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該当件数72件
  • 江戸時代より、毎年歳末に行われる浅草寺「歳の市」での正月用品や縁起物の販売に始まり、江戸末期頃には「羽子板市」として歳末の風物詩に定着し、江戸情緒ある歌舞伎の絵柄に加えて、昭和25年頃には話題の社会風刺、時事や人気タレントなどを題材にした変わり種羽子板など多彩な作品が販売されます。
    浅草中央部エリア
  • 早慶レガッタは明治38年(1905)に、隅田川向島で第1回大会が開催されて以来、2005年で74回、100年目を迎えました。「レガッタ」とは、イタリア語のレガータ(覇を競う争い)に由来し、「ボートレース」のことを意味します。日本の早稲田大vs慶應大の対校戦は、「世界3大レガッタ」の一つといわれています。
    浅草中央部エリア 浅草橋・蔵前エリア 奥浅草エリア
  • 豆まきをして悪い鬼を払い、年齢よりひとつ多く豆を食べて無病息災を願う「節分」。この行事を江戸で大々的に行ったのは、浅草寺が最初でした。
    節分の一般的な掛け声といえば、「鬼は外、福は内」ですよね。しかし、浅草寺では「千秋万歳(せんしゅうばんぜい)福は内」!これは「観音様の前に鬼はいない」ことに由来します。

    節分会では、本堂や本堂東側の舞台で年男たちが豆まきを行います。福豆は授与所でも手に入りますが、年男たちが撒く福豆も大人気。手に入れようと、毎年多くの観光客が訪れる行事です。
    豆まきの後は、浅草寺三大寺舞のひとつ「福聚の舞(七福神の舞)」の奉演があり、境内では浅草寺幼稚園園児や芸能人による豆まきも行われるので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
    浅草中央部エリア
  • 元旦の午前0時、弁天山で除夜の鐘が鳴り響き新年の幕開けが告げられると、浅草寺に詰めかけた参拝者の大きな歓声とともに初詣が始まります。本堂内陣のご宝前では「新年特別祈祷」が始まり、1月7日まで30分~1時間ごとに閉堂近くまで営まれます。
    華やかな正月飾りで彩られた仲見世通りも、初詣ならではの見どころのひとつ。江戸時代から続くおみくじで新年の運勢を占ったり、自分や大切な人のために御守や開運厄除札を授与いただいたり、新たな年の幸せを祈ってお参りをしてみてはいかがでしょうか。

    ※浅草寺の境内は24時間自由に入退門できますが、本堂やその他の建造物には開閉門時間があります。例年、多くの参詣者が見込まれる元旦~3日には境内の参拝順路が設けられ、入場規制が行われます。山門である雷門を入口として仲見世通りが一方通行となり、途中の路地からの参列はできなくなりますのでご注意ください。加えて、周辺の道路では交通規制が実施され、車両通行禁止となる区間がありますので、併せてこちらも注意が必要です。なお、公式サイトでは、境内のライブカメラ映像を公開しており、事前に混雑状況を確認することができます。
    浅草中央部エリア
  • 学問や芸能、仕事運などにご利益があるといわれる入谷にある小野照崎神社。平安時代の歌人で百人一首にも登場する小野篁(おののたかむら)を祭神としています。境内に鎮座する浅間神社には、国の重要有形民俗文化財に指定され、1782年(天明2年) に築山された幅15m、高さ6mにおよぶ富士塚「下谷坂本富士」があります。全体が富士山の溶岩石で覆われ、霊峰・富士の分身ともいえるその富士塚は、今も昔ながらの荘厳な姿のまま。富士信仰に伴い、老若男女だれでも心安く富士に登山できるようにと築かれました。
    その「下谷坂本富士」が、富士山の開山に合わせて、年に2日だけ開放され、誰でも気軽に登ることが可能です。この“お山開き”は、夏越の大祓、そして、上半期の納めと新たな半期の息災を祈る祭礼です。富士の歴史や文化に触れながら、子どもは夢中になって何度も登り、大人は精神的な体験を求めて登拝を行います。年に2日しか登ることのできないこの“お山開き”を、ぜひ体験してみませんか。
    また、お山開き特別授与品の授与もありますので、2日間限定の特別御朱印なども要チェックです。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 入谷に鎮座する小野照崎神社は、平安時代の歌人で百人一首にも登場する小野篁(おののたかむら)を祭神とし、852年に創建された神社です。また、相殿には、学問の神様である菅原道真公が祀られています。
    毎年5月の第3週末に斎行される「小野照崎神社大祭」は、1年に一度の入谷の町をあげての大きな祭り。3年に一度行われる本祭では本社神輿が渡御され、間の年は「陰」と呼ばれ氏子17町会の町会神輿が神社まで連合渡御されます。
    およそ200人の担ぎ手が神輿を囲み、前後を100人を超える列立てを組んで盛大に執り行われる本社神輿は、迫力満点。その威勢と熱気に圧倒されることでしょう。
    また、境内には、所狭しと露店が並び、定番の屋台めしから射的などのゲームまで楽しめ、見物客でにぎわいを見せます。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 浅草六区の西から「かっぱ橋道具街通り」を横切り、上野まで約1.2km続く「かっぱ橋本通り」を会場に、毎年七夕の日に近い週末をメインに地元商店街のお祭り「下町七夕まつり」が開催されます。
    浅草寺に詣でる御成道として西に真っすぐ整備されたと言われている通りは七夕飾りで彩られ、正面に見える東京スカイツリーとの競演を写真に収める人も。
    上野から浅草へ大人数が練り歩くパレードに始まり、流し踊りや路上パフォーマンス、商店街各所には地元商店による模擬店や、誰でも自由に短冊に願いごとを書いて飾ることができる笹竹も設置され、多くの人で賑わいます。
    夜は商店街の雰囲気が一変、ライトアップされた東京スカイツリーを背景に、ライトに照らされきらきら輝く七夕飾りの幻想的な光景が広がります。
    根岸・入谷・金杉エリア 浅草中央部エリア
  • 上野公園番地に鎮座し、江戸三大天神のひとつに数えられる五條天神社は、医薬祖神を祀る神社です。日本武尊(やまとたけるのみこと)がご加護を受けたことに感謝し、創建されたと伝えられています。また、相殿には、学問の神様である菅原道真公が祀られています。
    五條天神社大祭は、毎年5月25日に行われ、3年に一度の神幸祭では、千貫神輿といわれる大神輿と鳳輦(ほうれん)行列が町内を廻ります。大太鼓の前触れに続き、猿田彦、巫女、供奉員ら鳳輦行列が粛々と進み、その後に大神輿が続きます。担ぎ手や見物客からの威勢のいいかけ声と熱気や活気が辺りに広がります。上野公園から上野広小路一帯を大行列となって巡幸する光景は、圧巻です。神賑行事は毎年行われ、町神輿の巡行や里神楽奉納、巫女舞・奉納弓道大会・奉納太鼓が行われ、多くの観光客でにぎわいます。
    上野・御徒町エリア
  • 上野駅の東側、浅草通りに突如として現れる大きな赤い鳥居。それは、奈良時代に創建され、都内最古の稲荷神社といわれる下谷神社です。なんでも商売繁盛と家内安全の御利益がある神様だとか。
    こちらで5月に開催される下谷神社大祭は、下町で1番早い夏祭りとされており、1,000年以上の歴史を誇ります。本社神輿の渡御が行われる「本祭り」と町会神輿の渡御が行われる「陰祭り」が隔年おきに行われ、威勢のいい担ぎ手のかけ声と担ぎ手を鼓舞する見物客の手拍子が辺りに響き渡ります。本祭りでは、鳳凰が屋根に載った「千貫神輿(せんがんみこし)」と呼ばれる高さ3m超の大神輿が、担ぎ手の群衆のボルテージをさらに高め、会場は熱気と興奮に包まれます。
    また、下谷神社の周辺には、グルメや遊びを楽しめる露店が多く立ち並ぶため、小腹を満たしたり遊びながら祭りを満喫できるのも嬉しいポイントです。
    上野・御徒町エリア
  • 寛永寺を創建した天海僧正が、奈良県の吉野山から桜を移植させたことに始まる、東京を代表するお花見スポット「上野恩賜公園」では、例年3月下旬から4月上旬にかけて「うえの桜まつり」が開催されます。「日本さくら名所100選」にも選ばれ、カンザクラ、ソメイヨシノをはじめ、コマツオトメ、ウエノシラユキシダレなど上野恩賜公園発祥の桜も見ることができます。
    祭りの期間中には、花見スペースが設けられ、園内は花見客で賑わい、日没後には公園内の桜並木にボンボリが点灯されるほか、不忍池の沿道の桜もライトアップ。清水堂境内での舞や草花市、不忍池の畔では青空骨董市、竹の台広場(噴水広場)での桜フェスタでは、上野をはじめとして50店舗以上の物産展など、さまざまなイベントも催されます。
    上野・御徒町エリア
  • 夜の暗闇の中でかがり火をたいた幻想的な雰囲気につつまれ、浅草寺の本堂と五重塔を背景に屋外に設けられた能舞台で上演される「台東薪能」。

    そもそも薪能は、奈良時代に中国から伝わった曲芸や奇術などの芸能、散楽に由来し、そこに日本古来の神楽舞や、五穀豊穣を祈る田楽などが融合して生まれたといわれています。 平安時代に入り次第に短い劇のような形の猿楽となり、室町幕府の将軍、足利義満の保護を受けた観阿弥・世阿弥親子によって現在の芸術性が確立されました。江戸時代には幕府の公式の芸能となりましたが、明治維新以降いったん下火に。第二次世界大戦後、奈良の興福寺の薪御能が復興し、その後全国に広がりました。

    台東薪能では、木遣りで火が運ばれる“火入れ式”が他の薪能にはない特色で大きな見どころです。野外の静けさ、風にそよぐ葉、薪がパチパチと燃える音。かがり火で照らされた幽玄な雰囲気のなか演じられる薪能は、神秘的で非日常的な世界へ見る者たちを連れて行ってくれます。
    浅草中央部エリア
  • 婦人講法要は、待乳山聖天において山内整備のため執り行われていた伝統ある講中です。家内安全、無病息災を祈願する大般若法要が執行されます。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 浅草の除夜の鐘は、「花の雲鐘は上野か浅草か」と芭蕉の有名な句で知られている弁天山の鐘を、正零時に地元信徒「百八会」の会員108人が交代に打ち鳴らならします。昭和26年(1951)の大晦日から今日まで続いています。この鐘を合図に浅草界隈は新年を迎え、初詣りの人々が仲見世を埋めつくしていきます。
    浅草中央部エリア
  • 三社祭の第1日目金曜日に行われる大行列で、浅草神社到着後、五穀豊穣、商売繁盛、子孫繁栄などを祈って氏子の人々より「神事びんざさら舞」が拝殿で奉納されます。びんざさらとは「編木」「拍板」などと書き、竹、あるいは木の薄片数枚から百枚前後の上部を紐で束ねた楽器で民俗芸能の中でも田楽系統の踊りに用いられています。
    奥浅草エリア
  • さつきフェスティバルは、例年上野恩賜公園内の噴水広場と上野グリーンクラブで開催される初夏を彩る恒例行事です。優秀賞などに選ばれた皐月の銘花、銘木等約100点が展示され、大勢の愛好家でにぎわいます。会場では、さつきの販売も行われます。
    上野・御徒町エリア
  • 1732年に発生した大飢饉と疫病の流行で犠牲となった人々の慰霊と悪疫退散を祈り、徳川幕府8代将軍吉宗公が水神祭を催しました。「隅田川花火大会」は、翌年の川開きの日に催された水神祭で、両国橋周辺で花火が上げられたことに由来し、歴史の記録に残る花火大会として、日本最古と言われています。
    当時は「両国の川開き」の名称で開催され、1961年を最後に、周辺の交通事情の悪化等により中止となりました。その後、1978年に「隅田川花火大会」と名を改め隅田川で復活し、打ち上げ場所もさらに上流へと移動して2か所から打ち上げられるようになりました。現在では毎年100万人近くの人出があり、令和5年(第46回)大会では過去最多103万人の観客者数を記録しました。
    毎年7月最終土曜日に、桜橋から言問橋の間に設けられた第一会場、駒形橋から厩橋の間に設けられた第二会場で、合わせて約2万発の花火が打ち上げられ、第一会場では花火コンクールも開催されます。
    浅草中央部エリア
  • 蔵前橋通りに面し、約1400年の歴史を誇る鳥越神社で毎年6月に開催される「鳥越祭」。祭りの最終日には、早朝6:30から、都内最大級を誇る一千貫神輿(約4トン)が、それぞれの町会へ受け渡されながら一日かけて氏子町会を巡り、多くの観客でにぎわいます。
    狭い下町の路地裏にも入ることから担ぎ棒が短く担ぎ手1人当たりの負担も大きいため、渡御が難しい神輿としても知られ、その活気と迫力に圧倒されます。
    神輿の列の先頭には、猿田彦(天狗)や手古舞連、子供たちの持つ五色の旗が歩き、日没からは「鳥越の夜祭り」といわれ、神輿の弓張提灯と町会の高張提灯に灯りが入り、荘厳かつ幻想的な姿で21:00に宮入りし、祭りは最高潮に。
    神社周辺には、都内最大規模の約250軒の屋台がずらりと並び、グルメ系はもちろん、子どもたちが喜ぶ遊べる屋台が多く出ているのも特徴です。
    神社では、特別御朱印の限定頒布も行われています。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 屋形船舟下り、にぎわいパレード・にぎわい市・にぎわい広場、キッズクラフト他、毎年盛りだくさんの内容で開催されます。マロニエの花が美しく咲く浅草橋をお楽しみください。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 「上野東照宮 冬ぼたん」開苑中は、約40品種160株以上の冬ぼたんが展示されます。抑制栽培の技術を駆使して開花させる冬ぼたんや、着花率2割以下と咲かせるのが極めて困難な寒ぼたんが華やかに咲き誇ります。霜よけの“わらぼっち”(藁囲い)で覆われる姿は冬の風物詩。日本庭園で江戸風情を感じながら、お正月の縁起花をお楽しみいただけます。
    上野・御徒町エリア
  • 「上野東照宮 春のぼたん祭」は4月上旬~5月上旬に開催されます。現在は中国牡丹、アメリカ品種、フランス品種を含め500株以上のぼたんがあでやかに咲き誇ります。ぼたん以外にも4月中旬からは華鬘草(荷包牡丹)、5月上旬からは数多くの芍薬が見頃をむかえます。苑内のお休み処では冷し甘酒、お団子、お茶などが味わえ、参道では牡丹鉢も販売しています。東京都心にいながら江戸風情を今に残す回遊式牡丹庭苑をゆっくり鑑賞できます。
    上野・御徒町エリア
  • 小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)で6月30日に行われる伝統的な催しです。茅(チガヤ)を束ねてつくった大きな輪をくぐって身を祓い清めます。6月晦日の夏越の祓いにそれをくぐると、災厄からのがれることができ、福徳があるといわれています。その際、輪から抜き取った茅は厄よけになるといわれています。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 富士山の山開きに由来して、浅間神社の祭日にあわせて開かれる植木市を「お富士さんの植木市」といいます。浅草4、5丁目一帯の道路上に近県植木商の軒露天や植木がたちならび、近年のガーデニングブームもあいまって賑わっています。
    奥浅草エリア
  • 例年9月25日に執り行われる人形供養大法要のことです。子授け、安産などを「子育て観音さま」に祈願した人々が心願成就のお礼に「子供の身代わり」として奉納される人形の供養がはじまりといわれます。奉納された人形や家庭で飾って汚れたり、子供と遊んで壊れた人形を秋の彼岸の終わりに集めて読経のうえ荼毘に付します。
    上野・御徒町エリア
  • 火渡りの神事が開催される秋葉神社は、東京一円の火災鎮護の神社です。拝殿内では祭儀が行われ、その途中、四方に注連縄を巡らせ、木炭を敷き並べて清められた火渡り式場に点火され、拝殿内の祭儀が終ると祭員は火難守護のお札を受けて、裸足で赤々と燃える炭火の上を無病息災と防火を祈りながら渡ります。
    浅草中央部エリア
  • 薬祖神の二神、大巳貴命と少彦名命が祀られるとともに、相殿に学問の神様・菅原道真が祀られている五條天神社では、節分の日の夕方、病の鬼を祓う古式床しい追儺式で「蟇目式」「病鬼との問答」「豆まき」等の神事が執り行われます。当日は「追儺の御札・神矢」の他、無病健康の「うけら餅」や「鬼討ち豆・福杓文字」が受けられます。
    上野・御徒町エリア
  • 上野動物園パンダ公開を記念して、4月28日~5月10日に開催された「春のパンダまつり」です。平成23年(2011)4月1日、「リーリー」と「シンシン」が公開されてから19日目には来場者数は40万人を突破しました。パンダの公開は震災後の日本明るい話題となって、ファンもますます広がりをみせています。
    上野・御徒町エリア
  • 浅草観光連盟主催による恒例の秋の観光祭として、浅草寺を舞台に1ヶ月にわたり行われます。浅草寺境内では、関東一の菊花展や、菊茶屋、菊供養、金竜の舞、白鷺の舞が開催され、多くの観光客が訪れます。
    浅草中央部エリア
  • 子供の健康を祈って、男児5歳、女児3、7歳の時に、神様の御加護を頂けるように詣でをします。浅草神社の七五三詣のおみやげは、破魔矢や玩具、神餞のほかに、三社さま、お印の網模様の入った男児用お箸が頂けます。
    浅草中央部エリア
  • 松葉町(現:松が谷の一部)を氏子とする矢先稲荷神社の例大祭。
    本祭りは隔年開催ですが、御本社神輿は毎年担がれ、宮入道中では大勢の鳶頭による木遣が披露されます。
    浅草中央部エリア
  • うえの華燈路浮世絵行燈は、上野に新しい賑わいを創り出し、観光客などの誘致をさらに高めようと、区観光課が企画して平成19年から始まりました。歌川広重の「名所江戸百景」を用いた浮世絵行燈や高さ1mを超える大型行燈などが上野公園内の大噴水広場から袴腰広場にかけて設置され、夜には行燈が灯されて江戸風情を楽しむことができます。
    上野・御徒町エリア
  • 報恩寺(ほうおんじ)の爼開きは、天福元年(1233)頃から伝わる神仏混淆の儀式のことです。報恩寺を開いた親鸞の高弟性信の肖像前で行われ、巨大な俎の上に、2匹の鯉とその鯉を供養するための菊の花束がのせられ、烏帽子に直垂姿の包丁人が長さ40cmの鉄の箸と包丁で鯉には指一本触れずに鯉をさばきます。さばいた鯉は観衆にふるまわれます。
    上野・御徒町エリア
  • 華麗な御本社神輿の渡御は2年に1度行われます。
    数十年途絶えていた御本社神輿渡御を、平成になってから地元の方々が復活させました。氏子地域こそ大きくないものの、地域に愛されているお祭りです。
    浅草橋・蔵前エリア

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