い夏祭りと言われる「下谷神社大祭」は1000年以上の歴史があり、本社神輿の渡御を行う「本祭り」と、町会神輿の渡御だけの「陰祭り」が隔年に行われています。
    本殿には、日本を代表する画家 横山大観による「龍」の天井絵が掲げられており、その壮大な美しさは見る者を圧倒します。俳句の大家・正岡子規の「句碑」や、初代・三笑亭可楽の寄席が境内で初めて開かれたという「寄席発祥之地」の石碑などの見どころも。
    オリジナルの朱印帳の販売や、月や日によって限定の御朱印頒布も行っています。
    上野・御徒町エリア
  • 浄名院は、寛文6年(1666)、上野寛永寺36坊のひとつとして開かれました。江戸時代の寺の隆盛の陰で不徳な僧も生まれたため、妙立和尚が不徳な僧を戒め、清い信仰を広めようと安楽律宗を開き、これを引き継いだ38世妙運大和尚が明治12年に五濁より民衆を救い仏恩に報いるために八万四千体の石地蔵建立を発願しました。現在では2万5千体を超える像が造立されています。
    谷中エリア
  • 浅草迷子しらせ石標は、江戸時代安政7年(1860)の復元として、昭和32年(1957)に浅草寺本道前に建立されました。石標は当時、迷子や尋ね人の掲示板の役割を果たしていました。また、安政の大地震による吉原楼閣の犠牲者の慰霊碑でもあります。
    浅草中央部エリア
  • 俳句・短歌の革新者正岡子規(まさおかしき)が、1894(明治27)年から亡くなるまでの8年半、暮らした家です。
    子規は門弟や友人たちと文学や美術談義を行い、作品を発表し続け俳句や短歌、文章の革新に邁進しました。
    故郷松山より母と妹を呼び寄せ、結核に苦しみながらも34歳で亡くなるまで精力的に文学作品を創作し続けた場所でもあります。

    1945(昭和20)年の空襲で焼失しましたが、その5年後、当時の間取りのまま再建され、現在の庵は東京都指定史跡として明治の雰囲気が体感できる魅力的な空間となっています。

    子規が病室兼書斎にしていた「病牀六尺の間」などを復元しており、明治の暮らしだけでなく創作の様子を偲ぶことができます。現在、一般のボランティア団体により大切に維持・保存されています。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 谷中霊園は、谷中にある都立霊園です。明治7年(1874)明治政府は天王寺の寺域の一部を引き継ぎ、東京府管轄の公共墓地として谷中墓地を開設しました。その後、昭和10年(1935)に谷中霊園と改称されました。園内には寛永寺や天王寺の墓地が入り組んでおり、面積は約10万平方m、約7000基の墓が並んでいます。園内を通る「さくら通り」は桜の名所となっています。
    谷中エリア
  • 世界のカバン博物館は、世界約50ヶ国から収集された希少価値の高いコレクションをはじめ、カバンの歴史・カバンづくりの技術、文化に触れることができるミュージアムです。著名人から寄贈されたカバンの展示や企画展なども行われます。
    浅草中央部エリア
  • 日本画家・横山大観が50年間暮らした池之端の自宅兼画室及び庭園を、記念館として公開しています。建物と庭園は大観自身による設計で、貴重な文化財であることから、「横山大観旧宅及び庭園」として、国の史跡・名勝に指定されました。大観作品をそのまま床の間に掛けて展示しており、日本画本来の楽しみ方を体験できる貴重な空間です。
    上野・御徒町エリア
  • 玉川兄弟(庄右衛門・清右衛門)は、江戸時代初期、江戸市民の飲料水確保のため玉川上水を開発しました。四代将軍将軍家綱の頃、幕命が下り承応3年(1654)に開削工事は完成しました。現存する玉川上水は、江戸時代初期の土木技術を今日に伝える貴重な文化財です。お墓は聖徳寺(しょうとくじ)にあります。
    浅草中央部エリア
  • 佐野善左衛門政言は江戸時代中期の武士で、天明4年(1784)、江戸城内で時の権力者田沼意知(田沼意次の子)に刃傷におよびました。意知は翌日死亡し、政言は切腹となり、28歳で一生を閉じました。この刃傷事件の翌日から高価の米価が下落し、老中田沼意次も失脚しました。お墓は徳本寺(とくほんじ)境内にあります。
    浅草中央部エリア
  • 隅田川の両岸に位置する「隅田公園」は、川沿いの心地よい散策を楽しめる憩いの場。春には桜が咲き誇り、国内外から多くの観光客が花見に訪れます。浅草には東京スカイツリーを眺められる場所が数多くありますが、なかでも隅田公園は絶好のスポット。春は桜とスカイツリーの共演も人気です。
    川沿いにある「隅田公園オープンカフェ」は、店舗の一部を屋外にした開放的なカフェ・レストラン。綺麗な景色を眺めながら、コーヒー片手にのんびりと過ごしても良いですね。また、クジラの滑り台が目印の「遊具広場」はブランコやアスレチックなどの遊具が設置された広場。子どもも思いっきり身体を動かせます。

    隅田川橋梁に設置された全長約160mの「すみだリバーウォーク」は、東京スカイツリーまでの最短距離ルートのひとつ。歩道橋の途中にあるガラス床から隅田川を見下ろしたり、すぐ横を走る電車の迫力を楽しんだり、隅田川散策にいかがでしょうか。
    浅草中央部エリア
  • 上野恩賜公園内の通称大仏山といわれ、かつて大仏殿があった場所に、昭和47年(1972)建立されたパゴダ(仏塔)です。寛永8年(1631)、堀直寄によって大仏が寄進されましたが、度々の地震や火災で倒壊し、現在は、大仏のお顔のみが保存され、大仏再建の願を込めて、お身体があった場所にパゴダが建てられました。
    上野・御徒町エリア
  • 伝法院通りは、仲見世通りと六区興行街を結び、浅草通りの裏通り道として早くから賑わってきました。つくばエクスプレス開業時には来街者を引き込み、街に回遊性を持たせるため、伝法院通り江戸まちづくり景観整備事業と銘打って、正面外観の改修や統一看板の設置など、江戸情緒あふれる街並みを再現する景観整備を進めてきました。
    浅草中央部エリア
  • 日本の美術団体としては最も古くからある、公益財団法人日本美術協会が運営する美術館。上野恩賜公園内にある美術館・博物館の中では唯一の私立美術館です。
    常設展示は行わず、毎年開催している美術館主催の現代美術展(VOCA展)、公募展(上野の森美術館大賞展、日本の自然を描く展)のほか、マンガから書展にいたるまで定期的に多彩なジャンルの独創的な企画展を開催しています。

    別館の1階には、小企画展などの開催もできる上野の森美術館ギャラリー、そして、3階には上野の森アートスクールが設置され、初心者から熟練者を対象とした油彩・アクリル、水彩、日本画のクラスや、週末に受講できる単発講座などを開催しています。
    上野・御徒町エリア
  • 三代将軍家光公が寛永19年(1642)に浅草に建立した三十三間堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先に当たっていたので「矢先稲荷」と名付けられたといわれています。拝殿の格天井には、神武天皇の御世からの「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されて、馬にまつわる歴史が一目瞭然に理解できます。
    浅草中央部エリア
  • 山谷は、荒川区と隣接した地域にあり数多くの簡易宿泊所があります。これは戦後、東京都によって被災者を仮の宿泊施設に集めたことが簡易宿泊所へとつながり、高度経済成長期の頃には日本有数の日雇労働者の滞在場所となりました。現在では、日雇労働者の高齢化や景気の低迷により、従来の労働者に代わって、外国人の利用が増えています。
    奥浅草エリア
  • 浅草寺の本坊である伝法院内には、江戸時代寛永年間(1624~44)に近江(滋賀県)の大名小堀遠州の作庭と伝えられている廻遊式庭園(面積約3700坪)があります。庭園内には茶室「天佑庵」や明治2年に本堂後方の塚より出土した古墳時代の石棺(長さ2.5m)があります。一般公開はしていませんが、不定期で特別公開されることがあります。
    浅草中央部エリア
  • 上野恩賜公園内の東照宮の入り口付近にあり、寛永8年(1631)、佐久間勝之が奉納した石灯籠です。高さ約6m、笠石の周囲約4mとあまりにも巨大な灯籠のため「お化け灯籠」と呼ばれています。名古屋の熱田神宮の石灯籠、京都南禅寺の大石灯籠と合わせて日本三大石灯籠のひとつに数えられています。
    上野・御徒町エリア
  • 上野恩賜公園内、不忍池の弁天島の天竜橋の向かい辺りに建てられている石碑で、徳川家康の愛用した眼鏡がかたどられています。東京の眼鏡業界の組合により昭和43年(1968)に建立されました。業界の発展に寄与した先覚者や建立者の名が刻まれています。
    上野・御徒町エリア
  • 浅草寺裏手にあります雷5656会館は、雷おこしの実際の製造を見学施設「浅草工房」と、ご自分で作ることができる「雷おこし製造体験」がございます。
    また、5階は「ときわホール」は発表会・催し物等の貸し会場として、4階は打合せなどでご利用いただける「貸しスペース」がございます。
    浅草中央部エリア
  • 落ち着いた色合いの浴室で、まるで高級リゾートのような雰囲気の改栄湯。そんな改栄湯の魅力の一つは、別名「美人の湯」ともよばれる「軟水」。地下120mから汲み上げたまろやかな井戸水を軟水化装置に通し、化粧水のようにトロトロな肌触りの軟水を作り出しています。改栄湯では浴槽のお湯からカランのお湯まですべてが軟水。お風呂上がりにはお肌しっとり、髪の毛さらさらになれることまちがいなしです。お風呂の種類も多く、高濃度浸透炭酸泉、シルキーバス、ジェットバス、サウナなど気分によって様々なお風呂を楽しめます。
    そしてお風呂上がりには、キンキンに冷えた生ビールやレモンサワーで乾杯するもよし、改栄湯名物こだわりの生乳ソフトクリームを食べるのもよし、どの年代の方々も、身も心も温まる幸せな空間となっています。オリジナルグッズの販売もありますのでお立ち寄りの際にはぜひ覗いてみてくださいね。
    奥浅草エリア
  • 浅草演芸ホールは、初心者でも気軽に落語を楽しめる伝統的な寄席(よせ)です。365日休まず公演を行っており、落語のほか漫談、マジック、ものまねなどバラエティーに富んだ演目が上演されています。寄席と聞くと敷居が高いイメージがあるかもしれませんが、囃家(はなしか)さんは喋りのプロ。すぐに巧みな話芸に引き込まれ、予備知識が無くても楽しめます。
    ホール内で飲食できるのも魅力のひとつ。売店でお弁当やお菓子を買ってゆっくり番組を楽しんではいかがでしょう。数々の著名な落語家やお笑い芸人を輩出した笑いの殿堂で、昔ながらの下町文化を体感してみてください。
    浅草中央部エリア
  • 西洋美術全般を対象とする日本で唯一の国立美術館。ヨーロッパで美術品の収集をしていた実業家の松方幸次郎のコレクション(松方コレクション)を基礎に、モネやルノワールなどの印象派の名作や、ゴッホ、ピカソといった有名作家の作品を広く展示しています。このコレクションは第二次世界大戦中にフランス政府に接収され、戦後に専用の美術館を創設することを条件に日本へ寄贈返還されました。

    本館の設計は、フランスで活躍した近代建築の巨匠ル・コルビュジエによるもの。「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の構成資産の一つとして東京初の世界文化遺産に登録されています。前庭にもロダンの彫刻が展示されており、散策しながら美術鑑賞を楽しめるのも魅力のひとつ。 ボランティア・スタッフと一緒に鑑賞する「美術トーク」や、解説を聞きながら本館や前庭を一緒に歩く「建築ツアー」など、初めての来館でも気軽に楽しめるプログラムも用意されています。
    上野・御徒町エリア
  • 文具資料館は、筆記用具や計算機の原型ともいえる品々が展示されており、文具の発達過程を知ることができる資料館です。伊達正宗が使用した鉛筆のレプリカ、最初に商品化された手回し計算機など、珍しい文具が多数展示してあります。
    浅草橋・蔵前エリア
  • スターの広場は、浅草公会堂の正面入口前にある広場です。広場には、大衆芸能の分野で多くの人々に愛され親しまれた浅草ゆかりの俳優、落語家、歌手など約300名を超える芸能人の方々の原寸大手型とサインを刻印したプレートがスターの広場、オレンジ通り沿いの花壇に並べられ、多くのファンに親しまれています。
    浅草中央部エリア
  • 吉原弁財天は、千束三丁目にある花園公園にあります。昭和10年吉原神社に合祀されたため、正確には神社ではありませんが、現在も鎮魂碑など多くの遺構を残しております。
    奥浅草エリア

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