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該当件数33件
  • 子どもの無病息災を願い、毎年3月3日の雛祭りに近い日曜日に隅田川で開催される「江戸流しびな」。主催は江戸流し雛振興会。流しびなは、子どもの災いを紙や草木で作った人形(ひとがた)に託し、川や海に流すことで祓い清める行事です。平安時代中期に始まったと伝わり、日本各地で行われています。
    当日は、正面に東京スカイツリーを臨む隅田川河畔にて、幼稚園児をはじめ事前公募の一般参加者1,500人がそれぞれの願いを記した「流しびな」を流します。抽選で外れた場合は、当日会場で流しびなを購入して参加することも可能。護岸が高いため、特設の滑り台を使ってひな人形を水面に浮かべます。例年、見物客も含めて3,000人近くのお年寄りから若者まで日本古来の伝統行事を楽しみます。
    浅草中央部エリア
  • 関東大震災や東京大空襲などで隅田川で亡くなった多くの方々の霊を弔うために始まった「隅田川とうろう流し」。一時期は中止されていましたが、隅田川沿岸の親水テラスなどが整備されたのにあわせて復活。現在では、台東区と墨田区の両岸で開催され、年齢・国籍を問わず多くの参加者が集います。最近は、追悼だけではなく、七夕のように願い事を書いて成就を祈るという新たな側面も。
    言問橋と吾妻橋の間の川面をゆらゆら流れ、隅田川を彩る幻想的なろうそくの光。その風景は、日本の夏の風情そのもの。とうろうは当日購入も可能ですが、数に限りがあり大変な混雑になりますので、事前購入がおすすめです。自宅でじっくりとうろうを組み立ててから当日持参するのがスマートかもしれません。
    また、隅⽥川とうろう流しの開催に合わせて、屋形船やクルーズ船が運航されます。隅田川に浮かぶ船の上から特設スロープを使って、とうろうを流してみませんか。
    浅草中央部エリア
  • 戦後、海外からさまざまな音楽が日本に紹介されるなか、ジャズやロカビリー、マンボやルンバ、そして痛快なリズムと振り付けのない特徴でサンバも多くの人に親しまれました。1970年代後半、劇場や娯楽施設が立ち並ぶ日本一の劇場街として賑わっていた「浅草六区」もテレビの普及からかげりが見えはじめ、喜劇俳優の伴淳三郎氏からサンバを提案されたことが「浅草サンバカーニバル」の始まりと言われています。

    「常に浅草に新しい文化を」という“浅草っ子気質”から、1981年にスタートし、開催当初は本格的なサンバチームは少なく、仮装コンテスト的様相の強いイベントでしたが、年々、楽器を揃え、衣装を工夫し「サンバ」を追求するチームが増え、リオデジャネイロのカーニバルをお手本とする出場チームの努力などもあり、非常にレベルが高い、北半球最大級のサンバカーニバルに成長しました。
    一日限りの開催でありながら、近年では約50万人の人出があり、馬道通り~雷門通りを会場に、参加するサンバチームは規模などに応じてグループ分けがなされ、表現力や衣装、演奏、ダンスなどの観点から採点方式で優勝を競い合うコンテストとなっています。
    浅草中央部エリア
  • 亡者送りは、江戸中期から始められた天下泰平・五穀豊穣を祈願する「温座秘法陀羅尼会」の開白から7日間168座修の結願の日に行われる最後の行事です。境内をめぐる二人の鬼が松明を地面に叩きつけた燃えかすを、火除け・厄除けの縁起物として持ち帰ることができます。
    浅草中央部エリア
  • 「示現」とは神仏が人々を救うため、様々な姿でこの世に現れることをいいます。浅草寺の本尊である聖観世音菩薩がご示現された浅草寺草創の聖日(推古天皇36年(628)3月18日)を祝うのが「浅草観音示現会」です。毎年この日には「本尊示現会」という法要を行い、当日に限り祈祷札は「紅札」と呼ばれる赤いお札が授与されます。
    浅草中央部エリア
  • 十三詣は、13才になった男女が虚空蔵菩薩さまにお参りして知恵を授かる行事で、浅草寺では昭和49年(1974)から復活して行われています。本堂内で浄水を頭にかけ、宝印を額にあててもらって、厄除けと成人への祈願の儀式とされています。
    浅草中央部エリア
  • 宝の舞は、宝船を多勢の幼稚園児が漁師の衣装に身をつつみ引きます。この宝船は、福徳をあらわす七福神を乗せた船として古来人気がありました。浅草寺ご本尊の観音様は、浜成、竹成という兄弟の漁師によって示現されました。その故事にちなみ、この観音様の福徳をたたえるとともに、子供の健やかな成長を祈って行われます。
    浅草中央部エリア
  • 江戸時代に徳川4代将軍の家綱公の命により、隅田川の両岸に桜が植えられたことが始まりと言われ、徳川8代将軍の吉宗公が100本の桜を植え足した記録が残る桜の名所。台東区側の隅田公園には、ソメイヨシノを始め、オオシマザクラ、サトザクラなど約500本の桜が咲き、3月下旬から4月上旬にかけて「隅田公園桜祭り」が開催されます。

    夜になるとライトアップした夜桜を眺めることができるほか、隅田川の桜と東京スカイツリーのコラボレーションが楽しめるともあって人気のお花見スポット。屋形船からも風情ある花見が楽しめます。
    浅草中央部エリア
  • 紀州辺の漁家が、釣り針の折れなどを海底に沈めて海神を慰める習俗から、日常使った針を淡島神社に納め供養するようになりました。旧針は三宝にのせ、折れた針は豆腐などにさして納め、日常使い古した針に対し、報恩、感謝の念を表す行事で、大勢の婦人で賑わいます。
    浅草中央部エリア
  • 4月8日はお釈迦さまのご生誕を祝う「仏生会」の日です。現在では「花まつり」の名で親しまれている春の行事です。毎年、浅草寺では本堂に「仏誕図」を掛けて法要が行われ、本堂前の参道では浅草寺幼稚園園児らの行列が白象をひいて誕生仏に参拝し、甘茶の無料接待などが行われて賑やかにお釈迦さまの誕生を祝う一日となります。
    浅草中央部エリア
  • 昭和39年(1964)の宝蔵門落慶を記念して創始された舞が「福聚の舞」です。福聚とは「観音経」にある「福聚海無量:観音さまが備えている海のごとき福徳の聚り」から名付けられたもので、節分会で奉演される「七福神の舞」と5月5日の端午の節句に奉演される「宝の舞」とがあります。
    浅草中央部エリア
  • 浅草寺の草創に関わった檜前兄弟と土師真中知(はじのなかとも)の3人を祀る浅草神社で行われる「三社祭」は、1312年に神輿を船に載せて隅田川を渡御した「船祭」を起源とする、日本を代表する祭礼の一つです。
    以前は、浅草寺のご本尊が示現された3月18日を中心とした祭でしたが、現在は毎年5月中旬の金・土・日曜日に実施され、本社神輿御霊入れの儀や、無形文化財「びんざさら舞」の奉納が行われます。

    この祭りの中でも、最終日に行われる、勇壮且つ華やかな神輿渡御や御本社神輿3基の「宮出し」は圧巻の迫力。東部・西部・南部方面の氏子各町へ向けて、御本社神輿が担ぎ出され、日没後に神社境内へ戻る「宮入り」を迎えて祭礼行事が終わります。観衆の熱気に浅草一帯は包まれ、三日間で延べ180万もの人出で賑わいます。
    江戸風情の残る下町浅草が1年でもっとも活気付くと言われ、台東区の初夏を代表する風物詩となっています。
    浅草中央部エリア
  • 1945年の東京大空襲で焼失した浅草寺本堂の再建を記念して創られた寺舞。浅草寺の山号「金龍山」にちなんだ金龍の舞は、毎年春と秋の2回奉演されます。
    長さ約18mもの金龍が仲見世や境内を練り歩く様子は迫力満点!賑やかなお囃子とともに、勇ましく、力強く、まるで生きているかのように華やかな舞が繰り広げられます。行列の先頭を歩くのは、観音様を象徴する「蓮華珠(れんげしゅ)」。蓮華珠を守護する88kgの金龍を、8人で自在に操る巧みな技術も見どころのひとつです。
    浅草中央部エリア
  • 本堂で行われる菊供養会は、ご信者たちが菊の花を供えて加持祈祷を受けた菊と交換し、多くの人で賑わいます。この日授与される「菊のお守り」は延命長寿のご利益があるとされています。
    浅草中央部エリア
  • 江戸時代より、毎年歳末に行われる浅草寺「歳の市」での正月用品や縁起物の販売に始まり、江戸末期頃には「羽子板市」として歳末の風物詩に定着し、江戸情緒ある歌舞伎の絵柄に加えて、昭和25年頃には話題の社会風刺、時事や人気タレントなどを題材にした変わり種羽子板など多彩な作品が販売されます。
    浅草中央部エリア
  • 毎年7月9日・10日に行われる「ほおずき市」は、浅草寺の風物詩。約100軒もの露店が立ち並び、夜遅くまで賑わう様子はまさに江戸情緒を感じる景色です。境内は鮮やかなほおずきで彩られ、チリンチリンと鳴る風鈴が涼を添えます。
    浅草寺では、「参拝すると数百~数千日分の功徳が得られる」とされる功徳日が月に1度設けられていますが、特に7月10日は46,000日分の功徳がある特別な日。「四万六千日」と呼ばれる7月10日とその前日が、参拝者で賑わう縁日として定着したそうです。
    ほおずき市でしか手に入らない祈祷札「黄札」や「雷除札」もお見逃しなく!
    浅草中央部エリア
  • 早慶レガッタは明治38年(1905)に、隅田川向島で第1回大会が開催されて以来、2005年で74回、100年目を迎えました。「レガッタ」とは、イタリア語のレガータ(覇を競う争い)に由来し、「ボートレース」のことを意味します。日本の早稲田大vs慶應大の対校戦は、「世界3大レガッタ」の一つといわれています。
    浅草中央部エリア 浅草橋・蔵前エリア 奥浅草エリア
  • 明治100年記念(東京100年)行事として、1968年に始まった「白鷺の舞」。京都の八坂神社を起源とする神事で、現在は京都の鷺舞を基本に「浅草寺縁起」に描かれたものを浅草観光連盟が復元し、春・初夏・秋に演じられています。
    白鷺を模した美しい白い羽やクチバシがついた踊り子の衣装はとても華やか。踊り子とともに、武人や棒ふり、餌まきと呼ばれる人などが、「白鷺の唱」を演奏しながら境内を練り歩く様子は見ごたえあり!ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
    浅草中央部エリア
  • 1945年の東京大空襲で焼失した浅草寺本堂の再建を記念して創られた寺舞。浅草寺の山号「金龍山」にちなんだ金龍の舞は、毎年春と秋の2回奉演されます。
    長さ約18mもの金龍が仲見世や境内を練り歩く様子は迫力満点!賑やかなお囃子とともに、勇ましく、力強く、まるで生きているかのように華やかな舞が繰り広げられます。行列の先頭を歩くのは、観音様を象徴する「蓮華珠(れんげしゅ)」。蓮華珠を守護する88kgの金龍を、8人で自在に操る巧みな技術も見どころのひとつです。
    浅草中央部エリア
  • 豆まきをして悪い鬼を払い、年齢よりひとつ多く豆を食べて無病息災を願う「節分」。この行事を江戸で大々的に行ったのは、浅草寺が最初でした。
    節分の一般的な掛け声といえば、「鬼は外、福は内」ですよね。しかし、浅草寺では「千秋万歳(せんしゅうばんぜい)福は内」!これは「観音様の前に鬼はいない」ことに由来します。

    節分会では、本堂や本堂東側の舞台で年男たちが豆まきを行います。福豆は授与所でも手に入りますが、年男たちが撒く福豆も大人気。手に入れようと、毎年多くの観光客が訪れる行事です。
    豆まきの後は、浅草寺三大寺舞のひとつ「福聚の舞(七福神の舞)」の奉演があり、境内では浅草寺幼稚園園児や芸能人による豆まきも行われるので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
    浅草中央部エリア
  • 浅草寺本堂裏広場にある九代目市川團十郎像(暫像)。歌舞伎の演目で歌舞伎十八番のひとつ「暫(しばらく)」で、正義の味方・鎌倉権五郎(かまくらごんごろう)を演じたのが市川團十郎です。「暫」のヒーロー鎌倉権五郎は、前髪姿の豪快な力強い子ども。その鎌倉源五郎のように丈夫で健康な子どもに育ってもらいたいという親の願いを込めて「泣き相撲」は行われます。まわし姿の組ませ役に抱かれた赤ちゃんが、土俵の上で泣き声を競い、先に泣いた方が勝ち。
    行司の「見合って、見合って」の声で、双方の組ませ役が赤ちゃんを見合わせ、「はっけよい、のこった」で、呼出し・組ませ役は、にらんだり、赤ちゃんを高く持ち上げたり、鬼の面をつけたり、あの手この手でなんとか泣かせようとします。組ませ役のしぐさに泣き出す子、逆に笑う子、寝たままの子とさまざまで、組ませ役の奮戦に心が和みます。
    応募方法等、詳しくは浅草観光連盟公式サイトでご確認ください。
    浅草中央部エリア
  • 元旦の午前0時、弁天山で除夜の鐘が鳴り響き新年の幕開けが告げられると、浅草寺に詰めかけた参拝者の大きな歓声とともに初詣が始まります。本堂内陣のご宝前では「新年特別祈祷」が始まり、1月7日まで30分~1時間ごとに閉堂近くまで営まれます。
    華やかな正月飾りで彩られた仲見世通りも、初詣ならではの見どころのひとつ。江戸時代から続くおみくじで新年の運勢を占ったり、自分や大切な人のために御守や開運厄除札を授与いただいたり、新たな年の幸せを祈ってお参りをしてみてはいかがでしょうか。

    ※浅草寺の境内は24時間自由に入退門できますが、本堂やその他の建造物には開閉門時間があります。例年、多くの参詣者が見込まれる元旦~3日には境内の参拝順路が設けられ、入場規制が行われます。山門である雷門を入口として仲見世通りが一方通行となり、途中の路地からの参列はできなくなりますのでご注意ください。加えて、周辺の道路では交通規制が実施され、車両通行禁止となる区間がありますので、併せてこちらも注意が必要です。なお、公式サイトでは、境内のライブカメラ映像を公開しており、事前に混雑状況を確認することができます。
    浅草中央部エリア
  • 浅草六区の西から「かっぱ橋道具街通り」を横切り、上野まで約1.2km続く「かっぱ橋本通り」を会場に、毎年七夕の日に近い週末をメインに地元商店街のお祭り「下町七夕まつり」が開催されます。
    浅草寺に詣でる御成道として西に真っすぐ整備されたと言われている通りは七夕飾りで彩られ、正面に見える東京スカイツリーとの競演を写真に収める人も。
    上野から浅草へ大人数が練り歩くパレードに始まり、流し踊りや路上パフォーマンス、商店街各所には地元商店による模擬店や、誰でも自由に短冊に願いごとを書いて飾ることができる笹竹も設置され、多くの人で賑わいます。
    夜は商店街の雰囲気が一変、ライトアップされた東京スカイツリーを背景に、ライトに照らされきらきら輝く七夕飾りの幻想的な光景が広がります。
    根岸・入谷・金杉エリア 浅草中央部エリア
  • 夜の暗闇の中でかがり火をたいた幻想的な雰囲気につつまれ、浅草寺の本堂と五重塔を背景に屋外に設けられた能舞台で上演される「台東薪能」。

    そもそも薪能は、奈良時代に中国から伝わった曲芸や奇術などの芸能、散楽に由来し、そこに日本古来の神楽舞や、五穀豊穣を祈る田楽などが融合して生まれたといわれています。 平安時代に入り次第に短い劇のような形の猿楽となり、室町幕府の将軍、足利義満の保護を受けた観阿弥・世阿弥親子によって現在の芸術性が確立されました。江戸時代には幕府の公式の芸能となりましたが、明治維新以降いったん下火に。第二次世界大戦後、奈良の興福寺の薪御能が復興し、その後全国に広がりました。

    台東薪能では、木遣りで火が運ばれる“火入れ式”が他の薪能にはない特色で大きな見どころです。野外の静けさ、風にそよぐ葉、薪がパチパチと燃える音。かがり火で照らされた幽玄な雰囲気のなか演じられる薪能は、神秘的で非日常的な世界へ見る者たちを連れて行ってくれます。
    浅草中央部エリア
  • 浅草の除夜の鐘は、「花の雲鐘は上野か浅草か」と芭蕉の有名な句で知られている弁天山の鐘を、正零時に地元信徒「百八会」の会員108人が交代に打ち鳴らならします。昭和26年(1951)の大晦日から今日まで続いています。この鐘を合図に浅草界隈は新年を迎え、初詣りの人々が仲見世を埋めつくしていきます。
    浅草中央部エリア
  • 台東区の春を彩る伝統行事「浅草流鏑馬」は、江戸時代に浅草神社の正月行事として、毎年1月5日に開催されていたものを1983年に観光行事として復活、現在は小笠原流弓馬術礼法宗家の協力により古式に則ったやり方で執り行われています。
    「浅草流鏑馬」では、隅田公園の隅田リバーウォークから言問橋間に特別馬場が作られ、鎌倉武士の狩装束を身にまとった射手が疾走する馬上から、壱ノ的、弐ノ的、参ノ的を次々と弓矢で射抜きます。
    山谷堀広場では、浅草流鏑馬に先立ち「草鹿」も開催され、烏帽子(えぼし)に直垂(ひたたれ)の古式装束を着けた射手が、高さ約110cmの鹿の形をした的を約20mの距離から弓で弾き、大勢の見物客が見守る中、その腕前と所作の美しさを競い合います。
    浅草中央部エリア
  • 1732年に発生した大飢饉と疫病の流行で犠牲となった人々の慰霊と悪疫退散を祈り、徳川幕府8代将軍吉宗公が水神祭を催しました。「隅田川花火大会」は、翌年の川開きの日に催された水神祭で、両国橋周辺で花火が上げられたことに由来し、歴史の記録に残る花火大会として、日本最古と言われています。
    当時は「両国の川開き」の名称で開催され、1961年を最後に、周辺の交通事情の悪化等により中止となりました。その後、1978年に「隅田川花火大会」と名を改め隅田川で復活し、打ち上げ場所もさらに上流へと移動して2か所から打ち上げられるようになりました。現在では毎年100万人近くの人出があり、令和5年(第46回)大会では過去最多103万人の観客者数を記録しました。
    毎年7月最終土曜日に、桜橋から言問橋の間に設けられた第一会場、駒形橋から厩橋の間に設けられた第二会場で、合わせて約2万発の花火が打ち上げられ、第一会場では花火コンクールも開催されます。
    浅草中央部エリア
  • 春うららかな桜満開の隅田公園にて、毎年花まつりが開催されます。会場では地元の子どもたちやサークル、豪華ゲストによるステージ、町会等による販売、お楽しみ抽選会等が行われます。
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  • 火渡りの神事が開催される秋葉神社は、東京一円の火災鎮護の神社です。拝殿内では祭儀が行われ、その途中、四方に注連縄を巡らせ、木炭を敷き並べて清められた火渡り式場に点火され、拝殿内の祭儀が終ると祭員は火難守護のお札を受けて、裸足で赤々と燃える炭火の上を無病息災と防火を祈りながら渡ります。
    浅草中央部エリア
  • 浅草観光連盟主催による恒例の秋の観光祭として、浅草寺を舞台に1ヶ月にわたり行われます。浅草寺境内では、関東一の菊花展や、菊茶屋、菊供養、金竜の舞、白鷺の舞が開催され、多くの観光客が訪れます。
    浅草中央部エリア
  • 子供の健康を祈って、男児5歳、女児3、7歳の時に、神様の御加護を頂けるように詣でをします。浅草神社の七五三詣のおみやげは、破魔矢や玩具、神餞のほかに、三社さま、お印の網模様の入った男児用お箸が頂けます。
    浅草中央部エリア
  • 投扇興とは、台の上に蝶と呼ばれる銀杏形の的を立て、そこに開いた扇を投げて落ちた的と扇の形を採点し、優劣を競う江戸時代に始まった遊びです。投扇興のつどいは、春の観光祭の名物行事となっており、投扇興の原型といわれる「投壺」や個人戦・団体戦で争われる競技会を見学できます。
    浅草中央部エリア
  • 松葉町(現:松が谷の一部)を氏子とする矢先稲荷神社の例大祭。
    本祭りは隔年開催ですが、御本社神輿は毎年担がれ、宮入道中では大勢の鳶頭による木遣が披露されます。
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