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該当件数320件
  • 天海僧正は「見立て」という、さまざまなお堂を京都周辺にある神社仏閣に見立てる思想によって上野の山を設計しました。琵琶湖にある竹生島の「宝厳寺(ほうごんじ)」に見立て、天然の池であった不忍池に中之島を築き建立されたのが「不忍池辯天堂」です。当初、お堂に参詣するためには船を使用していましたが、参詣者が増えたことから橋がかけられました。不忍池のどこからでも参拝できるように、八角形の建物になったと言われ、7月から8月にかけては、不忍池の蓮が咲き、極楽浄土を連想させる光景が広がります。

    ご本尊である辯才天は、音楽と芸能の守り神として広く信仰され、「辯”財”天」とも書くことから、金運上昇といったご利益もあると言われています。辯才天は琵琶を持った姿で知られていますが、不忍池辯天堂の辯才天は、8本の腕に煩悩を破壊する武器をお持ちになっている「八臂辯才天(はっぴべんざいてん)」。9月に行われる「巳成金(みなるかね)大祭」で目にすることができます。
    不忍池辯天堂には、豊臣秀吉公が大切にしていたという伝説のある、谷中七福神とは別の「大黒天」も祀られています。
    上野・御徒町エリア
  • JR上野駅西側に位置する上野恩賜公園は、1873年、太政官布達により日本の都市公園第1号として誕生しました。園内には美術館、博物館、音楽堂や動物園などの文化施設が点在し、東京ドーム約11個分もの広さを誇ります。

    ソメイヨシノやヤマザクラなど約1,200本の桜が植えられた園内は、桜の名所としても有名。シーズンにはライトアップされた夜桜が一層風情を添え、例年延べ330万人近い人出となります。不忍池(しのばずのいけ)は江戸時代より浮世絵に描かれたほどのハスの名所。たくさんの鴨や渡り鳥が訪れるので、バードウォッチングを楽しむ人の姿も見られるスポットです。

    美術館や博物館で国内外の芸術作品や文化・自然科学に触れたり、歴史の薫りを感じながら史跡巡りを楽しんではいかがでしょうか。1日では見てまわりきれないほどの魅力にあふれた公園です。
    上野・御徒町エリア
  • 寿湯は、上野という都会にありながら銭湯という概念の常識を超えた様々なお風呂が楽しめ、露天風呂が自慢の銭湯です。お風呂の温度は40度から45度の3種の湯に設定してあり老若男女楽しめます。また男女ともにサウナも人気のお風呂になっております。
    上野・御徒町エリア
  • JR上野駅とJR御徒町駅の線路脇、約500mの中に400店舗以上の商店が軒を連ねる「アメ横商店街(アメ横商店街連合会)」。メインの「アメ横通り」と、JRの高架下にあるモールやプラザからなり、海産物などの食料品や輸入雑貨、アパレル、化粧品店など、さまざまなジャンルの専門店が立ち並んでいます。活気ある呼び込みが飛び交うなかで、店員さんとの会話も楽しみながら目玉商品や特価品を探せるのが魅力のひとつ。年末の叩き売りは風物詩にもなっています。

    アメ横のはじまりは、物資が底をついた第二次世界大戦後にできた闇市。多くの闇市が的屋の仕切りであったのに対して、アメ横は満州からの復員兵が共同体となり連合会を結成。出店を統制し、商店街が形成されました。

    当時、JR上野駅のすぐ南に発生した闇市は、飴を販売する屋台があったことから「アメヤ横丁(飴屋通り)」と呼ばれるように。反対側のJR御徒町付近には、アメリカ進駐軍の放出物資を販売する店ができたので「アメリカ横丁(アメリカ通り)」と呼ばれるようになりました。この2つのエリアが統合され、今の「アメ横」になったと言われています。
    上野・御徒町エリア
  • 平安初期に実在した政治家・公卿である小野篁(おのたかむら)を御祭神として祀る神社です。篁公は和歌や絵画、武芸など多岐にわたる優れた才能の持ち主。法律にも精通し国の要職を務めるなど広い分野で活躍したことから、仕事運、芸術・芸能上達、学問などのご利益があるとされています。

    境内には、国の重要有形民俗文化財であるミニチュアの富士山「富士塚」や、日本三大に数えられる「庚申塚」、昭和を代表する囲碁棋士・藤沢秀行氏の功績を顕彰した記念碑など見どころも多数。月毎に趣向を凝らした御朱印は、うっとりするほど美しいデザインで人気を博しています。

    江戸後期には、学問の神様である菅原道真公も回向院より遷され、境内にある末社を含めて15柱もの神様が祀られています。俳優の渥美清が願をかけた神社としても知られ、映画「男はつらいよ」で寅さんが首にかけているお守りは、ここ小野照崎神社のものです。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 浅草屈指の縁結びの神社として知られ、良縁を求める人の「婚活神社」として注目されています。
    この地は16世紀から焼かれていた今戸焼発祥の地で、猫の焼き物を販売していたことから、招き猫発祥の地でもあります。縁を招き寄せるペアの猫をモチーフにした絵馬や御朱印帳も人気です。

    1063(康平6)年、時の奥羽鎮守府源頼朝・義家父子が祈願し鎌倉の鶴ヶ丘と浅草今戸とに京都の石清水八幡を勧請して創建されました。境内には、幕末に活躍した新選組沖田総司の終焉の地の碑も佇んでいます。また、浅草名所七福神の福禄寿が祀られており、七福神詣りの参拝客でも賑わうスポットです。
    奥浅草エリア
  • 浅草ロック座は、浅草六区(明治期に七つの区画に整備された際に六番目に整備されたことに由来)にあります。昭和22年(1947)にストリップ劇場としてスタート。客席145席を有してメイン出演者とバックダンサーによる華やかなレビューショーが楽しめます。
    浅草中央部エリア
  • 浅草寺本堂の東に建つ朱塗りの鮮やかな二天門。当初は、境内にあった東照宮の随身門として建てられたと伝えられています。随身門とは、神社を守護する神さまを配置した門のこと。当時は、神道の神さまである豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)と櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)の守護神像が左右に祀られていました。
    しかし、1868年(明治元年)に明治政府が発令した神仏分離令により、仏教寺院である浅草寺には、この2柱の神さまの像を祀ることができなくなりました。そこで、浅草寺はこの2柱の像を浅草神社に遷座し、代わりに鎌倉の鶴岡八幡宮にあった仏教の守護神である広目天(こうもくてん)と持国天(じこくてん)の像を二天門に安置。これに伴い、正式名称が随身門から二天門に変更されました。
    その後、第二次世界大戦により2柱の像は焼失。現在は、上野の寛永寺(かんえいじ)の四代将軍徳川家綱霊廟にあった持国天と増長天(ぞうちょうてん)の像が祀られています。持国天と増長天は、四天王と呼ばれる仏さまとして知られていますが、四天王は仏教の守護神であることから武装した姿。どちらも、鎌倉時代以降に流行した複数の木材を組み合わせる技法「寄木造」により造られています。
    浅草中央部エリア
  • 昭和20年(1945)の「東京大空襲」の犠牲者を悼む慰霊碑で平成17年(2005)に海老名香葉子さん(故林家三平の夫人)によって上野恩賜公園内に建立されました。この塔は東京大空襲を忘れないため・同じ悲劇が起こらないよう、願いをこめて、大空襲で亡くなったご家族がモチーフになっている平和祈念母子像・時計塔です。
    上野・御徒町エリア
  • 651年に日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まるとされ、前九年の役で源義家が東国鎮定に向かう折、白い鳥が飛び立ち浅瀬を知り、隅田川を渡ることができたことから、その名を鳥越大明神と改めたと伝えられる神社です。
    江戸時代までは三社の神社から成り、約2万坪の広大な敷地を所領していましたが、天領からの米を収蔵する蔵や、大名屋敷などを建てるために没収され、現在の鳥越神社が残りました。
    毎年6月上旬に行われる鳥越祭では、都内最大級を誇る千貫神輿(約4トン)が氏子町内を渡御し、夜の宮入道中では、提灯に照らされた神輿が荘厳かつ幻想的な光景をつくりだします。例年、数十万人の人出があり、多くの観客で賑わう蔵前の初夏の風物詩になっています。
    社務所では、社紋の七曜紋と月星紋がデザインされた御朱印帳の販売や、鳥越祭の開催期間中は限定御朱印も頒布されます。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 1926(大正15)年、日本初の公立美術館として開館。国内外の名品を楽しめる特別展や企画展、公募展など、年間を通して多彩な展覧会が開催される美術館。展覧会のほか、アート・コミュニケーション事業など、すべての人に開かれた「アートへの入口」として様々な事業を展開しています。

    レストランやミュージアムショップも充実。開放的なガラス張りのレストランからは、美術館のプロムナードや四季折々の公園の景色を眺めることができます。入館は無料で、レストランやミュージアムショップのみの利用も可能です(観覧料は展覧会によって異なります。展覧会のスケジュールや観覧料等の詳細は公式サイトをご確認ください)。
    専門のスタッフに子供を預け、ゆっくりと展覧会鑑賞を楽しめる託児サービス「パパママデー(事前予約制)」や、個室スペースのある授乳室、ミルク用のお湯のサービスもあるのでファミリーにもおすすめです。

    レンガ色のタイル張りの建物は、日本のモダニズム建築の巨匠・前川國男の設計。
    屋外には彫刻等の立体作品も展示されています。
    上野・御徒町エリア
  • 江戸時代の浮世絵師といえば葛飾北斎。誓教寺(せいきょうじ)には、葛飾北斎の墓と胸像、そして「富嶽三十六景」など北斎が好んで数多く描いた「富士」のモニュメントがあります。生前93回引っ越しをし、30回名前を変えたと言われている北斎の墓標には「画狂老人卍墓」(「卍」は北斎の雅号の一つ)とあり、辞世の句が刻まれています。毎年命日の4月18日には「北斎忌」が開かれ、法要が営まれます。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 浅草雷門前に位置し、観光案内をメインとする複合文化施設です。4か国語(日本語、英語、中国語、韓国語)に対応した案内を行い、外貨両替所も併設。情報コーナーは、観光情報雑誌や検索用パソコンが無料で利用できます。また、クチコミ情報が書かれたコミュニケーションボードも閲覧できるので、とっておきの旅のヒントを得られるかも。多目的スペースでは、映像を活用し台東区のみどころやイベント、歴史、文化を紹介。通常、イスが配備されているので休憩場所としても利用できます。
    ここを訪れたなら、8階の展望テラスも必見です。雷門から浅草寺へと続く仲見世や、隅田川や東京スカイツリーも一望できるビュースポットとなっています。

    浅草の街並みに溶け込む平屋を重ねたようなおしゃれな外観は、日本を代表する建築家・隈研吾氏によるデザイン。木の温もりあふれる空間は、初めて日本を訪れる海外ツーリストにも優しい印象を与えています。
    浅草中央部エリア
  • 佐野善左衛門政言は江戸時代中期の武士で、天明4年(1784)、江戸城内で時の権力者田沼意知(田沼意次の子)に刃傷におよびました。意知は翌日死亡し、政言は切腹となり、28歳で一生を閉じました。この刃傷事件の翌日から高価の米価が下落し、老中田沼意次も失脚しました。お墓は徳本寺(とくほんじ)境内にあります。
    浅草中央部エリア
  • 東本願寺は、天正19年(1591)神田に開創され、明暦の大火(1657)で浅草に移転しました。江戸時代の様子は葛飾北斎の『富嶽三十六景』中の『東都浅草本願寺』等の浮世絵に登場します。現在の本堂は、関東大震災後に再建されました。御本尊の『阿弥陀如来立像』は四天王寺の心柱を使用し、嘉禄2年(1226)頃の作と伝わっています。また、梵鐘は寛永7年(1630)以後のものと推定され、都内に現存する梵鐘の中では有数の風格を誇り、毎年大晦日に除夜の鐘で一般開放します。(要予約)
    浅草中央部エリア
  • 「セイコきもの文化財団」が、着物文化の普及向上を目的に平成2年(1990)に開設した美術館です。着物に関する資料の収集・調査研究を行い、江戸時代から明治・大正時代の着物や歌舞伎の舞台衣装など企画展示を行っていました。平成18年(2006)に休館となりましたが、着物に関する調査研究等は引き続き本財団で行っています。
    平成18年(2006)に休館
    上野・御徒町エリア
  • 朱塗りの大鳥居が印象的な、江戸下町を代表する神社です。古くから「おとりさま」の愛称で親しまれ、開運や商売繁昌のほか、家運隆昌、子育て、出世の神徳が深いと人々に信仰されてきました。
    毎年11月の酉(とり)の日に境内で行われる例祭「酉の市」は江戸の風物詩として有名。福をかきこむと言われる熊手をはじめ八ツ頭芋、お多福の面など、色とりどりの縁起物を買い求める人たちで賑わいます。樋口一葉の代表作『たけくらべ』や他の文学作品にもこの酉の市が数多く登場することから、いかに地域に根付いた催し物だったかが伺い知れます。

    なでる場所によって異なるご利益を授かるといわれる「なでおかめ」も人気。ふっくらとした優しい顔立ちのおかめは「お多福」とも言われ、福が多く幸せを招く女性の象徴という事から長年親しまれる縁起物です。

    ご祭神としては天日鷲命(あめのひわしのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)の他、浅草名所七福神のひとつとしても知られ、寿老人が祀られています。
    奥浅草エリア
  • 隅田川の両岸に位置する「隅田公園」は、川沿いの心地よい散策を楽しめる憩いの場。春には桜が咲き誇り、国内外から多くの観光客が花見に訪れます。浅草には東京スカイツリーを眺められる場所が数多くありますが、なかでも隅田公園は絶好のスポット。春は桜とスカイツリーの共演も人気です。
    川沿いにある「隅田公園オープンカフェ」は、店舗の一部を屋外にした開放的なカフェ・レストラン。綺麗な景色を眺めながら、コーヒー片手にのんびりと過ごしても良いですね。また、クジラの滑り台が目印の「遊具広場」はブランコやアスレチックなどの遊具が設置された広場。子どもも思いっきり身体を動かせます。

    隅田川橋梁に設置された全長約160mの「すみだリバーウォーク」は、東京スカイツリーまでの最短距離ルートのひとつ。歩道橋の途中にあるガラス床から隅田川を見下ろしたり、すぐ横を走る電車の迫力を楽しんだり、隅田川散策にいかがでしょうか。
    浅草中央部エリア
  • 日暮里駅北口から御殿坂を上っていくと下る階段があります。階段から眺める夕日が美しいことから名付けられました。
    谷中エリア
  • 1627年に創建された、上野公園に鎮座する上野東照宮。徳川家康公(東照大権現)、徳川吉宗公、徳川慶喜公を祭神とし、出世、勝利、健康長寿にご利益があるとされている神社です。戦争や地震でも崩壊を免れた貴重な江戸初期の建築物として、国の重要文化財に指定されています。春は牡丹・桜、秋は紅葉やダリア展、お正月は初詣や冬ぼたん鑑賞の地として、年間を通して国内外からの参拝者で賑わうスポットです。

    贅沢に金箔が使われた豪華絢爛な金色殿(社殿)などの建造物は、三代将軍・徳川家光公が、日光東照宮までお参りに行けない江戸の人々のために建てられたそう。社殿内部は文化財保護のため通常は非公開ですが、特別公開が実施されることもあるので、拝観を申し込んでみてはいかがでしょうか。
    授与所では、期間・数量限定のお守りや御朱印も授与されているので要チェック。パンダのお守りや手塚治虫のユニコのお守りなど愛らしいものもありますよ。
    上野・御徒町エリア
  • おかず横丁は鳥越本通りにある鳥越本通商盛会の通称で、延長230m、ほとんどが日用食料品を取り扱う店からなる商店街です。戦後まで東西に分かれていましたが、昭和24年(1949)、一本化して現在の商盛会となりました。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 世界のカバン博物館は、世界約50ヶ国から収集された希少価値の高いコレクションをはじめ、カバンの歴史・カバンづくりの技術、文化に触れることができるミュージアムです。著名人から寄贈されたカバンの展示や企画展なども行われます。
    浅草中央部エリア
  • 三代将軍家光公が寛永19年(1642)に浅草に建立した三十三間堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先に当たっていたので「矢先稲荷」と名付けられたといわれています。拝殿の格天井には、神武天皇の御世からの「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されて、馬にまつわる歴史が一目瞭然に理解できます。
    浅草中央部エリア
  • 国立国会図書館法に基づく国内唯一の国立の児童書専門図書館として、平成12年(2000)に開館しました。国内外の豊富な資料と情報資源を活用し、子どもの本に関わる活動や調査研究を支援しています。また、子どもと本のふれあいの場としての役割も担っている図書館です。
    レンガ棟は、明治39年(1906)に建てられた帝国図書館の建物を保存・再利用しています。
    上野・御徒町エリア
  • 祈る者に十種福を授ける仏様が祀られている天王寺は鎌倉時代の創建といわれ、都内有数の古寺です。江戸時代には「富くじ」興行があり、目黒の滝泉寺、湯島天神と共に江戸三富と呼ばれて賑わいました。幸田露伴の「五重塔」のモデルとなった天王寺五重塔は昭和32年(1957)に焼失しましたが、その跡地は今も谷中霊園に残っています。
    谷中エリア
  • 彫刻家として初めて文化勲章を受章した朝倉文夫(1883~1964)の住居兼アトリエを公開する美術館。朝倉作品のほか、随所に蔵書や掛軸、陶磁器などのコレクションを展示しています。
    朝倉が自ら設計した、鉄筋コンクリート造のアトリエ棟と木造の住居棟からなる建物は、異なる素材が違和感なく調和しています。広く門戸を開放し弟子を育成した「朝倉彫塑塾」の教育の場としても使われました。巨石と樹木が濃密な空間を作り出す「五典の池」を中心とした中庭、日本における屋上緑化の先駆けともいえる屋上庭園など、朝倉独自の美学や哲学、教育論も、この建物に色濃く反映されています。
    彫刻作品や芸術品を鑑賞する美術館という側面だけでなく、庭園や建築の価値も感じられる施設です。朝倉の芸術思想の特質である自然観を表す庭園は、その芸術上・観賞上の価値が評価され、敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されています。
    谷中エリア
  • 江戸時代、谷中には大円寺と福泉院に二つの笠森稲荷がありました。福泉院前の鍵屋という水茶屋にいたのが江戸で評判の美人お仙です。幕末の上野戦争で福泉院焼失し廃寺になり笠森稲荷は寛永寺の子院養寿院に移転しました。のち、明治26年に福泉院跡に建立されたのが功徳林寺(くどくりんじ)で、明治末期には稲荷社が祀られました。
    谷中エリア
  • 浅草寺裏手にあります雷5656会館は、雷おこしの実際の製造を見学施設「浅草工房」と、ご自分で作ることができる「雷おこし製造体験」がございます。
    また、5階は「ときわホール」は発表会・催し物等の貸し会場として、4階は打合せなどでご利用いただける「貸しスペース」がございます。
    浅草中央部エリア
  • 浄名院は、寛文6年(1666)、上野寛永寺36坊のひとつとして開かれました。江戸時代の寺の隆盛の陰で不徳な僧も生まれたため、妙立和尚が不徳な僧を戒め、清い信仰を広めようと安楽律宗を開き、これを引き継いだ38世妙運大和尚が明治12年に五濁より民衆を救い仏恩に報いるために八万四千体の石地蔵建立を発願しました。現在では2万5千体を超える像が造立されています。
    谷中エリア
  • スターの広場は、浅草公会堂の正面入口前にある広場です。広場には、大衆芸能の分野で多くの人々に愛され親しまれた浅草ゆかりの俳優、落語家、歌手など約300名を超える芸能人の方々の原寸大手型とサインを刻印したプレートがスターの広場、オレンジ通り沿いの花壇に並べられ、多くのファンに親しまれています。
    浅草中央部エリア
  • 正寶院(しょうぼういん)は享禄3年(1530)の創建と言われ、江戸期にはすでに「飛不動」の通称で知られていました。古くより「旅人の守り本尊」「厄飛ばしのお不動様」として信仰されてきましたが、昭和期からは航空安全の守護神としても有名になり、航空関係者や宇宙関係者などが海外からも多く参拝に訪れます。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 神田川にかかる浅草橋から、春日通り交差点までの江戸通りの両端には数多くの卸問屋が並んでいます。ここは、主に、おもちゃや工具材料などの卸問屋街として、発展を遂げてきました。現在では、ビーズ、装飾品、手芸などのお店も加わって個性豊かな特色のある卸問屋街となっています。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 源空寺は、浄土宗の寺で、天正18年(1590)円誉上人が湯島に開山し、明暦3年(1657)の大火で浅草に移転しました。湯島の草庵で多くの信者を集めて、徳川家康も円誉に帰依し江戸城に召して法を聞いていたといわれています。慶長9年(1604)に家康は、寺地と法然上人源空の名にちなんだ源空寺の号を円誉に与えました。
    上野・御徒町エリア
  • 浅草演芸ホールは、初心者でも気軽に落語を楽しめる伝統的な寄席(よせ)です。365日休まず公演を行っており、落語のほか漫談、マジック、ものまねなどバラエティーに富んだ演目が上演されています。寄席と聞くと敷居が高いイメージがあるかもしれませんが、囃家(はなしか)さんは喋りのプロ。すぐに巧みな話芸に引き込まれ、予備知識が無くても楽しめます。
    ホール内で飲食できるのも魅力のひとつ。売店でお弁当やお菓子を買ってゆっくり番組を楽しんではいかがでしょう。数々の著名な落語家やお笑い芸人を輩出した笑いの殿堂で、昔ながらの下町文化を体感してみてください。
    浅草中央部エリア
  • 築地塀は、観音寺(かんのんじ)境内の南面を画する延長37.6mのいわゆる練り塀で江戸時代に築造された土塀です。土と瓦を交互に積み重ねて作った土塀に屋根瓦をふいた珍しいものです。人通りが絶えると、まるで江戸時代にタイムスリップしたような気分になります。平成4年(1992)に「台東区まちかど賞」を受賞しました。
    谷中エリア
  • 浅間神社は、富士信仰が盛んであった江戸時代、富士参りができない人々の為に元禄年間(1688~1703)創建と推察されており、本殿の扉には明治維新頃の漆喰彫刻「下り龍」が残っています。富士山山開きの7月1日に例大祭、5・6月の最終土日の4日間に植木市が行われます。
    奥浅草エリア
  • 柳橋はの起源は江戸中期、当時は下柳原同朋町(中央区)と対岸の下平右衛門町(台東区)とは渡船で往来していましたが不便なため、元禄11年(1698)に建設されました。明治20年(1887)に鋼鉄橋になり、その後の関東大震災にて焼失したため、昭和4年(1929)に現在の橋が完成しました。
    浅草橋・蔵前エリア
  • したまちミュージアム付設展示場は、明治43年に建てられ、昭和61年(1986)まで谷中6丁目で営業していた「吉田屋酒店」を移築した展示場です。前土間、揚戸の出入口など江戸商家の建築様式を伝える貴重な建物です。館内には、酒を量売りしていた時に使用した大きな棹秤、枡、樽や徳利、宣伝用ポスターなどの資料を展示しています。
    谷中エリア
  • 厩橋は、春日通りが隅田川を渡る橋です。この橋の創架は明治7年(1874)で、隅田川では 第6番目の橋です。この一帯には幕府の御米蔵があり、米の運搬のために馬もたくさん飼われ、「御厩」 の名称となりました。現在の橋は、昭和4年(1929)に架設されたもので、親柱には馬をデザインしたガラス細工が組み込まれています。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 浅草寺本堂の東側、石造大鳥居をくぐったところに位置し、「三社さま」の名で親しまれる浅草の総鎮守。毎年5月に行われる日本を代表する祭礼の一つ、「三社祭」は東京の初夏の風物詩。「大行列」や無形文化財「びんざさら舞」のほか、神輿を担いで浅草を巡行する「神輿渡御」が見どころです。町を練り歩く担ぎ手たちの威勢良い掛け声が響き渡り、浅草の町がまつり一色に染まります。
    6月の「夏越し(なごし)の大祓」では、茅草で作られた輪の中(茅の輪)が設置されます。それを八の字に三回通って穢れを祓うことで疫病や災厄から逃れ、福徳があると伝えられる行事です。

    本殿には浅草寺のご本尊である聖観世音菩薩像を見つけた漁師の兄弟とともに、尊像として奉安した郷土の文化人、土師真中知(はじのなかとも)の3人が祀られています。江戸時代に徳川家光が寄進した社殿は本殿・幣殿と拝殿の間が渡り廊下で繋がる建築様式。国の重要文化財に指定されています。また、浅草名所七福神のひとつとしても知られ、恵比須像が祀られています。
    浅草中央部エリア

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