坂の街・谷中のフォトスポット6選! 美しい坂道を写真におさめよう
武蔵野台地の際に位置し、不忍通りが走る谷にも接している谷中の街。階段を下った先に谷中ぎんざ商店街がある「夕焼けだんだん」でも有名だが、起伏の多い地形で個性豊かな坂道が多い“坂の街”でもある。道幅や傾斜、沿道に立つ建物などそれぞれ雰囲気が異なり、写真に収めるのも楽しい。本記事では、そんな坂の街・谷中にある個性豊かな美しい坂を6つ紹介する。
どうして谷中は坂の街なのか?
冒頭で「谷中は起伏の多い地形」と書いたが、正確に言えば「島のような地形」ともいえる。武蔵野台地を陸に見立てたとき、その沿岸にぽっかりと浮かぶ島のような場所に位置しているからだ。この島は武蔵野台地のなかの上野台地と呼ばれる範囲で、東側は武蔵野台地の東端にあたり、山手線などの線路が台地の際を沿うように通っている。一方、上野台地の西側には蛇行する谷が南北方向に連なっているのがわかる。この谷をつくった川が藍染川なのか、かつては南下していたとされる石神井川なのかは諸説あるが、現在はその谷の中心を走っているのが不忍通りだ。
本記事で紹介する6つの坂は、すべて上野台地から北西あるいは南西に向かって下る坂。いわば同じ台地から同じ谷に下る坂なのだが、道の成り立ちや周囲の歴史によってまったく異なる表情を見せてくれる。谷のさらに西側には本郷台地があるため、対になる坂がある場所も多かったというわけ。坂の上から見下ろすと、谷の向こうの本郷台地まで見通すことができるのも、美しい坂の景色が生まれるポイントだ。
本記事で紹介する6つの坂は、すべて上野台地から北西あるいは南西に向かって下る坂。いわば同じ台地から同じ谷に下る坂なのだが、道の成り立ちや周囲の歴史によってまったく異なる表情を見せてくれる。谷のさらに西側には本郷台地があるため、対になる坂がある場所も多かったというわけ。坂の上から見下ろすと、谷の向こうの本郷台地まで見通すことができるのも、美しい坂の景色が生まれるポイントだ。
坂をうまく写真におさめるには
坂を写真や動画に撮ろうとした時に必ず直面する問題が、「坂が坂に見えない」ということ。坂の傾斜を捉え、立体感ある景色の魅力がうまく伝わるようにするには、道だけでなく周囲の建物なども含めて画角におさめるのがポイントだ。
急坂を坂の上から見下ろす場合は、視線を低くすることで三浦坂のように道が途切れているような見せ方にできる。また、坂を見上げて撮るなら、望遠レンズを駆使してなるべく離れたところから撮影することで、圧縮効果でぐっと道が立ち上がって見える。
急坂を坂の上から見下ろす場合は、視線を低くすることで三浦坂のように道が途切れているような見せ方にできる。また、坂を見上げて撮るなら、望遠レンズを駆使してなるべく離れたところから撮影することで、圧縮効果でぐっと道が立ち上がって見える。
今回紹介する谷中の坂MAP
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三崎坂(さんさきざか)
谷中霊園の南側から西へ、不忍通りの千駄木駅方面に向かって下っていく三崎坂。比較的勾配がゆるやかで、ゆったりとカーブを描いた道が印象的だ。寺町・谷中らしく、道の両脇はお寺だらけなのも特徴!お寺は台地の際など坂の途中に位置することが多いが、その代表例として挙げたいほど立派なお寺ロードである。
「三崎」は「みさき」ではなく「さんさき」と読み、「三崎町」はこのあたりの旧地名。駒込・田端・谷中の3つの高台にちなんだ名前なのではないかと考えられているそうで、案外スケールの大きな地名であることがわかる。
ちなみに、坂を下った先は再び上り坂。不忍通りの反対側に対をなす形で、西側の本郷台地を上ってゆく団子坂がある。
「三崎」は「みさき」ではなく「さんさき」と読み、「三崎町」はこのあたりの旧地名。駒込・田端・谷中の3つの高台にちなんだ名前なのではないかと考えられているそうで、案外スケールの大きな地名であることがわかる。
ちなみに、坂を下った先は再び上り坂。不忍通りの反対側に対をなす形で、西側の本郷台地を上ってゆく団子坂がある。
真島坂(まじまざか)
直線で短いながらもなかなかの急勾配! 区立谷中小学校の裏手にあり、三崎坂の南に三崎坂と並行して走る通りだ。
このあたりの旧地名を「真島町」というが、その由来は美作国(岡山県)真島藩三浦氏の下屋敷があったこと。幕末ごろ、周辺は武家屋敷が多かったようで、明治時代に入り真島藩の名にちなんだ町名がついた。
坂を眺めたり歩いたりしてその勾配を感じるのも楽しいが、注目したいのは坂の途中で南西方面に見える崖。真島坂の南側は上野台地と低地との境界が切り立った崖になっていて、それを見通すことができるのだ。
このあたりの旧地名を「真島町」というが、その由来は美作国(岡山県)真島藩三浦氏の下屋敷があったこと。幕末ごろ、周辺は武家屋敷が多かったようで、明治時代に入り真島藩の名にちなんだ町名がついた。
坂を眺めたり歩いたりしてその勾配を感じるのも楽しいが、注目したいのは坂の途中で南西方面に見える崖。真島坂の南側は上野台地と低地との境界が切り立った崖になっていて、それを見通すことができるのだ。
赤字坂(あかじざか)
南西方向に向かって下る急坂。そのまま進むと、週末に歩行者天国になる藍染大通りを通って根津神社入口の交差点にたどり着く道だ。自転車を降りて押している人をよく見かける急坂で、坂の上から見下ろすと不忍通りやその先まで見通せる。
この坂のポイントは、なんといっても道の北側にある立派な石垣。その上には、現在スタジオとして使われている日本家屋も立っている。
坂の名前の由来には諸説あるようだが、この石垣の上の一帯に邸宅を構えていた実業家・渡辺治右衛門に関係があるようだ。「明治(あかじ)坂」や「あかじ坂」と表記されることも多い。
この坂のポイントは、なんといっても道の北側にある立派な石垣。その上には、現在スタジオとして使われている日本家屋も立っている。
坂の名前の由来には諸説あるようだが、この石垣の上の一帯に邸宅を構えていた実業家・渡辺治右衛門に関係があるようだ。「明治(あかじ)坂」や「あかじ坂」と表記されることも多い。
三浦坂(みうらざか)
赤字坂とほぼ並行した道で、「大名時計博物館」の南側を通る細い通り。坂の上から見下ろすと、道が途中で途切れているように見えるほどの急勾配だ。道が細く、両脇に塀が立っていたり「大名時計博物館」の敷地に茂る木々も見えたりして、秘密の抜け道のような雰囲気がある。道沿いに立つ柳の木は、新緑の季節や紅葉の時期にはまた趣が違って見えるのもおもしろい。
真島坂と同じ、真島藩の三浦氏が由来になっていて、三崎坂と善光寺坂の中間に位置することから「中坂」という別名もあるとか。
真島坂と同じ、真島藩の三浦氏が由来になっていて、三崎坂と善光寺坂の中間に位置することから「中坂」という別名もあるとか。
善光寺坂(ぜんこうじざか)
隅田川の言問橋から谷中を抜けて春日へと至る言問通りの途中、不忍通りの根津駅に向かって下る坂。坂の上から見下ろすと、根津の街のにぎわいも遠目に見える。
その名の通り善光寺というお寺があったことでついた名前だが、善光寺自体は江戸時代の大火で焼失して移転。地名や坂の名前だけが名残りとしてこの場所に留まっているというわけ。信濃善光寺から「信濃坂」という別名もあるようだ。
ここも三崎坂と同様、坂を下った先は再び上り坂。対になっているのは、東京大学の敷地に向かって上っていく弥生坂だ。
その名の通り善光寺というお寺があったことでついた名前だが、善光寺自体は江戸時代の大火で焼失して移転。地名や坂の名前だけが名残りとしてこの場所に留まっているというわけ。信濃善光寺から「信濃坂」という別名もあるようだ。
ここも三崎坂と同様、坂を下った先は再び上り坂。対になっているのは、東京大学の敷地に向かって上っていく弥生坂だ。
三段坂(さんだんざか)
善光寺坂の途中、南東側に2本入ったところにある170m程度の道。なんの変哲もない住宅地内の坂のようで、よく見ると階段のようになっている。交差点が間に2カ所あり、その部分の道路が平らになっているためだ。今回紹介したなかでは唯一、坂自体の特徴を言い表した名前がついている坂でもある。
三段坂の「三段」たる様子をうまく写真におさめるには、ぐっと目線を低くして見てみるのも一つの手。道のうねりようがわかりやすくなる。
三段坂の「三段」たる様子をうまく写真におさめるには、ぐっと目線を低くして見てみるのも一つの手。道のうねりようがわかりやすくなる。
ライター/中村こより
1993年東京生まれ、北海道育ち。坂のある街に憧れて2020年から谷中在住。
街を歩いたりお店の話を聞いたりする記事をよく書いています。
好きなものは凸凹地形、地図、路上観察、夕立。
街を歩いたりお店の話を聞いたりする記事をよく書いています。
好きなものは凸凹地形、地図、路上観察、夕立。















