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該当件数319件
  • ねぎし三平堂は、林家三平の笑いの精神を受け継ぐ場所です。林家三平は落語家の名門に生まれながら、それまでの古典落語に飽き足らず、殻を大きく破った三平落語を創り上げました。自由闊達な話芸は、寄席だけにとどまらず、あらゆるメディアに進出し、神風タレント第一号、昭和の爆笑王として、いつまでも日本人の心に残っています。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 神田川にかかる浅草橋から、春日通り交差点までの江戸通りの両端には数多くの卸問屋が並んでいます。ここは、主に、おもちゃや工具材料などの卸問屋街として、発展を遂げてきました。現在では、ビーズ、装飾品、手芸などのお店も加わって個性豊かな特色のある卸問屋街となっています。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 花やしき通りは、浅草寺境内と六区興行街を結んでいます。最盛期の大正末期から昭和初期には花やしきを軸に、西に凌雲閣、南にはひょうたん池があり、終日遊山客の往来で賑わいました。大正7年には沿道に露店が許可され、現在でも衣裳屋や用品店、飲食店が多く、浅草寺境内まで趣のある町並みが続いています。
    浅草中央部エリア
  • 日本近代洋画の父ともいわれる黒田清輝は、大正13年(1924)に没する際、遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう遺言しました。これをうけて昭和3年(1928)に竣工したのが黒田記念館です。岡田信一郎により設計され、現在は黒田記念室と特別室で黒田清輝の作品を展示しています。
    上野・御徒町エリア
  • 浅草木馬館は、昭和52年(1977)に開館した大衆劇場で、全国人気劇団が月替わりで公演し、「涙あり笑いあり」の芝居や舞踊ショーが演じらています。お目当ての役者が登場すると客席からおひねりが飛び交います。
    浅草中央部エリア
  • 台東区立一葉記念館は、昭和36年(1961)に我が国初の女流作家の単独文学館として開館しました。一葉直筆の「たけくらべ」未定稿、下谷龍泉寺町で荒物駄菓子屋を営んでいた当時の仕入帳などの貴重な資料をはじめ、一葉が住んでいた頃の家並みや一葉旧宅の模型も所蔵・展示しています。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 太皷館では世界各国から収集された太鼓とその参考資料を永久保存し、広く一般に公開されています。収蔵品は900点にものぼり、いずれもが歴史・文化・民俗学的観点からも貴重であるばかりでなく資料的価値では世界一級のものばかりです。
    浅草中央部エリア
  • 江戸の下町を舞台にした「鬼平犯科帳」など、時代小説の傑作を多数発表した池波正太郎。日本を代表する時代小説作家の文学作品を後世に伝え、彼の功績を称えるために設立されたのが「池波正太郎記念文庫」です。
    館内には著作本や小説に関するさまざまな資料をはじめ、生前彼が愛用していた万年筆やパイプ、帽子などが展示されています。書斎も復元されており、池波正太郎をより身近に感じられるスポットです。また「池波グッズ」とよばれる、作品の舞台を紹介した古地図やポストカード、扇子など様々なグッズも必見。池波ファンにはたまらない空間となっています。
    浅草中央部エリア
  • 芸道富有、子孫繁栄の神様が祀られている天海僧正は、比叡山延暦寺にならって上野の山に寛永寺を創建しました。不忍池は、琵琶湖に見立てられ、竹生島にならって、水谷伊勢守勝隆が池に中ノ島(弁天島)を築き、寛永中期(1630年代)に弁天堂を建立しました。当初、小舟を渡して参拝していましたが、後に橋が架けられました。
    上野・御徒町エリア
  • 花川戸助六の歌碑は、明治12年(1879)に九世市川団十郎が中心となり、花川戸公園内の仰願寺に建立されました。関東大震災で崩壊し、後に現在地に再造立されました。碑面には「助六にゆかりの雲の紫を 弥陀の利剣で鬼は外なり」とあります。歌舞伎十八番の一つ「助六」は、代々の団十郎が伝えていますが、助六の実像は不明です。
    浅草中央部エリア
  • 関東大震災では遊女をはじめ多くの人々が池に逃れ、490人が溺死する悲劇が起こりました。この観音さまは溺死した人々の供養のために大正15年(1926)に造立されたものです。
    奥浅草エリア
  • 三崎坂は、谷中2丁目と3丁目の間を南東に上り、坂下で団子坂と向き合う坂です。この坂がある三崎町は三遊亭円朝の「怪談牡丹燈籠」の舞台にもなりました。右も左も寺ばかりで首を振り振り上り下りしたという説などから別名を首振り坂ともいいます。谷中の中央を東西に貫くメインストリートです。
    谷中エリア
  • すしや通りという名称は、明治時代、雷門通りから六区に通ずる延長100mの通りに18軒もの寿司屋が連なったことに由来しています。昭和61年(1986)には、通りに全覆式アーケードやカラー舗装が施されました。
    浅草中央部エリア
  • 浄名院は、寛文6年(1666)、上野寛永寺36坊のひとつとして開かれました。江戸時代の寺の隆盛の陰で不徳な僧も生まれたため、妙立和尚が不徳な僧を戒め、清い信仰を広めようと安楽律宗を開き、これを引き継いだ38世妙運大和尚が明治12年に五濁より民衆を救い仏恩に報いるために八万四千体の石地蔵建立を発願しました。現在では2万5千体を超える像が造立されています。
    谷中エリア
  • 根岸界隈のうち、旧日光街道沿い(金杉通り)は戦災で焼け残り、土蔵造りの商家が残っており、柳通りの裏路地には旧花街時代の建造物が所々に残っています。根岸の柳通りから来る道はかつて音無川が流れていた道です。柳通りには歩道の両側に柳が街路樹として植えられており、柳が密になるこの通りがかつて花街のあった界隈です。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • お化け地蔵は松吟寺(しょうぎんじ)にあります。「お化け地蔵」の名には、かつて大きな笠をかぶり、その笠が向きをかえたから、高さ3m余の並外れて大きいからなど、いくつかの伝承があります。石仏は享保6年(1721)の建立で、関東大震災で二つに折れましたが、補修して現在に至っています。常夜灯は、寛政2年(1790)に建てられました。
    奥浅草エリア
  • 駒形堂は、浅草寺のご本尊である観音像が、隅田川から引き上げられた地に建立されたお堂です。馬頭観音が祀られていることから「駒形」の地名の由緒ともなっています。現在の堂は平成15年(2003)に再建されたものです。ご本尊顕現の地のため、お堂周辺の十町余りの川筋は魚介殺生禁断となり、戒殺碑が建立されました。
    浅草中央部エリア
  • 甚内橋は鳥越川にかかっていた橋です。鳥越川は、不忍池から忍川をへて、三味線堀に落ち隅田川に注ぐ川で、今の蔵前通りと並行して流れていました。甚内橋跡は攅霊橋(浦島橋)から130mほど下流です。大きさは「長六間、両袖間壱間つゞ共一幅弐間」とあります。十字路の東南角には甚内橋跡の石碑があります。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 江戸時代中期の儒学者・経世家である太宰春台の墓は天眼寺(てんげんじ)にあります。春台は17歳の時儒学者、中野撝謙に師事し、朱子学を学びました。「経済録」・「聖学問答」・「弁道書」・「三王外紀」など数十巻を著し、日本に「経済」という言葉を広めた人物でもあります。延享4年(1747)に没しました。
    谷中エリア
  • 年始に七福神(恵比寿、大黒、毘沙門、弁財、布袋、福禄寿、寿老人)を祀る神社仏閣を参詣し、一年の平穏を祈る正月行事。江戸時代末期に始まり戦後は中断していましたが、1977年に復活し今日に受け継がれ親しまれています。

    浅草名所七福神の特徴は福禄寿、寿老人が2社ずつあり、巡る社寺が9ヶ所あるところ。九は数の究み、鳩と言う字にも使われていて、鳩は「集まる」という縁起の良い意味を持つ故事に由来しているそうです。福笹に各社寺の福絵馬をつけ、色紙・福絵に御朱印をいただきながら巡拝しましょう。

    江戸文化発祥の地といわれる浅草には、観音様の境内を中心として広く各所に名所・旧跡があります。七福神をめぐる途中、これらの名跡も訪ねながら江戸文化の面影を偲んでみてはいかがでしょうか。
    御利益にあやかりながらの散策は、福徳と心の安らぎを与えてくれることでしょう。
    浅草中央部エリア 奥浅草エリア
  • 吉原弁財天は、千束三丁目にある花園公園にあります。昭和10年吉原神社に合祀されたため、正確には神社ではありませんが、現在も鎮魂碑など多くの遺構を残しております。
    奥浅草エリア
  • 創業90余年の伝統的木造銭湯です。日替わりの薬湯が人気で、地元の人々を長年にわたり癒してた「下町の銭湯」です。店内にはジャズ音楽が流れ、グレープフルーツの輪切りや生姜、吟醸酒を使った湯が提供されることもあるといいます。谷中散歩の途中に立ち寄る人も多いです。
    谷中エリア
  • 元プロボクサーでコメディアンのたこ八郎さん(1940~1985)の地蔵があることで有名です。無病息災を祈願した「たこ地蔵」は「めいわくかけてありがとう たこ八郎」と自筆で刻まれており、発起人である由利徹さん、赤塚不二夫さん、山本晋也さんらの名前も刻まれています。日蓮聖人御開眼の毘沙門天を奉安しています。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 太平洋戦争で犠牲となった動物や動物園で亡くなった動物の霊を慰めるための慰霊碑です。上野動物園内のゾウ園の向かいにあります。最初の慰霊碑は昭和6年(1931)に建立され、現在のものは50年(1975)に新たに建立されました。人工石には「動物よ安らかに」の碑文が刻まれています。
    上野・御徒町エリア
  • 正月行事の一つとして、七福神をまつる神社・仏閣を参詣する風習が起こり、それを七福神詣などと呼びました。谷中七福神詣りは江戸時代中期、宝暦年間(1751~1764年)に始まり盛んになった、江戸では最も古い七福神巡礼といわれています。谷中、上野など歴史的な建造物や寺・公園を通りながら、ゆっくりと一日散策が楽しめるコースになっています。
    上野・御徒町エリア 谷中エリア
  • 谷中では、秋になると「さくら通り」などあちらこちらで桜の木が色づき始めます。さらに、イチョウやモミジなど紅葉する木がさまざまあり、見事な風景を作り出します。また、谷中霊園の天王寺の横の道からJR日暮里駅の西口に下りる石段の坂は「紅葉坂」といい、周辺の紅葉がきれいだったためこのように命名されたという説があります。
    谷中エリア
  • 東上野神仏具問屋街は、上野から浅草へ続く浅草通りにあります。別名「仏壇通り」といわれるほど、神仏具の専門店約60店舗が軒を連ねています。明暦3年(1657)の「明暦の大火」の後、徳川幕府により多くの寺院がこの周辺に集められたことで、仏壇・仏具などの職人が多く集まるようになりました。
    上野・御徒町エリア
  • 慶応4年(1868)の上野戦争によって荒れ果て、明治新政府が病院建設を決めていた上野の山を、近代的な公園にすべきと提言した長崎医学校教官でオランダ人医師ボードウィンの胸像です。昭和48(1973)年に建立されましたが、オランダ政府の資料の錯誤で平成18年(2006)に像を交換するまでは博士の弟の像でした。
    上野・御徒町エリア
  • 日の出湯は、宮大工により、昭和初期に建てられた銭湯です。外観は破風造りの社寺仏閣の様ですが、店内は平成19年(2007)に全面リニューアルしています。高い天井、広くゆったりとした浴室は、マイナスイオンがいっぱいです。男湯からは庭を眺めることができ、女湯は風呂場のタイルに水槽がはめ込まれ、可愛い金魚が泳いでいます。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • ゴルフ商品街は、御徒町駅を出てすぐのアメ横通りと駅前通りにあるゴルフショップ商店街です。アメ横通りは、CMで有名な「二木ゴルフ」や「ことぶきゴルフ」「ロイヤルゴルフ」、駅前通りは「フタバゴルフ」、といったゴルフショップが建ち並びます。品揃えも豊富で、ゴルフ好きの男性客で賑わっています。
    上野・御徒町エリア
  • 国立国会図書館法に基づく国内唯一の国立の児童書専門図書館として、平成12年(2000)に開館しました。国内外の豊富な資料と情報資源を活用し、子どもの本に関わる活動や調査研究を支援しています。また、子どもと本のふれあいの場としての役割も担っている図書館です。
    レンガ棟は、明治39年(1906)に建てられた帝国図書館の建物を保存・再利用しています。
    上野・御徒町エリア
  • 上野恩賜公園内の下町風俗資料館に近い植え込みの中に「龍門橋」と刻まれた石碑です。江戸時代には池の周りをめぐる堀があり、その堀にかかる小橋がいくつかありました。龍門橋はその中の一つで、ほかに月見橋、蓮見橋、花見橋などがありましたが、いずれも昭和初期にその姿を消し、今はこの石碑にその名残がわずかに残るだけです。
    上野・御徒町エリア
  • 上野恩賜公園内、不忍池の弁天島の天竜橋の向かい辺りに建てられている石碑で、徳川家康の愛用した眼鏡がかたどられています。東京の眼鏡業界の組合により昭和43年(1968)に建立されました。業界の発展に寄与した先覚者や建立者の名が刻まれています。
    上野・御徒町エリア
  • 根岸御行の松は、江戸名所図会や広重の錦絵にも描かれています。江戸名松の一つに数えられ、根岸4丁目の西蔵院不動堂の境内にあります。この松は、樋口一葉の作品「琴の音」や子規の俳句の題材にもなりました。初代の松は樹齢350年を経た後枯れてしまい、現在は平成30年に植えられた4代目の松になります。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 延命長寿、諸病平癒の神様が祀られている石浜神社は、東に隅田の大川、西に霊峰富士、北に名山筑波といった名勝に恵まれ、「江戸名所図会」などにも大きく納められ、「神明さん」の通称のもと、市民の間にその名を馳せました。石浜神社に祀られている寿老人像は、浅草名所七福神の復活に際し、延命長寿の神として奉安されたものです。
    奥浅草エリア
  • 岡倉天心宅跡は、旧宅跡であり日本美術院のあった場所で現在、岡倉天心記念公園になっています。 岡倉天心は東京大学在学中から日本美術の恩人フェノロサの感化を受け、日本の伝統美術復興に努力し、日本の近代美術の先駆者となりました。明治31(1898)に日本美術院を創設し、横山大観をはじめ優れた画家を世に送り出しました。
    谷中エリア
  • 笠森お仙・鈴木春信の碑は、お仙に関係の深い笠森稲荷を合祀している大円寺(だいえんじ)に大正8年(1919)に「笠森阿仙の碑」と「錦絵開祖鈴木春信」碑の二つの碑が建立されました。お仙は笠森神社前の茶屋「鍵屋」の看板娘で、江戸の三大美人の一人です。絵師鈴木春信はその姿を、当時新しい絵画様式である多色刷り版画「錦絵」に描きました。
    谷中エリア
  • 江戸時代、谷中には大円寺と福泉院に二つの笠森稲荷がありました。福泉院前の鍵屋という水茶屋にいたのが江戸で評判の美人お仙です。幕末の上野戦争で福泉院焼失し廃寺になり笠森稲荷は寛永寺の子院養寿院に移転しました。のち、明治26年に福泉院跡に建立されたのが功徳林寺(くどくりんじ)で、明治末期には稲荷社が祀られました。
    谷中エリア
  • 硯の資料室は、中国硯の研究に力を注ぐ楠文夫氏が蒐集した硯・石印・水滴等を展示した資料室です。中国では「硯は文人の魂」といわれ愛用されてきました。この中国四大名硯といわれる硯等300点以上が展示され、手にとって観賞することができます。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 西町太郎稲荷神社は、立花左近将監の母堂みほ姫の守り本尊として、現在地(万治年間(1658~61)に九州筑後柳川藩11万9600石の太守、立花左近将監の江戸中屋敷として設けられた邸跡地)に建立されたものです。諸々の祈願事を叶え、特に商売繁盛に御利益があると、厚く信仰されています。
    上野・御徒町エリア

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