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該当件数319件
  • 浅草寺本堂前に佇む朱塗りの2階建て門。左右に阿形像と吽形像の仁王尊像が安置されています。門裏に掛けられている重さ約500kgの大わらじは、仁王さまの力を表し魔除けとして伝わるもの。台東区の友好都市のひとつ、山形県村山市の有志により奉納されました。また、小船町の大提灯や重厚感あふれる吊灯篭も存在感を放ち、参拝客を迎えてくれます。

    宝蔵門は、平安時代、武蔵守に任命された平公雅(たいらのきみまさ)により、祈願成就の御礼として942年に建立されました。数度の火災を経て、現在の門は1964年にホテルニューオオタニ創始者・大谷米太郎の寄進により本瓦葺きで再建された(2007年チタン瓦に葺き替え)楼門です。上層部には仏教の経典である『元版⼀切経(げんばんいっさいきょう)』や寺宝が収蔵されています。
    浅草中央部エリア
  • 寿湯は、上野という都会にありながら銭湯という概念の常識を超えた様々なお風呂が楽しめ、露天風呂が自慢の銭湯です。お風呂の温度は40度から45度の3種の湯に設定してあり老若男女楽しめます。また男女ともにサウナも人気のお風呂になっております。
    上野・御徒町エリア
  • JR上野駅西側に位置する上野恩賜公園は、1873年、太政官布達により日本の都市公園第1号として誕生しました。園内には美術館、博物館、音楽堂や動物園などの文化施設が点在し、東京ドーム約11個分もの広さを誇ります。

    ソメイヨシノやヤマザクラなど約1,200本の桜が植えられた園内は、桜の名所としても有名。シーズンにはライトアップされた夜桜が一層風情を添え、例年延べ330万人近い人出となります。不忍池(しのばずのいけ)は江戸時代より浮世絵に描かれたほどのハスの名所。たくさんの鴨や渡り鳥が訪れるので、バードウォッチングを楽しむ人の姿も見られるスポットです。

    美術館や博物館で国内外の芸術作品や文化・自然科学に触れたり、歴史の薫りを感じながら史跡巡りを楽しんではいかがでしょうか。1日では見てまわりきれないほどの魅力にあふれた公園です。
    上野・御徒町エリア
  • 1627年に創建された、上野公園に鎮座する上野東照宮。徳川家康公(東照大権現)、徳川吉宗公、徳川慶喜公を祭神とし、出世、勝利、健康長寿にご利益があるとされている神社です。戦争や地震でも崩壊を免れた貴重な江戸初期の建築物として、国の重要文化財に指定されています。春は牡丹・桜、秋は紅葉やダリア展、お正月は初詣や冬ぼたん鑑賞の地として、年間を通して国内外からの参拝者で賑わうスポットです。

    贅沢に金箔が使われた豪華絢爛な金色殿(社殿)などの建造物は、三代将軍・徳川家光公が、日光東照宮までお参りに行けない江戸の人々のために建てられたそう。社殿内部は文化財保護のため通常は非公開ですが、特別公開が実施されることもあるので、拝観を申し込んでみてはいかがでしょうか。
    授与所では、期間・数量限定のお守りや御朱印も授与されているので要チェック。手塚治虫のユニコのお守りなど愛らしいものがありますよ。
    上野・御徒町エリア
  • 俳句・短歌の革新者正岡子規(まさおかしき)が、1894(明治27)年から亡くなるまでの8年半、暮らした家です。
    子規は門弟や友人たちと文学や美術談義を行い、作品を発表し続け俳句や短歌、文章の革新に邁進しました。
    故郷松山より母と妹を呼び寄せ、結核に苦しみながらも34歳で亡くなるまで精力的に文学作品を創作し続けた場所でもあります。

    1945(昭和20)年の空襲で焼失しましたが、その5年後、当時の間取りのまま再建され、現在の庵は東京都指定史跡として明治の雰囲気が体感できる魅力的な空間となっています。

    子規が病室兼書斎にしていた「病牀六尺の間」などを復元しており、明治の暮らしだけでなく創作の様子を偲ぶことができます。現在、一般のボランティア団体により大切に維持・保存されています。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 1857年に開席した「鈴本演芸場」は、現存する中では最古の歴史を誇る寄席(よせ)。落語をはじめ、漫才や曲芸、紙切りなどバラエティに富んだ様々な演目が10日毎に内容を変えて上演しています。昼の部と夜の部に分かれており、それぞれ好きなタイミングで入退室できるのも魅力のひとつ。
    上演中は飲食も可能です。おすすめは売店で購入できる、お箸で切れるやわらかさで有名な「上野 井泉本店」のかつサンド。お弁当やお菓子を食べたりビールを飲みながら、演目をお楽しみください。
    上野・御徒町エリア
  • 三代将軍家光公が寛永19年(1642)に浅草に建立した三十三間堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先に当たっていたので「矢先稲荷」と名付けられたといわれています。拝殿の格天井には、神武天皇の御世からの「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されて、馬にまつわる歴史が一目瞭然に理解できます。
    浅草中央部エリア
  • 目黄不動は寛永年間(1624~1643)の中頃、三代将軍家光が天海大僧正の具申をうけ、江戸の鎮護と天下泰平を祈願して、5つの方角の不動尊を選んで割り当てた江戸五色不動(目白・目赤・目黒・目青・目黄)の一つです。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • ひとっ風呂浴びたいと思ったタイミングでそれを叶えられるのが、萩の湯。早朝6時~9時まで、11時~25時までと長時間営業、日替わりの薬湯、さらにリンスインシャンプーやボディソープは無料、そしてタオルのレンタルもあります。明るく広い清潔な浴室には、サウナや薬湯も。毎月発行されている萩の湯だよりで薬湯の予定を確認すれば、お好みの薬湯を楽しめます。
    また併設されたレストラン、食事処こもれびではおいしい食事だけでなく、たくさんの種類の飲み物やおつまみが。昼からでも晩酌セットの注文ができ、明るい時間の一杯も最高です。好きな時間にお風呂に入り、お風呂の前後これまた好きなタイミングで、おいしい食事をいただき、心も体も整えて日々の生活を支えてくれる空間です。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 浅草寺の本坊である伝法院内には、江戸時代寛永年間(1624~44)に近江(滋賀県)の大名小堀遠州の作庭と伝えられている廻遊式庭園(面積約3700坪)があります。庭園内には茶室「天佑庵」や明治2年に本堂後方の塚より出土した古墳時代の石棺(長さ2.5m)があります。一般公開はしていませんが、不定期で特別公開されることがあります。
    浅草中央部エリア
  • 日本初の私鉄である日本鉄道が、上野-熊谷間の第一区線開業時に合わせて、山下町に東京方の起点駅として明治16年(1883)に開業した歴史ある駅です。現在、北関東と東京を結ぶJR各線と東京メトロ各線、また東北、上・信越方面の各新幹線、その他在来線各線が発着するなど、東京の「北の玄関口」として機能しています。
    上野・御徒町エリア
  • 春日通りから清洲橋通りに至る全長330mの全蓋式アーケードの商店街で日本で二番目に古い商店街といわれています。明治の初年に秋田藩の屋敷跡に見せ物小屋、寄席、飲食の屋台等が並び、盛り場として賑わい、下町情緒豊かな商店街として発展を続けてきました。現在も色々なイベントを行い、住民から親しまれている魅力的な商店街です。
    上野・御徒町エリア
  • 都内で最も古い「お稲荷様」として知られる下谷神社は、730年に創建された歴史深い神社です。大年神と日本武尊を祀っていることから、商売繁盛や家内安全のご利益があるとされています。5月に行われ、東京の下町で一番早い夏祭りと言われる「下谷神社大祭」は1000年以上の歴史があり、本社神輿の渡御を行う「本祭り」と、町会神輿の渡御だけの「陰祭り」が隔年に行われています。
    本殿には、日本を代表する画家 横山大観による「龍」の天井絵が掲げられており、その壮大な美しさは見る者を圧倒します。俳句の大家・正岡子規の「句碑」や、初代・三笑亭可楽の寄席が境内で初めて開かれたという「寄席発祥之地」の石碑などの見どころも。
    オリジナルの朱印帳の販売や、月や日によって限定の御朱印頒布も行っています。
    上野・御徒町エリア
  • 谷中霊園は、谷中にある都立霊園です。明治7年(1874)明治政府は天王寺の寺域の一部を引き継ぎ、東京府管轄の公共墓地として谷中墓地を開設しました。その後、昭和10年(1935)に谷中霊園と改称されました。園内には寛永寺や天王寺の墓地が入り組んでおり、面積は約10万平方m、約7000基の墓が並んでいます。園内を通る「さくら通り」は桜の名所となっています。
    谷中エリア
  • 見返り柳は吉原遊郭の名所の一つで、遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで振り返ったことからその名がつきました。かつては山谷堀脇の土手にありましたが、区画整理に伴い現在地に移され、今ある柳も数世代に渡り植え替えられています。
    奥浅草エリア
  • 東本願寺は、天正19年(1591)神田に開創され、明暦の大火(1657)で浅草に移転しました。江戸時代の様子は葛飾北斎の『富嶽三十六景』中の『東都浅草本願寺』等の浮世絵に登場します。現在の本堂は、関東大震災後に再建されました。御本尊の『阿弥陀如来立像』は四天王寺の心柱を使用し、嘉禄2年(1226)頃の作と伝わっています。また、梵鐘は寛永7年(1630)以後のものと推定され、都内に現存する梵鐘の中では有数の風格を誇り、毎年大晦日に除夜の鐘で一般開放します。(要予約)
    浅草中央部エリア
  • 厩橋は、春日通りが隅田川を渡る橋です。この橋の創架は明治7年(1874)で、隅田川では 第6番目の橋です。この一帯には幕府の御米蔵があり、米の運搬のために馬もたくさん飼われ、「御厩」 の名称となりました。現在の橋は、昭和4年(1929)に架設されたもので、親柱には馬をデザインしたガラス細工が組み込まれています。
    浅草橋・蔵前エリア
  • ジュエリータウンおかちまち(貴金属・宝飾店街)は、JR御徒町駅東側一帯にある400軒もの貴金属・宝石の卸問屋が集まっている日本有数のジュエリータウンです。全国の店に卸しているほか、個人が入れる店舗も多く、品揃えも豊富で市価より安く手に入れることができます。
    上野・御徒町エリア
  • 昭和52年(1977)にこけら落としされた浅草公会堂は、毎年1月の新春浅草歌舞伎などの演芸・演劇などの興業や、集会室や展示会などが催されます。客席1000席の大ホールには、浅草寺三社祭や広重の「江戸百景 浅草仲見世」の情景が描かれた鍛帳が雰囲気を創り上げています。
    浅草中央部エリア
  • 世界のカバン博物館は、世界約50ヶ国から収集された希少価値の高いコレクションをはじめ、カバンの歴史・カバンづくりの技術、文化に触れることができるミュージアムです。著名人から寄贈されたカバンの展示や企画展なども行われます。
    浅草中央部エリア
  • 言問橋は、昭和3年(1928)に完成した長さ240mの橋で、国道6号を通しています。橋の名称は、かつて上・下流側にあった「言問の渡し」や在原業平が詠んだ古歌に由来するとされています。橋柱の街灯は瓢箪の形、欄干に朝顔がデザインされています。
    浅草中央部エリア 奥浅草エリア
  • 昭和8年(1933)に京成本線開通にあわせ、開業した駅です。ホームが短く4両編成の電車しか停車できないことによる乗降客の減少や、建物の老朽化のため、平成9年(1997)に営業休止となりました。駅事務室、ホームは地下にあり、ホームは電車の通過中に見ることができ、外観では入口にあたる建物を見ることができます。
    上野・御徒町エリア
  • 東京初の駅直結デパートとして1931年に開業した「松屋浅草」は、当時アメリカや西洋で流行したアール・デコ様式を採用したモダンな外装が特徴です。屋上に遊園地やこども動物園を作るなど斬新なアイデアで、当時の人々の話題を集めました。
    現在は、B1階から地上3階までが松屋浅草の売り場。2012年のリニューアルで建設当時のシンボル・大時計も復活し、昭和の面影を残す百貨店は今でも人々に親しまれています。地上1階は 浅草らしい下町銘菓をはじめ、全国からセレクトされた銘菓が並ぶ「浅草すいーつ小町」。東武線「浅草駅」直結なので、お土産購入にも便利です。
    浅草中央部エリア
  • 正寶院(しょうぼういん)は享禄3年(1530)の創建と言われ、江戸期にはすでに「飛不動」の通称で知られていました。古くより「旅人の守り本尊」「厄飛ばしのお不動様」として信仰されてきましたが、昭和期からは航空安全の守護神としても有名になり、航空関係者や宇宙関係者などが海外からも多く参拝に訪れます。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • どこかノスタルジックな景観のお江戸上野広小路亭。その魅力はなんといっても、舞台と客席の近さ。舞台に手が届きそうな距離で、古典芸能やお笑いライブを楽しめる、なんとも贅沢な空間となっています。
    ここでは、落語や漫才だけでなく、講談も聞くことができます。落語は知っているけど講談ってなんだろう?と思われた方も、ぜひ一度お江戸上野広小路亭をのぞいてみませんか?
    上野・御徒町エリア
  • 浅草演芸ホールは、初心者でも気軽に落語を楽しめる伝統的な寄席(よせ)です。365日休まず公演を行っており、落語のほか漫談、マジック、ものまねなどバラエティーに富んだ演目が上演されています。寄席と聞くと敷居が高いイメージがあるかもしれませんが、囃家(はなしか)さんは喋りのプロ。すぐに巧みな話芸に引き込まれ、予備知識が無くても楽しめます。
    ホール内で飲食できるのも魅力のひとつ。売店でお弁当やお菓子を買ってゆっくり番組を楽しんではいかがでしょう。数々の著名な落語家やお笑い芸人を輩出した笑いの殿堂で、昔ながらの下町文化を体感してみてください。
    浅草中央部エリア
  • 山谷は、荒川区と隣接した地域にあり数多くの簡易宿泊所があります。これは戦後、東京都によって被災者を仮の宿泊施設に集めたことが簡易宿泊所へとつながり、高度経済成長期の頃には日本有数の日雇労働者の滞在場所となりました。現在では、日雇労働者の高齢化や景気の低迷により、従来の労働者に代わって、外国人の利用が増えています。
    奥浅草エリア
  • 浅草寺本堂の東側、石造大鳥居をくぐったところに位置し、「三社さま」の名で親しまれる浅草の総鎮守。毎年5月に行われる日本を代表する祭礼の一つ、「三社祭」は東京の初夏の風物詩。「大行列」や無形文化財「びんざさら舞」のほか、神輿を担いで浅草を巡行する「神輿渡御」が見どころです。町を練り歩く担ぎ手たちの威勢良い掛け声が響き渡り、浅草の町がまつり一色に染まります。
    6月の「夏越し(なごし)の大祓」では、茅草で作られた輪の中(茅の輪)が設置されます。それを八の字に三回通って穢れを祓うことで疫病や災厄から逃れ、福徳があると伝えられる行事です。

    本殿には浅草寺のご本尊である聖観世音菩薩像を見つけた漁師の兄弟とともに、尊像として奉安した郷土の文化人、土師真中知(はじのなかとも)の3人が祀られています。江戸時代に徳川家光が寄進した社殿は本殿・幣殿と拝殿の間が渡り廊下で繋がる建築様式。国の重要文化財に指定されています。また、浅草名所七福神のひとつとしても知られ、恵比須像が祀られています。
    浅草中央部エリア
  • 駒形橋は、昭和2年(1927)に完成した長さ150mの青いアーチ橋で、中央径間部は下路式、両側の側径間部は上路式で浅草通りを通しています。橋の名称は「駒川の渡し」や観音様が上陸した「駒形堂」に由来するとされています。
    浅草中央部エリア
  • 神田川に架かる浅草橋は、江戸時代には浅草見附があったところで、台東区側の橋のたもとに「浅草見附跡」の碑が建っています。浅草見附が置かれたのは寛永13年(1636)、江戸城の警護のため36箇所に設けられた見附の一つで、枡形の門は「浅草御門」と呼ばれ、警護人を置いて浅草観音や遠くは奥州へ往来する人々を取り締まりました。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 台東区を中心とした下町地域の文化や暮らしの様子を後世に伝える博物館です。1階では、古い町並みや建物の面影が多く残されていた台東区坂本(現・根岸三丁目)を舞台に、昭和30年代の下町の風情や暮らしを再現しています。2階は生活道具を紹介する導入展示と大型映像をはじめ、下町地域の歴史や出来事をたどることのできる資料を展示しています。また3階には企画展示室と、道具や玩具を体験し、調べることができるしたまち情報コーナーがあります。
    上野・御徒町エリア
  • 江戸たいとう伝統工芸館には、江戸庶民の町、江戸文化発祥の町として栄えてきた台東区で、受け継がれてきた伝統工芸への関心を深めることができる工芸品が展示されています。
    浅草中央部エリア
  • 江戸時代の浮世絵師といえば葛飾北斎。誓教寺(せいきょうじ)には、葛飾北斎の墓と胸像、そして「富嶽三十六景」など北斎が好んで数多く描いた「富士」のモニュメントがあります。生前93回引っ越しをし、30回名前を変えたと言われている北斎の墓標には「画狂老人卍墓」(「卍」は北斎の雅号の一つ)とあり、辞世の句が刻まれています。毎年命日の4月18日には「北斎忌」が開かれ、法要が営まれます。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 延命長寿、諸病平癒、人々の安全と健康を守る神様が祀られている長安寺の歴史は古く、建立は寛文9年(1669)とされていますが、これよりさらに400年も前にさかのぼった板碑(塔婆の一種)が残されています。また、長安寺には明治初期の画家狩野芳崖(かのうほうがい1828-1888)の墓所があります。
    谷中エリア
  • 上野恩賜公園内の東照宮の入り口付近にあり、寛永8年(1631)、佐久間勝之が奉納した石灯籠です。高さ約6m、笠石の周囲約4mとあまりにも巨大な灯籠のため「お化け灯籠」と呼ばれています。名古屋の熱田神宮の石灯籠、京都南禅寺の大石灯籠と合わせて日本三大石灯籠のひとつに数えられています。
    上野・御徒町エリア
  • 関東大震災では遊女をはじめ多くの人々が池に逃れ、490人が溺死する悲劇が起こりました。この観音さまは溺死した人々の供養のために大正15年(1926)に造立されたものです。
    奥浅草エリア
  • 明治新政府に反抗して討滅された彰義隊の戦死者を供養するために明治15年(1882)に建てられました。上野恩賜公園内の西郷隆盛像の裏手にあります。墓石には旧幕臣山岡鉄舟の筆によって「戦死之墓」とのみ記され、「彰義隊」の文字はありません。墓碑の右手には上野彰義隊資料室があります。
    上野・御徒町エリア
  • 1926(大正15)年、日本初の公立美術館として開館。国内外の名品を楽しめる特別展や企画展、公募展など、年間を通して多彩な展覧会が開催される美術館。展覧会のほか、アート・コミュニケーション事業など、すべての人に開かれた「アートへの入口」として様々な事業を展開しています。

    レストランやミュージアムショップも充実。開放的なガラス張りのレストランからは、美術館のプロムナードや四季折々の公園の景色を眺めることができます。入館は無料で、レストランやミュージアムショップのみの利用も可能です(観覧料は展覧会によって異なります。展覧会のスケジュールや観覧料等の詳細は公式サイトをご確認ください)。
    専門のスタッフに子供を預け、ゆっくりと展覧会鑑賞を楽しめる託児サービス「パパママデー(事前予約制)」や、個室スペースのある授乳室、ミルク用のお湯のサービスもあるのでファミリーにもおすすめです。

    レンガ色のタイル張りの建物は、日本のモダニズム建築の巨匠・前川國男の設計。
    屋外には彫刻等の立体作品も展示されています。
    上野・御徒町エリア
  • 彫刻家として初めて文化勲章を受章した朝倉文夫(1883~1964)の住居兼アトリエを公開する美術館。朝倉作品のほか、随所に蔵書や掛軸、陶磁器などのコレクションを展示しています。
    朝倉が自ら設計した、鉄筋コンクリート造のアトリエ棟と木造の住居棟からなる建物は、異なる素材が違和感なく調和しています。広く門戸を開放し弟子を育成した「朝倉彫塑塾」の教育の場としても使われました。巨石と樹木が濃密な空間を作り出す「五典の池」を中心とした中庭、日本における屋上緑化の先駆けともいえる屋上庭園など、朝倉独自の美学や哲学、教育論も、この建物に色濃く反映されています。
    彫刻作品や芸術品を鑑賞する美術館という側面だけでなく、庭園や建築の価値も感じられる施設です。朝倉の芸術思想の特質である自然観を表す庭園は、その芸術上・観賞上の価値が評価され、敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されています。
    谷中エリア
  • 江戸の下町を舞台にした「鬼平犯科帳」など、時代小説の傑作を多数発表した池波正太郎。日本を代表する時代小説作家の文学作品を後世に伝え、彼の功績を称えるために設立されたのが「池波正太郎記念文庫」です。
    館内には著作本や小説に関するさまざまな資料をはじめ、生前彼が愛用していた万年筆やパイプ、帽子などが展示されています。書斎も復元されており、池波正太郎をより身近に感じられるスポットです。また「池波グッズ」とよばれる、作品の舞台を紹介した古地図やポストカード、扇子など様々なグッズも必見。池波ファンにはたまらない空間となっています。
    浅草中央部エリア

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