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該当件数319件
  • 慶応4年(1868)の上野戦争によって荒れ果て、明治新政府が病院建設を決めていた上野の山を、近代的な公園にすべきと提言した長崎医学校教官でオランダ人医師ボードウィンの胸像です。昭和48(1973)年に建立されましたが、オランダ政府の資料の錯誤で平成18年(2006)に像を交換するまでは博士の弟の像でした。
    上野・御徒町エリア
  • 平賀源内は、江戸中期に活躍した本草学者、科学者、戯作者です。源内焼・寒暖計・エレキテル(摩擦起電器)を創作。浄瑠璃本、また洋画なども手がけ、司馬江漢らに影響を与えました。安永8年(1779)に人を誤って殺傷して捕えられ獄死しました。お墓は台東区橋場二丁目の住宅街にあります。
    奥浅草エリア
  • 永昌寺は、江戸時代永禄元年(1558)に浅草の下谷に下谷長者が開創した寺です。寛永14年(1637)に現在の地に移りました。近辺は大名屋敷が多く、肥前藩主松浦壱岐守の妻、永昌院が開基となり、寺名に由来しています。明治15(1882)に嘉納治五郎がこの寺院の境内に柔道場「講道館」を設立しました。
    上野・御徒町エリア
  • 正月行事の一つとして、七福神をまつる神社・仏閣を参詣する風習が起こり、それを七福神詣などと呼びました。谷中七福神詣りは江戸時代中期、宝暦年間(1751~1764年)に始まり盛んになった、江戸では最も古い七福神巡礼といわれています。谷中、上野など歴史的な建造物や寺・公園を通りながら、ゆっくりと一日散策が楽しめるコースになっています。
    上野・御徒町エリア 谷中エリア
  • 全生庵は、山岡鉄舟居士が徳川幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治16年(1883)に建立しました。また、居士との縁で落語家の三遊亭円朝の墓所があり、円朝遣愛の幽霊画五十幅、明治大正名筆の観音画百幅が所蔵されています。
    谷中エリア
  • 蔵前橋西詰めの下流側に石碑と若木が植えられています。初代「首尾の松」は、江戸時代安永年間(1772~80)風災で倒れ、その後も枯れたり焼失し、昭和37年(1962)これを惜しんだ浅草南部商工観光協会が、地元関係者と共にこの橋際に碑を建設しました。現在の松は七代目といわれます。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 上野恩賜公園内の東照宮の入り口付近にあり、寛永8年(1631)、佐久間勝之が奉納した石灯籠です。高さ約6m、笠石の周囲約4mとあまりにも巨大な灯籠のため「お化け灯籠」と呼ばれています。名古屋の熱田神宮の石灯籠、京都南禅寺の大石灯籠と合わせて日本三大石灯籠のひとつに数えられています。
    上野・御徒町エリア
  • 書道博物館は、洋画家であり書家でもあった中村不折により、昭和11年(1936)に開館されました。博物館には、亀甲獣骨文、青銅器、石碑、鏡鑑、拓本、経巻文書など不折が書道研究のために収集した、中国、日本の書道に関する古美術品、考古出土品など重要文化財12点、重要美術品5点を含む約16000点が収蔵されています。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 駒形堂は、浅草寺のご本尊である観音像が、隅田川から引き上げられた地に建立されたお堂です。馬頭観音が祀られていることから「駒形」の地名の由緒ともなっています。現在の堂は平成15年(2003)に再建されたものです。ご本尊顕現の地のため、お堂周辺の十町余りの川筋は魚介殺生禁断となり、戒殺碑が建立されました。
    浅草中央部エリア
  • 「セイコきもの文化財団」が、着物文化の普及向上を目的に平成2年(1990)に開設した美術館です。着物に関する資料の収集・調査研究を行い、江戸時代から明治・大正時代の着物や歌舞伎の舞台衣装など企画展示を行っていました。平成18年(2006)に休館となりましたが、着物に関する調査研究等は引き続き本財団で行っています。
    平成18年(2006)に休館
    上野・御徒町エリア
  • 上野恩賜公園内、不忍池の弁天島の天竜橋の向かい辺りに建てられている石碑で、徳川家康の愛用した眼鏡がかたどられています。東京の眼鏡業界の組合により昭和43年(1968)に建立されました。業界の発展に寄与した先覚者や建立者の名が刻まれています。
    上野・御徒町エリア
  • 2019年に放送されたテレビアニメ「さらざんまい」において、かっぱ橋周辺や浅草地域を中心に台東区内の風景が細かく描かれ、放送終了後も聖地として多くのアニメファンが来訪しています。このマンホール蓋は、東京都下水道局や製作委員会、地元商店街等の協力のもと、観光振興を目的に設置されました。
    描かれているのは、主人公である矢逆一稀、久慈悠、陣内燕太の3人が、かっぱ橋に封印されていた謎のカッパ型生命体“ケッピ”によって河童の姿に変身させられた姿です。

    設置年月日:令和3年4月13日
    浅草中央部エリア
  • 吉原弁財天は、千束三丁目にある花園公園にあります。昭和10年吉原神社に合祀されたため、正確には神社ではありませんが、現在も鎮魂碑など多くの遺構を残しております。
    奥浅草エリア
  • 明治13年(1880)に竣工された都内に現存する最古のレンガ建築です。この建物は、教育博物館の書籍庫として建てられたもので、耐火を重視し、すべての開口部に鉄扉を付設するなどの不燃性を重視した造りとなっています。築124年を迎えた平成22年(2010年)に耐震改修事業の一環により全面改修が施されました。
    上野・御徒町エリア
  • 川沿いの散策が心地よい「隅田公園」は、江戸時代から桜の名所として知られる人気スポット。吾妻橋から桜橋まで川の両堤沿いに広がる桜は約1km続いており、その美しさから日本さくら名所百選に選定されています。
    東京スカイツリーとの共演も見逃せません。風のない日は川の水面に映った「逆さスカイツリー」と桜のコラボレーションも楽しめます。シーズン中は夜桜がライトアップされ、日中とは異なる幻想的な雰囲気に包まれるのも魅力のひとつ。屋形船や水上バスも運航しているので、いつもと違った目線のお花見もおすすめです。
    浅草中央部エリア
  • 漫画・アニメ作品「ブルーピリオド」は、主人公の高校生・矢口八虎が1枚の絵画との出会いをきっかけに美大受験を目指す青春物語を描いた作品であり、台東区の東京藝術大学をはじめ、上野恩賜公園や公園内の文化施設が舞台として登場します。
    区にゆかりのある本作品を通して、新たな観光スポット創出による誘客促進と区内観光客の回遊性向上を図るため、こちらのマンホール蓋を設置しました。

    設置年月日:令和4年3月1日
    上野・御徒町エリア 谷中エリア
  • 川柳発祥の地碑は、三筋2丁目交差点の南東角に建っている石碑です。平成19年(2007)、川柳発祥250年を記念して建立されました。旧浅草新堀天台宗龍宝寺前(現在の蔵前4丁目)に住んでいた里正柄井八右衛門が無名庵川柳と号し、初めて万句合を興行しました。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 太平洋戦争で犠牲となった動物や動物園で亡くなった動物の霊を慰めるための慰霊碑です。上野動物園内のゾウ園の向かいにあります。最初の慰霊碑は昭和6年(1931)に建立され、現在のものは50年(1975)に新たに建立されました。人工石には「動物よ安らかに」の碑文が刻まれています。
    上野・御徒町エリア
  • 神田川にかかる浅草橋から、春日通り交差点までの江戸通りの両端には数多くの卸問屋が並んでいます。ここは、主に、おもちゃや工具材料などの卸問屋街として、発展を遂げてきました。現在では、ビーズ、装飾品、手芸などのお店も加わって個性豊かな特色のある卸問屋街となっています。
    浅草橋・蔵前エリア
  • すしや通りという名称は、明治時代、雷門通りから六区に通ずる延長100mの通りに18軒もの寿司屋が連なったことに由来しています。昭和61年(1986)には、通りに全覆式アーケードやカラー舗装が施されました。
    浅草中央部エリア
  • 高橋お伝の墓碑は谷中霊園にあります。本名は高橋でんです。強盗殺人の罪で斬首刑に処せられた女性で、仮名垣魯文の「高橋阿伝夜刃譚」のモデルとなり、「明治の毒婦」と呼ばれました。でんの墓に参ると三味線が上達するという評判があり、三味線を習うひとの墓参が伝逝去後の現在もかなりあるといわれています。
    谷中エリア
  • 愛知県三河に創建された浄土真宗の徳本寺は、檀家本多正信に請われ神田に移転し、江戸時代明暦3年(1657)の大火後に西浅草に移りました。「本多正信夫妻の絵像」(国重要文化財)を所蔵し、境内には佐野善左衛門政言「世直し大明神」の墓があります。
    浅草中央部エリア
  • 江戸開城の功労者で宮内省御用掛を務めた山岡鉄舟と初代三遊亭圓朝の墓は、鉄舟が明治16年(1883)に建立した全生庵にあります。鉄舟は晩年、禅を修め道場としてこの寺を建てました。居噺で人気を博した円朝は禅を通じて鉄舟に師事し親交を深めました。円朝の墓石には、鉄舟の筆により「三遊亭円朝無舌居士」とあります。
    谷中エリア
  • 曹源寺(かっぱ寺)は、江戸時代には大雨のたびに掘割の溢れた水に苦しむ住民のために雨合羽商の喜八は私財を投じて水はけ工事を行い、これを河童が手伝って瞬く間に完成させたといわれています。この噂が広まり「かっぱ寺」とも呼ばれ、特に水に縁のある商売人から信仰されています。
    浅草中央部エリア
  • 不忍池由来碑は、上野恩賜公園の弁財天入口近くにある石碑で、昭和41年(1966)に建立されました。上野台地と本郷台地の間を忍ヶ丘と呼ばれていたことに由来しているといわれています。この地域は、古くは海で、海岸線の後退で沼のようになったのは平安時代といわれています。
    上野・御徒町エリア
  • 元プロボクサーでコメディアンのたこ八郎さん(1940~1985)の地蔵があることで有名です。無病息災を祈願した「たこ地蔵」は「めいわくかけてありがとう たこ八郎」と自筆で刻まれており、発起人である由利徹さん、赤塚不二夫さん、山本晋也さんらの名前も刻まれています。日蓮聖人御開眼の毘沙門天を奉安しています。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 日本近代洋画の父ともいわれる黒田清輝は、大正13年(1924)に没する際、遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう遺言しました。これをうけて昭和3年(1928)に竣工したのが黒田記念館です。岡田信一郎により設計され、現在は黒田記念室と特別室で黒田清輝の作品を展示しています。
    上野・御徒町エリア
  • 鳩ポッポの歌碑は、昭和37年(1962)に作詞の舞台となった浅草寺本堂の西側に建立されました。童謡「鳩ポッポ」は、作詞家である東くめ女史が、浅草寺の境内にて鳩と戯れている子供たちをみてこの歌詞を書き、滝蓮太郎により作曲されました。
    浅草中央部エリア
  • 浅草御蔵とは、江戸幕府が全国に散在する天領から運んだ年貢米や買い上げ米などを収納・保管した倉庫のことです。大坂、京都の二条城と合わせて三御蔵と呼ばれていました。浅草御蔵跡碑は昭和31年(1956)に浅草南部商工観光協会が建立し、現在も使われている「蔵前」という町名が生まれたのは昭和9年(1934)のことです。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 嘉永・安政時代に下谷坂本村字入谷に住んでいた植木師の成田屋山崎留次郎が、東の朝顔造りの大関であったと記録が残っています。入谷が朝顔で有名になったのは、明治になってからのことで、土質が朝顔造りに適していたのか、十数件の植木屋が、一軒500~600坪の土地を有し、軒を連ねて朝顔造りをはじめました。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 市村座の定式幕は、「黒」「萌葱(緑)」「柿色」三色の引幕で、現在国立劇場が同じ定式幕を使用しています。猿若町では天保末期から明治にかけて1丁目に中村座、2丁目に市村座、3丁目に河原崎座(後の守田座)があり、芝居町を形成していました。江戸歌舞伎興隆の場となったこの地に昭和39年(1964)に跡碑が建てられました。
    奥浅草エリア
  • 三崎坂は、谷中2丁目と3丁目の間を南東に上り、坂下で団子坂と向き合う坂です。この坂がある三崎町は三遊亭円朝の「怪談牡丹燈籠」の舞台にもなりました。右も左も寺ばかりで首を振り振り上り下りしたという説などから別名を首振り坂ともいいます。谷中の中央を東西に貫くメインストリートです。
    谷中エリア
  • 東上野神仏具問屋街は、上野から浅草へ続く浅草通りにあります。別名「仏壇通り」といわれるほど、神仏具の専門店約60店舗が軒を連ねています。明暦3年(1657)の「明暦の大火」の後、徳川幕府により多くの寺院がこの周辺に集められたことで、仏壇・仏具などの職人が多く集まるようになりました。
    上野・御徒町エリア
  • 包丁塚は、上豊調理師会により建立されました。この石碑は、不忍池の中央にある弁天島にあり、弁天島には、その他ふぐ供養碑やめがねの碑などユニークな石碑が多いことで知られています。
    上野・御徒町エリア
  • したまちミュージアム付設展示場は、明治43年に建てられ、昭和61年(1986)まで谷中6丁目で営業していた「吉田屋酒店」を移築した展示場です。前土間、揚戸の出入口など江戸商家の建築様式を伝える貴重な建物です。館内には、酒を量売りしていた時に使用した大きな棹秤、枡、樽や徳利、宣伝用ポスターなどの資料を展示しています。
    谷中エリア
  • 2019年に放送されたテレビアニメ「さらざんまい」において、かっぱ橋周辺や浅草地域を中心に台東区内の風景が細かく描かれ、放送終了後も聖地として多くのアニメファンが来訪しています。当該ポストは、浅草郵便局や製作委員会、地元商店街等の協力のもと、観光振興を目的に設置されました。
    <「さらざんまい」監督の幾原邦彦氏のコメント>
    「実在する風景を舞台として制作したキャラクターたちが、このような形で地域の方々にも受け入れていただけて大変嬉しいです。聖地巡礼のシンボルとしていただければスタッフ一同、幸いです。」

    設置年月日:令和3年3月10日
    浅草中央部エリア
  • 上野恩賜公園内の不忍池の弁天島にある石碑で、昭和51年(1976)に「東京魚商業協同組合」によって建立されました。碑文には「四海を海に囲まれた我が国では、(中略)私共水産小売業者は、水揚げされる水産資源に感謝し慎んで魚の霊を悼み、組合創立50周年を機に供養のためこの塚を建立します」とあります。
    上野・御徒町エリア
  • 元三島神社の起源は、弘安の役(蒙古襲来1281年)にさかのぼります。勇将河野通有は愛媛県大三島の大山~神社に必勝祈願し出陣。武功を挙げ帰陣したところ、夢の中に神のお告げを得て大山~神の分霊を観請して上野山内に鎮座したことが始まりです。元三島神社は徳川幕府から社領を受けますが、御用地となったために上野から浅草へ移転し、現在の地に至ります。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 昭和43年(1968)に、嘉納治五郎没後30周年を記念して講道館が建立した石碑です。明治15年(1882)講道館の創始者嘉納治五郎が永昌寺(えいしょうじ)に下宿して友人や門弟らと稽古を始めたのが柔道の始まりといわれています。当時の建物は関東大震災で焼失しました。永昌寺は小説「姿三四郎」に登場する隆昌寺のモデルでもあります。
    上野・御徒町エリア
  • 浅草迷子しらせ石標は、江戸時代安政7年(1860)の復元として、昭和32年(1957)に浅草寺本道前に建立されました。石標は当時、迷子や尋ね人の掲示板の役割を果たしていました。また、安政の大地震による吉原楼閣の犠牲者の慰霊碑でもあります。
    浅草中央部エリア

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