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該当件数319件
  • 昭和52年(1977)にこけら落としされた浅草公会堂は、毎年1月の新春浅草歌舞伎などの演芸・演劇などの興業や、集会室や展示会などが催されます。客席1000席の大ホールには、浅草寺三社祭や広重の「江戸百景 浅草仲見世」の情景が描かれた鍛帳が雰囲気を創り上げています。
    浅草中央部エリア
  • 平賀源内は、江戸中期に活躍した本草学者、科学者、戯作者です。源内焼・寒暖計・エレキテル(摩擦起電器)を創作。浄瑠璃本、また洋画なども手がけ、司馬江漢らに影響を与えました。安永8年(1779)に人を誤って殺傷して捕えられ獄死しました。お墓は台東区橋場二丁目の住宅街にあります。
    奥浅草エリア
  • 白鬚橋は隅田川にかかる橋で、橋名は東岸にある「白鬚神社」にちなんでいます。創架は大正3年(1914)で近在の人々が基金を募り完成した木橋でした。現在の橋は、昭和6年(1931)に竣工し、橋長は168m、幅員は22mのアーチ形式です。
    奥浅草エリア
  • 浅草寺本堂前に佇む朱塗りの2階建て門。左右に阿形像と吽形像の仁王尊像が安置されています。門裏に掛けられている重さ約500kgの大わらじは、仁王さまの力を表し魔除けとして伝わるもの。台東区の友好都市のひとつ、山形県村山市の有志により奉納されました。また、小船町の大提灯や重厚感あふれる吊灯篭も存在感を放ち、参拝客を迎えてくれます。

    宝蔵門は、平安時代、武蔵守に任命された平公雅(たいらのきみまさ)により、祈願成就の御礼として942年に建立されました。数度の火災を経て、現在の門は1964年にホテルニューオオタニ創始者・大谷米太郎の寄進により本瓦葺きで再建された(2007年チタン瓦に葺き替え)楼門です。上層部には仏教の経典である『元版⼀切経(げんばんいっさいきょう)』や寺宝が収蔵されています。
    浅草中央部エリア
  • 浅草寺の本坊である伝法院内には、江戸時代寛永年間(1624~44)に近江(滋賀県)の大名小堀遠州の作庭と伝えられている廻遊式庭園(面積約3700坪)があります。庭園内には茶室「天佑庵」や明治2年に本堂後方の塚より出土した古墳時代の石棺(長さ2.5m)があります。一般公開はしていませんが、不定期で特別公開されることがあります。
    浅草中央部エリア
  • 彫刻家として初めて文化勲章を受章した朝倉文夫(1883~1964)の住居兼アトリエを公開する美術館。朝倉作品のほか、随所に蔵書や掛軸、陶磁器などのコレクションを展示しています。
    朝倉が自ら設計した、鉄筋コンクリート造のアトリエ棟と木造の住居棟からなる建物は、異なる素材が違和感なく調和しています。広く門戸を開放し弟子を育成した「朝倉彫塑塾」の教育の場としても使われました。巨石と樹木が濃密な空間を作り出す「五典の池」を中心とした中庭、日本における屋上緑化の先駆けともいえる屋上庭園など、朝倉独自の美学や哲学、教育論も、この建物に色濃く反映されています。
    彫刻作品や芸術品を鑑賞する美術館という側面だけでなく、庭園や建築の価値も感じられる施設です。朝倉の芸術思想の特質である自然観を表す庭園は、その芸術上・観賞上の価値が評価され、敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されています。
    谷中エリア
  • 正寶院(しょうぼういん)は享禄3年(1530)の創建と言われ、江戸期にはすでに「飛不動」の通称で知られていました。古くより「旅人の守り本尊」「厄飛ばしのお不動様」として信仰されてきましたが、昭和期からは航空安全の守護神としても有名になり、航空関係者や宇宙関係者などが海外からも多く参拝に訪れます。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 桜橋 は、台東区今戸と 墨田区向島との間で、隅田川両岸の 「隅田公園」 を結ぶ歩行者専用橋です。橋の創架は昭和60年(1985)、「隅田公園」 の施設の一つとして台東区と墨田区の共同事業で架橋されました。「隅田川」 では最初のそして唯一の歩行者専用橋です。
    奥浅草エリア
  • 昭和8年(1933)に京成本線開通にあわせ、開業した駅です。ホームが短く4両編成の電車しか停車できないことによる乗降客の減少や、建物の老朽化のため、平成9年(1997)に営業休止となりました。駅事務室、ホームは地下にあり、ホームは電車の通過中に見ることができ、外観では入口にあたる建物を見ることができます。
    上野・御徒町エリア
  • 日本画家・横山大観が50年間暮らした池之端の自宅兼画室及び庭園を、記念館として公開しています。建物と庭園は大観自身による設計で、貴重な文化財であることから、「横山大観旧宅及び庭園」として、国の史跡・名勝に指定されました。大観作品をそのまま床の間に掛けて展示しており、日本画本来の楽しみ方を体験できる貴重な空間です。
    上野・御徒町エリア
  • 「セイコきもの文化財団」が、着物文化の普及向上を目的に平成2年(1990)に開設した美術館です。着物に関する資料の収集・調査研究を行い、江戸時代から明治・大正時代の着物や歌舞伎の舞台衣装など企画展示を行っていました。平成18年(2006)に休館となりましたが、着物に関する調査研究等は引き続き本財団で行っています。
    平成18年(2006)に休館
    上野・御徒町エリア
  • 曹源寺(かっぱ寺)は、江戸時代には大雨のたびに掘割の溢れた水に苦しむ住民のために雨合羽商の喜八は私財を投じて水はけ工事を行い、これを河童が手伝って瞬く間に完成させたといわれています。この噂が広まり「かっぱ寺」とも呼ばれ、特に水に縁のある商売人から信仰されています。
    浅草中央部エリア
  • 江戸たいとう伝統工芸館には、江戸庶民の町、江戸文化発祥の町として栄えてきた台東区で、受け継がれてきた伝統工芸への関心を深めることができる工芸品が展示されています。
    浅草中央部エリア
  • 皮革産業資料館は、台東区の地場産業である皮革産業に関する製品や書籍、文献を収蔵・展示する資料館として昭和56年(1981)に開館しました。国内では唯一の皮革専門の資料館として貴重な存在です。展示品の中には元大関小錦の靴や長島茂雄氏のスパイクシューズなどもあります。
    奥浅草エリア
  • 地下鉄浅草駅は、昭和2年(1927)に東洋初に地下鉄開業した浅草~上野間の始発駅として誕生しました。重厚な鋼鉄製の柱や地下鉄開業当時のレトロなポスター、駅構内の出入り口の上屋など社寺のような和風デザインは、昭和初期のならではのモダンなセンスがうかがえます。
    浅草中央部エリア
  • こちらの三面大黒天は、創建した当初から安置されたもので、弘法大師の作と伝えられています。正面に大黒天、向かって右は弁財天、左が毘沙門天、後部は宝珠形光背を付けているユニークで徳のあるご尊像です。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 源空寺は、浄土宗の寺で、天正18年(1590)円誉上人が湯島に開山し、明暦3年(1657)の大火で浅草に移転しました。湯島の草庵で多くの信者を集めて、徳川家康も円誉に帰依し江戸城に召して法を聞いていたといわれています。慶長9年(1604)に家康は、寺地と法然上人源空の名にちなんだ源空寺の号を円誉に与えました。
    上野・御徒町エリア
  • 書道博物館は、洋画家であり書家でもあった中村不折により、昭和11年(1936)に開館されました。博物館には、亀甲獣骨文、青銅器、石碑、鏡鑑、拓本、経巻文書など不折が書道研究のために収集した、中国、日本の書道に関する古美術品、考古出土品など重要文化財12点、重要美術品5点を含む約16000点が収蔵されています。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 袋物参考館は、世界50ヶ国にも及ぶ民族の生活用具としてのバッグなど、およそ3000点を収集所蔵している参考館です。江戸時代の煙草入れや印籠、北欧のトナカイ皮革のバッグなど約300点を所蔵品の中から選び、常設展示しています。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 台東区を中心とした下町地域の文化や暮らしの様子を後世に伝える博物館です。1階では、古い町並みや建物の面影が多く残されていた台東区坂本(現・根岸三丁目)を舞台に、昭和30年代の下町の風情や暮らしを再現しています。2階は生活道具を紹介する導入展示と大型映像をはじめ、下町地域の歴史や出来事をたどることのできる資料を展示しています。また3階には企画展示室と、道具や玩具を体験し、調べることができるしたまち情報コーナーがあります。
    上野・御徒町エリア
  • 伊能忠敬は、江戸時代の商人・測量家で、寛政12年(1800)から文化13年(1816)までの17年をかけて全国を測量して「大日本沿海輿地全図」を完成させました。歴史上はじめて国土の正確な姿を明らかにし、初めて金星の子午線経過を観測した人物です。「東河伊能先生之墓」と記された墓は源空寺(げんくうじ)にあります。
    上野・御徒町エリア
  • 上野恩賜公園内の東照宮の入り口付近にあり、寛永8年(1631)、佐久間勝之が奉納した石灯籠です。高さ約6m、笠石の周囲約4mとあまりにも巨大な灯籠のため「お化け灯籠」と呼ばれています。名古屋の熱田神宮の石灯籠、京都南禅寺の大石灯籠と合わせて日本三大石灯籠のひとつに数えられています。
    上野・御徒町エリア
  • 2019年に放送されたテレビアニメ「さらざんまい」において、かっぱ橋周辺や浅草地域を中心に台東区内の風景が細かく描かれ、放送終了後も聖地として多くのアニメファンが来訪しています。このマンホール蓋は、東京都下水道局や製作委員会、地元商店街等の協力のもと、観光振興を目的に設置されました。
    描かれているのは、主人公である矢逆一稀、久慈悠、陣内燕太の3人が、かっぱ橋に封印されていた謎のカッパ型生命体“ケッピ”によって河童の姿に変身させられた姿です。

    設置年月日:令和3年4月13日
    浅草中央部エリア
  • 駒形橋は、昭和2年(1927)に完成した長さ150mの青いアーチ橋で、中央径間部は下路式、両側の側径間部は上路式で浅草通りを通しています。橋の名称は「駒川の渡し」や観音様が上陸した「駒形堂」に由来するとされています。
    浅草中央部エリア
  • 山谷は、荒川区と隣接した地域にあり数多くの簡易宿泊所があります。これは戦後、東京都によって被災者を仮の宿泊施設に集めたことが簡易宿泊所へとつながり、高度経済成長期の頃には日本有数の日雇労働者の滞在場所となりました。現在では、日雇労働者の高齢化や景気の低迷により、従来の労働者に代わって、外国人の利用が増えています。
    奥浅草エリア
  • 昭和通りの東側付近にある焼肉店やキムチを扱う韓国料理店・食材店が軒を連ねている都内で最も長い歴史を誇るコリアンタウンがあります。「キムチ横丁」の愛称で呼ばれています。その発祥は戦後間もない混乱期の昭和23年(1948)頃、現在の場所に焼肉店・精肉店・民族衣裳店等が集まったことに端を発しています。
    上野・御徒町エリア
  • スターの広場は、浅草公会堂の正面入口前にある広場です。広場には、大衆芸能の分野で多くの人々に愛され親しまれた浅草ゆかりの俳優、落語家、歌手など約300名を超える芸能人の方々の原寸大手型とサインを刻印したプレートがスターの広場、オレンジ通り沿いの花壇に並べられ、多くのファンに親しまれています。
    浅草中央部エリア
  • 花川戸靴・はきもの問屋街は、江戸通り沿いに、靴や鞄など革製品を取り扱っている店70店余りが軒を連ねて立ち並んでいる問屋商店街です。
    浅草中央部エリア
  • 浄名院は、寛文6年(1666)、上野寛永寺36坊のひとつとして開かれました。江戸時代の寺の隆盛の陰で不徳な僧も生まれたため、妙立和尚が不徳な僧を戒め、清い信仰を広めようと安楽律宗を開き、これを引き継いだ38世妙運大和尚が明治12年に五濁より民衆を救い仏恩に報いるために八万四千体の石地蔵建立を発願しました。現在では2万5千体を超える像が造立されています。
    谷中エリア
  • 浅間神社は、富士信仰が盛んであった江戸時代、富士参りができない人々の為に元禄年間(1688~1703)創建と推察されており、本殿の扉には明治維新頃の漆喰彫刻「下り龍」が残っています。富士山山開きの7月1日に例大祭、5・6月の最終土日の4日間に植木市が行われます。
    奥浅草エリア
  • ねぎし三平堂は、林家三平の笑いの精神を受け継ぐ場所です。林家三平は落語家の名門に生まれながら、それまでの古典落語に飽き足らず、殻を大きく破った三平落語を創り上げました。自由闊達な話芸は、寄席だけにとどまらず、あらゆるメディアに進出し、神風タレント第一号、昭和の爆笑王として、いつまでも日本人の心に残っています。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 不忍池由来碑は、上野恩賜公園の弁財天入口近くにある石碑で、昭和41年(1966)に建立されました。上野台地と本郷台地の間を忍ヶ丘と呼ばれていたことに由来しているといわれています。この地域は、古くは海で、海岸線の後退で沼のようになったのは平安時代といわれています。
    上野・御徒町エリア
  • 落ち着いた色合いの浴室で、まるで高級リゾートのような雰囲気の改栄湯。そんな改栄湯の魅力の一つは、別名「美人の湯」ともよばれる「軟水」。地下120mから汲み上げたまろやかな井戸水を軟水化装置に通し、化粧水のようにトロトロな肌触りの軟水を作り出しています。改栄湯では浴槽のお湯からカランのお湯まですべてが軟水。お風呂上がりにはお肌しっとり、髪の毛さらさらになれることまちがいなしです。お風呂の種類も多く、高濃度浸透炭酸泉、シルキーバス、ジェットバス、サウナなど気分によって様々なお風呂を楽しめます。
    そしてお風呂上がりには、キンキンに冷えた生ビールやレモンサワーで乾杯するもよし、改栄湯名物こだわりの生乳ソフトクリームを食べるのもよし、どの年代の方々も、身も心も温まる幸せな空間となっています。オリジナルグッズの販売もありますのでお立ち寄りの際にはぜひ覗いてみてくださいね。
    奥浅草エリア
  • 清廉度量、家庭円満の神様(布袋尊)が祀られている橋場不動尊。正式名を砂尾山橋場寺不動院といい、現在は比叡山延暦寺の末寺となっています。
    760年、寂昇(じゃくしょう)上人によって開創されました。1845年に建立された本堂は、小堂ながら美しく簡素なたたずまいを残す江戸時代の建築様式です。明治の大火、関東大震災、第二次大戦の戦災でも周辺を災禍から守ったことから「火伏せの不動尊」とも呼ばれています。

    本堂の右前には、樹齢約700年の大銀杏が見事な枝葉を伸ばしています。その昔、すぐ近くを流れる隅田川を往来して参拝する人の目印となったのがこの銀杏で、今なおそのパワーを授かりに来る人も多いそうです。
    また、江戸時代から伝わる布袋尊像が祀られています。その姿は肩に袋がなくお腹が袋代わりの形をしている珍しいもので、古くから庶民に尊信されています。(御開帳期間 1月1日~7日)
    奥浅草エリア
  • 浅草木馬館は、昭和52年(1977)に開館した大衆劇場で、全国人気劇団が月替わりで公演し、「涙あり笑いあり」の芝居や舞踊ショーが演じらています。お目当ての役者が登場すると客席からおひねりが飛び交います。
    浅草中央部エリア
  • 川沿いの散策が心地よい「隅田公園」は、江戸時代から桜の名所として知られる人気スポット。吾妻橋から桜橋まで川の両堤沿いに広がる桜は約1km続いており、その美しさから日本さくら名所百選に選定されています。
    東京スカイツリーとの共演も見逃せません。風のない日は川の水面に映った「逆さスカイツリー」と桜のコラボレーションも楽しめます。シーズン中は夜桜がライトアップされ、日中とは異なる幻想的な雰囲気に包まれるのも魅力のひとつ。屋形船や水上バスも運航しているので、いつもと違った目線のお花見もおすすめです。
    浅草中央部エリア
  • 神田川にかかる浅草橋から、春日通り交差点までの江戸通りの両端には数多くの卸問屋が並んでいます。ここは、主に、おもちゃや工具材料などの卸問屋街として、発展を遂げてきました。現在では、ビーズ、装飾品、手芸などのお店も加わって個性豊かな特色のある卸問屋街となっています。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 浅草東洋館は、都内で唯一の「いろもの」を主とした寄席を開催している演芸場です。「いろもの」とは、漫才、漫談、コント、マジック、紙切り、曲芸など、落語以外の演芸の事です。テレビなどでお馴染みの出演者も登場いたします。
    浅草中央部エリア
  • 人形の街のはじまりは、正徳元年(1711)吉徳初代、三河出身の次郎兵衛が開いた人形の店で、陳列や販売方法の工夫など、たくましい商魂で一大問屋街を作り上げました。以来、東京の人形問屋の約70%以上がこの浅草橋界隈に集まりました。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 愛知県三河に創建された浄土真宗の徳本寺は、檀家本多正信に請われ神田に移転し、江戸時代明暦3年(1657)の大火後に西浅草に移りました。「本多正信夫妻の絵像」(国重要文化財)を所蔵し、境内には佐野善左衛門政言「世直し大明神」の墓があります。
    浅草中央部エリア

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