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該当件数72件
  • 元旦の午前0時、弁天山で除夜の鐘が鳴り響き新年の幕開けが告げられると、浅草寺に詰めかけた参拝者の大きな歓声とともに初詣が始まります。本堂内陣のご宝前では「新年特別祈祷」が始まり、1月7日まで30分~1時間ごとに閉堂近くまで営まれます。
    華やかな正月飾りで彩られた仲見世通りも、初詣ならではの見どころのひとつ。江戸時代から続くおみくじで新年の運勢を占ったり、自分や大切な人のために御守や開運厄除札を授与いただいたり、新たな年の幸せを祈ってお参りをしてみてはいかがでしょうか。

    ※浅草寺の境内は24時間自由に入退門できますが、本堂やその他の建造物には開閉門時間があります。例年、多くの参詣者が見込まれる元旦~3日には境内の参拝順路が設けられ、入場規制が行われます。山門である雷門を入口として仲見世通りが一方通行となり、途中の路地からの参列はできなくなりますのでご注意ください。加えて、周辺の道路では交通規制が実施され、車両通行禁止となる区間がありますので、併せてこちらも注意が必要です。なお、公式サイトでは、境内のライブカメラ映像を公開しており、事前に混雑状況を確認することができます。
    浅草中央部エリア
  • 「上野東照宮 冬ぼたん」開苑中は、約40品種160株以上の冬ぼたんが展示されます。抑制栽培の技術を駆使して開花させる冬ぼたんや、着花率2割以下と咲かせるのが極めて困難な寒ぼたんが華やかに咲き誇ります。霜よけの“わらぼっち”(藁囲い)で覆われる姿は冬の風物詩。日本庭園で江戸風情を感じながら、お正月の縁起花をお楽しみいただけます。
    上野・御徒町エリア
  • 豆まきをして悪い鬼を払い、年齢よりひとつ多く豆を食べて無病息災を願う「節分」。この行事を江戸で大々的に行ったのは、浅草寺が最初でした。
    節分の一般的な掛け声といえば、「鬼は外、福は内」ですよね。しかし、浅草寺では「千秋万歳(せんしゅうばんぜい)福は内」!これは「観音様の前に鬼はいない」ことに由来します。

    節分会では、本堂や本堂東側の舞台で年男たちが豆まきを行います。福豆は授与所でも手に入りますが、年男たちが撒く福豆も大人気。手に入れようと、毎年多くの観光客が訪れる行事です。
    豆まきの後は、浅草寺三大寺舞のひとつ「福聚の舞(七福神の舞)」の奉演があり、境内では浅草寺幼稚園園児や芸能人による豆まきも行われるので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
    浅草中央部エリア
  • 鳥越神社の節分は厄難を祓い新春を迎える神事です。宮司や氏子総代らによる豆まきに続き、約350名の年男年女の人々が豆をまきます。福豆袋には恵比寿・大黒の二福神のお守り、祝い袋には開運招福の祈祷の済まされた福小判が入っています。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 鳥越神社のとんど焼きは、鳥越神社で七草あけの1月8日に行う、お正月にお迎えした神様(歳神様)を送る伝統的な行事です。取り払われた正月飾りを焼くお焚き上げの火や煙には、歳神様の力によって、1年間の様々な災厄を祓い清める力があるとの信仰があります。一年中無病息災をお祈りするという新春のめでたい行事です。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 五條天神社のうけらの神事は毎年2月節分の日に行われる古式床しい追儺式です。「節分祭」「蟇目式」「病鬼との問答」「豆まき」を行う神事です。神事の間中「白朮(うけら)」という薬草を焚き続け邪気を祓います。神事に登場する方相氏は病鬼を退ける異形のもので、弓矢で四方舞をして清めます。この日は「追儺の神札・神矢」の他、1年間を無病健康に過ごせると言われる「うけら餅」や「鬼討ち豆・追儺の絵馬」が受けられます。
    上野・御徒町エリア
  • 1732年に発生した大飢饉と疫病の流行で犠牲となった人々の慰霊と悪疫退散を祈り、徳川幕府8代将軍吉宗公が水神祭を催しました。「隅田川花火大会」は、翌年の川開きの日に催された水神祭で、両国橋周辺で花火が上げられたことに由来し、歴史の記録に残る花火大会として、日本最古と言われています。
    当時は「両国の川開き」の名称で開催され、1961年を最後に、周辺の交通事情の悪化等により中止となりました。その後、1978年に「隅田川花火大会」と名を改め隅田川で復活し、打ち上げ場所もさらに上流へと移動して2か所から打ち上げられるようになりました。現在では毎年100万人近くの人出があり、令和5年(第46回)大会では過去最多103万人の観客者数を記録しました。
    毎年7月最終土曜日に、桜橋から言問橋の間に設けられた第一会場、駒形橋から厩橋の間に設けられた第二会場で、合わせて約2万発の花火が打ち上げられ、第一会場では花火コンクールも開催されます。
    浅草中央部エリア
  • 「うそかえ」は菅原道真命に由来する神事で、旧年中についたうそを「鷽鳥(うそどり)」に託して罪を滅ぼし、新しい「鷽鳥」と受け替える神事です。「鷽」とは天神様と縁が深い鳥の名前です。上野の五條天神社では毎年1月25日(初天神)に鷽鳥を模した桧製の「神符」が授与されます。凶を祓い、吉を迎える行事で多くの方が参拝されます。
    ※神符は神社手製の為、授与数に限りがあります。
    上野・御徒町エリア
  • 子どもの無病息災を願い、毎年3月3日の雛祭りに近い日曜日に隅田川で開催される「江戸流しびな」。主催は江戸流し雛振興会。流しびなは、子どもの災いを紙や草木で作った人形(ひとがた)に託し、川や海に流すことで祓い清める行事です。平安時代中期に始まったと伝わり、日本各地で行われています。
    2年振りに開催される第40回(2025年2月23日)当日は、正面に東京スカイツリーを臨む隅田川河畔にて、幼稚園児をはじめ主催者が用意した特製の「流しびな」(水溶性)を購入(1,000円:税込)した一般参加者500人がそれぞれの願いを記した「流しびな」を流します。受付開始は11:00から。先着200名には特製雛あられをプレゼント。護岸が高いため、特設の滑り台を使って「流しびな」を水面に浮かべます。
    浅草中央部エリア
  • 江戸時代に徳川4代将軍の家綱公の命により、隅田川の両岸に桜が植えられたことが始まりと言われ、徳川8代将軍の吉宗公が100本の桜を植え足した記録が残る桜の名所。台東区側の隅田公園には、ソメイヨシノを始め、オオシマザクラ、サトザクラなど約500本の桜が咲き、3月下旬から4月上旬にかけて「隅田公園桜祭り」が開催されます。

    夜になるとライトアップした夜桜を眺めることができるほか、隅田川の桜と東京スカイツリーのコラボレーションが楽しめるともあって人気のお花見スポット。屋形船からも風情ある花見が楽しめます。
    浅草中央部エリア
  • 亡者送りは、江戸中期から始められた天下泰平・五穀豊穣を祈願する「温座秘法陀羅尼会」の開白から7日間168座修の結願の日に行われる最後の行事です。境内をめぐる二人の鬼が松明を地面に叩きつけた燃えかすを、火除け・厄除けの縁起物として持ち帰ることができます。
    浅草中央部エリア
  • 浅草寺の草創に関わった檜前兄弟と土師真中知(はじのなかとも)の3人を祀る浅草神社で行われる「三社祭」は、1312年に神輿を船に載せて隅田川を渡御した「船祭」を起源とする、日本を代表する祭礼の一つです。
    以前は、浅草寺のご本尊が示現された3月18日を中心とした祭でしたが、現在は毎年5月中旬の金・土・日曜日に実施され、本社神輿御霊入れの儀や、無形文化財「びんざさら舞」の奉納が行われます。

    この祭りの中でも、最終日に行われる、勇壮且つ華やかな神輿渡御や御本社神輿3基の「宮出し」は圧巻の迫力。東部・西部・南部方面の氏子各町へ向けて、御本社神輿が担ぎ出され、日没後に神社境内へ戻る「宮入り」を迎えて祭礼行事が終わります。観衆の熱気に浅草一帯は包まれ、三日間で延べ180万もの人出で賑わいます。
    江戸風情の残る下町浅草が1年でもっとも活気付くと言われ、台東区の初夏を代表する風物詩となっています。
    浅草中央部エリア
  • 谷中は昔ながらの下町の面影を残す、寺と坂の街です。メイン会場の防災広場「初音の森」では、地元小・中学校の楽器演奏やヒーローショー等をステージで実施するほか、町会等の模擬店等のテントを出店します。また、サブ会場の「谷中小学校」「旧吉田屋酒店」「谷中五重塔跡こども広場」でも、大道芸をはじめ、楽しいイベントを実施します。そのほか、谷中地区全体でのスタンプラリーも開催。例年、家族連れや子どもたちで賑わっています。「台東くん」「谷中に恋にゃん」「はっぴぃ」も遊びに来ます。
    谷中エリア
  • 薬祖神の二神、大巳貴命と少彦名命が祀られるとともに、相殿に学問の神様・菅原道真が祀られている五條天神社では、節分の日の夕方、病の鬼を祓う古式床しい追儺式で「蟇目式」「病鬼との問答」「豆まき」等の神事が執り行われます。当日は「追儺の御札・神矢」の他、無病健康の「うけら餅」や「鬼討ち豆・福杓文字」が受けられます。
    上野・御徒町エリア
  • 上野公園番地に鎮座し、江戸三大天神のひとつに数えられる五條天神社は、医薬祖神を祀る神社です。日本武尊(やまとたけるのみこと)がご加護を受けたことに感謝し、創建されたと伝えられています。また、相殿には、学問の神様である菅原道真公が祀られています。
    五條天神社大祭は、毎年5月25日に行われ、3年に一度の神幸祭では、千貫神輿といわれる大神輿と鳳輦(ほうれん)行列が町内を廻ります。大太鼓の前触れに続き、猿田彦、巫女、供奉員ら鳳輦行列が粛々と進み、その後に大神輿が続きます。担ぎ手や見物客からの威勢のいいかけ声と熱気や活気が辺りに広がります。上野公園から上野広小路一帯を大行列となって巡幸する光景は、圧巻です。神賑行事は毎年行われ、町神輿の巡行や里神楽奉納、巫女舞・奉納弓道大会・奉納太鼓が行われ、多くの観光客でにぎわいます。
    上野・御徒町エリア
  • 靴のめぐみ祭り市は、玉姫稲荷神社の氏子の靴メーカーが「靴まつり」として靴のめぐみを感謝し、行っている市です。30数社のメーカーにより市価の6割~8割引き価格で、約10万点以上の品が安価で販売されます。秋のこの市では春に行われた「こんこん靴市」でデザイン応募があった「シンデレラの靴御輿」が登場します。
    奥浅草エリア
  • 十三詣は、13才になった男女が虚空蔵菩薩さまにお参りして知恵を授かる行事で、浅草寺では昭和49年(1974)から復活して行われています。本堂内で浄水を頭にかけ、宝印を額にあててもらって、厄除けと成人への祈願の儀式とされています。
    浅草中央部エリア
  • 待乳山聖天の大般若講・大根まつりは、大根が、体内の毒素を中和して消化を助けるはたらきがあるところから、聖天様の「おはたらき」をあらわすものとして、正月三が日に奉納された大根を、風呂吹きに調理して御神酒と共に配布されます。
    奥浅草エリア
  • うえの華燈路浮世絵行燈は、上野に新しい賑わいを創り出し、観光客などの誘致をさらに高めようと、区観光課が企画して平成19年から始まりました。歌川広重の「名所江戸百景」を用いた浮世絵行燈や高さ1mを超える大型行燈などが上野公園内の大噴水広場から袴腰広場にかけて設置され、夜には行燈が灯されて江戸風情を楽しむことができます。
    上野・御徒町エリア
  • 戦後、海外からさまざまな音楽が日本に紹介されるなか、ジャズやロカビリー、マンボやルンバ、そして痛快なリズムと振り付けのない特徴でサンバも多くの人に親しまれました。1970年代後半、劇場や娯楽施設が立ち並ぶ日本一の劇場街として賑わっていた「浅草六区」もテレビの普及からかげりが見えはじめ、喜劇俳優の伴淳三郎氏からサンバを提案されたことが「浅草サンバカーニバル」の始まりと言われています。

    「常に浅草に新しい文化を」という“浅草っ子気質”から、1981年にスタートし、開催当初は本格的なサンバチームは少なく、仮装コンテスト的様相の強いイベントでしたが、年々、楽器を揃え、衣装を工夫し「サンバ」を追求するチームが増え、リオデジャネイロのカーニバルをお手本とする出場チームの努力などもあり、非常にレベルが高い、北半球最大級のサンバカーニバルに成長しました。
    一日限りの開催でありながら、近年では約50万人の人出があり、馬道通り~雷門通りを会場に、参加するサンバチームは規模などに応じてグループ分けがなされ、表現力や衣装、演奏、ダンスなどの観点から採点方式で優勝を競い合うコンテストとなっています。
    浅草中央部エリア
  • 報恩寺(ほうおんじ)の爼開きは、天福元年(1233)頃から伝わる神仏混淆の儀式のことです。報恩寺を開いた親鸞の高弟性信の肖像前で行われ、巨大な俎の上に、2匹の鯉とその鯉を供養するための菊の花束がのせられ、烏帽子に直垂姿の包丁人が長さ40cmの鉄の箸と包丁で鯉には指一本触れずに鯉をさばきます。さばいた鯉は観衆にふるまわれます。
    上野・御徒町エリア
  • 鳥越神社の茅の輪くぐりは、鳥越神社で行われる催しで、平安朝時代から伝わる日本の伝統行事です。人形の形の半紙に名前と歳を書いて、知らず知らずについた罪汚れをその形代に託し、神社へ納めます。その後、神社の参道のガマの穂でできた境内にかかる茅の輪をくぐると、災厄からのがれることができ、福徳があるといわれています。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 大円寺で行われる谷中菊まつりは、江戸時代から明治にかけて続いていた団子坂の菊人形を、昭和59(1984)年に「菊まつり」として復活させたものです。菊人形展示、産地直送菊小鉢の販売、菊いなり、菊なます、菊酒など菊づくし販売、縁日屋台、菊ゆうパック発送などが行なわれるお祭りです。
    谷中エリア
  • 夜の暗闇の中でかがり火をたいた幻想的な雰囲気につつまれ、浅草寺の本堂と五重塔を背景に屋外に設けられた能舞台で上演される「台東薪能」。

    そもそも薪能は、奈良時代に中国から伝わった曲芸や奇術などの芸能、散楽に由来し、そこに日本古来の神楽舞や、五穀豊穣を祈る田楽などが融合して生まれたといわれています。 平安時代に入り次第に短い劇のような形の猿楽となり、室町幕府の将軍、足利義満の保護を受けた観阿弥・世阿弥親子によって現在の芸術性が確立されました。江戸時代には幕府の公式の芸能となりましたが、明治維新以降いったん下火に。第二次世界大戦後、奈良の興福寺の薪御能が復興し、その後全国に広がりました。

    台東薪能では、木遣りで火が運ばれる“火入れ式”が他の薪能にはない特色で大きな見どころです。野外の静けさ、風にそよぐ葉、薪がパチパチと燃える音。かがり火で照らされた幽玄な雰囲気のなか演じられる薪能は、神秘的で非日常的な世界へ見る者たちを連れて行ってくれます。
    浅草中央部エリア
  • 酉の市は、毎年11月の酉の日に、鷲(おおとり)神社と長國寺で開かれる、開運招福・商売繁昌を願う祭りで、江戸時代から続く代表的な年中行事です。
    午前0時の一番太鼓と共にはじまります。長国寺では、鷲妙見大菩薩(鷲大明神・おとりさま)を安置する厨子の扉が開かれ、住職が宝剣を振り本堂内を浄め、白装束の僧侶たち(祈祷師)が参詣者全員の開運招福と無病息災を祈祷、熊手商の「イョ!お手を拝借」の音頭で、参詣者全員で開運手締め、酉の市が始まります。

    境内は熊手、八ツ頭芋、お多福の面などの縁起物を扱う店舗や露店が立ち並びます。運を開いて福を呼び込む熊手御守は、「かっこめ」「はっこめ」とよばれる神様の御分霊で、開運・商売繁昌のお守りとして主に商売をする人たちが買い求めていましたが、最近では、恋愛成就や家内安全、健康などの願いが叶う熊手もあり、若い人たちも楽しめる市として、さらに賑わいを見せています。
    奥浅草エリア
  • 浅草寺本堂裏広場にある九代目市川團十郎像(暫像)。歌舞伎の演目で歌舞伎十八番のひとつ「暫(しばらく)」で、正義の味方・鎌倉権五郎(かまくらごんごろう)を演じたのが市川團十郎です。「暫」のヒーロー鎌倉権五郎は、前髪姿の豪快な力強い子ども。その鎌倉源五郎のように丈夫で健康な子どもに育ってもらいたいという親の願いを込めて「泣き相撲」は行われます。まわし姿の組ませ役に抱かれた赤ちゃんが、土俵の上で泣き声を競い、先に泣いた方が勝ち。
    行司の「見合って、見合って」の声で、双方の組ませ役が赤ちゃんを見合わせ、「はっけよい、のこった」で、呼出し・組ませ役は、にらんだり、赤ちゃんを高く持ち上げたり、鬼の面をつけたり、あの手この手でなんとか泣かせようとします。組ませ役のしぐさに泣き出す子、逆に笑う子、寝たままの子とさまざまで、組ませ役の奮戦に心が和みます。
    応募方法等、詳しくは浅草観光連盟公式サイトでご確認ください。
    浅草中央部エリア
  • 1945年の東京大空襲で焼失した浅草寺本堂の再建を記念して創られた寺舞。浅草寺の山号「金龍山」にちなんだ金龍の舞は、毎年春と秋の2回奉演されます。
    長さ約18mもの金龍が仲見世や境内を練り歩く様子は迫力満点!賑やかなお囃子とともに、勇ましく、力強く、まるで生きているかのように華やかな舞が繰り広げられます。行列の先頭を歩くのは、観音様を象徴する「蓮華珠(れんげしゅ)」。蓮華珠を守護する88kgの金龍を、8人で自在に操る巧みな技術も見どころのひとつです。
    浅草中央部エリア
  • 江戸時代より、毎年歳末に行われる浅草寺「歳の市」での正月用品や縁起物の販売に始まり、江戸末期頃には「羽子板市」として歳末の風物詩に定着し、江戸情緒ある歌舞伎の絵柄に加えて、昭和25年頃には話題の社会風刺、時事や人気タレントなどを題材にした変わり種羽子板など多彩な作品が販売されます。
    浅草中央部エリア
  • 蔵前橋通りに面し、約1400年の歴史を誇る鳥越神社で毎年6月に開催される「鳥越祭」。祭りの最終日には、早朝6:30から、都内最大級を誇る一千貫神輿(約4トン)が、それぞれの町会へ受け渡されながら一日かけて氏子町会を巡り、多くの観客でにぎわいます。
    狭い下町の路地裏にも入ることから担ぎ棒が短く担ぎ手1人当たりの負担も大きいため、渡御が難しい神輿としても知られ、その活気と迫力に圧倒されます。
    神輿の列の先頭には、猿田彦(天狗)や手古舞連、子供たちの持つ五色の旗が歩き、日没からは「鳥越の夜祭り」といわれ、神輿の弓張提灯と町会の高張提灯に灯りが入り、荘厳かつ幻想的な姿で21:00に宮入りし、祭りは最高潮に。
    神社周辺には、都内最大規模の約250軒の屋台がずらりと並び、グルメ系はもちろん、子どもたちが喜ぶ遊べる屋台が多く出ているのも特徴です。
    神社では、特別御朱印の限定頒布も行われています。
    浅草橋・蔵前エリア
  • 春うららかな桜満開の隅田公園にて、毎年花まつりが開催されます。会場では地元の子どもたちやサークル、豪華ゲストによるステージ、町会等による販売、お楽しみ抽選会等が行われます。
    浅草中央部エリア
  • 浅草の除夜の鐘は、「花の雲鐘は上野か浅草か」と芭蕉の有名な句で知られている弁天山の鐘を、正零時に地元信徒「百八会」の会員108人が交代に打ち鳴らならします。昭和26年(1951)の大晦日から今日まで続いています。この鐘を合図に浅草界隈は新年を迎え、初詣りの人々が仲見世を埋めつくしていきます。
    浅草中央部エリア
  • 入谷に鎮座する小野照崎神社は、平安時代の歌人で百人一首にも登場する小野篁(おののたかむら)を祭神とし、852年に創建された神社です。また、相殿には、学問の神様である菅原道真公が祀られています。
    毎年5月の第3週末に斎行される「小野照崎神社大祭」は、1年に一度の入谷の町をあげての大きな祭り。3年に一度行われる本祭では本社神輿が渡御され、間の年は「陰」と呼ばれ氏子17町会の町会神輿が神社まで連合渡御されます。
    およそ200人の担ぎ手が神輿を囲み、前後を100人を超える列立てを組んで盛大に執り行われる本社神輿は、迫力満点。その威勢と熱気に圧倒されることでしょう。
    また、境内には、所狭しと露店が並び、定番の屋台めしから射的などのゲームまで楽しめ、見物客でにぎわいを見せます。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 台東区の春を彩る伝統行事「浅草流鏑馬」は、江戸時代に浅草神社の正月行事として、毎年1月5日に開催されていたものを1983年に観光行事として復活、現在は小笠原流弓馬術礼法宗家の協力により古式に則ったやり方で執り行われています。
    「浅草流鏑馬」では、隅田公園の隅田リバーウォークから言問橋間に特別馬場が作られ、鎌倉武士の狩装束を身にまとった射手が疾走する馬上から、壱ノ的、弐ノ的、参ノ的を次々と弓矢で射抜きます。
    山谷堀広場では、浅草流鏑馬に先立ち「草鹿」も開催され、烏帽子(えぼし)に直垂(ひたたれ)の古式装束を着けた射手が、高さ約110cmの鹿の形をした的を約20mの距離から弓で弾き、大勢の見物客が見守る中、その腕前と所作の美しさを競い合います。
    浅草中央部エリア
  • 明治100年記念(東京100年)行事として、1968年に始まった「白鷺の舞」。京都の八坂神社を起源とする神事で、現在は京都の鷺舞を基本に「浅草寺縁起」に描かれたものを浅草観光連盟が復元し、春・初夏・秋に演じられています。
    白鷺を模した美しい白い羽やクチバシがついた踊り子の衣装はとても華やか。踊り子とともに、武人や棒ふり、餌まきと呼ばれる人などが、「白鷺の唱」を演奏しながら境内を練り歩く様子は見ごたえあり!ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
    浅草中央部エリア
  • 毎年7月9日・10日に行われる「ほおずき市」は、浅草寺の風物詩。約100軒もの露店が立ち並び、夜遅くまで賑わう様子はまさに江戸情緒を感じる景色です。境内は鮮やかなほおずきで彩られ、チリンチリンと鳴る風鈴が涼を添えます。
    浅草寺では、「参拝すると数百~数千日分の功徳が得られる」とされる功徳日が月に1度設けられていますが、特に7月10日は46,000日分の功徳がある特別な日。「四万六千日」と呼ばれる7月10日とその前日が、参拝者で賑わう縁日として定着したそうです。
    ほおずき市でしか手に入らない祈祷札「黄札」や「雷除札」もお見逃しなく!
    浅草中央部エリア
  • 関東大震災や東京大空襲などで隅田川で亡くなった多くの方々の霊を弔うために始まった「隅田川とうろう流し」。一時期は中止されていましたが、隅田川沿岸の親水テラスなどが整備されたのにあわせて復活。現在では、台東区と墨田区の両岸で開催され、年齢・国籍を問わず多くの参加者が集います。最近は、追悼だけではなく、七夕のように願い事を書いて成就を祈るという新たな側面も。
    言問橋と吾妻橋の間の川面をゆらゆら流れ、隅田川を彩る幻想的なろうそくの光。その風景は、日本の夏の風情そのもの。とうろうは当日購入も可能ですが、数に限りがあり大変な混雑になりますので、事前購入がおすすめです。自宅でじっくりとうろうを組み立ててから当日持参するのがスマートかもしれません。
    また、隅⽥川とうろう流しの開催に合わせて、屋形船やクルーズ船が運航されます。隅田川に浮かぶ船の上から特設スロープを使って、とうろうを流してみませんか。
    浅草中央部エリア
  • 小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)で6月30日に行われる伝統的な催しです。茅(チガヤ)を束ねてつくった大きな輪をくぐって身を祓い清めます。6月晦日の夏越の祓いにそれをくぐると、災厄からのがれることができ、福徳があるといわれています。その際、輪から抜き取った茅は厄よけになるといわれています。
    根岸・入谷・金杉エリア
  • 火渡りの神事が開催される秋葉神社は、東京一円の火災鎮護の神社です。拝殿内では祭儀が行われ、その途中、四方に注連縄を巡らせ、木炭を敷き並べて清められた火渡り式場に点火され、拝殿内の祭儀が終ると祭員は火難守護のお札を受けて、裸足で赤々と燃える炭火の上を無病息災と防火を祈りながら渡ります。
    浅草中央部エリア
  • 上野駅の東側、浅草通りに突如として現れる大きな赤い鳥居。それは、奈良時代に創建され、都内最古の稲荷神社といわれる下谷神社です。なんでも商売繁盛と家内安全の御利益がある神様だとか。
    こちらで5月に開催される下谷神社大祭は、下町で1番早い夏祭りとされており、1,000年以上の歴史を誇ります。本社神輿の渡御が行われる「本祭り」と町会神輿の渡御が行われる「陰祭り」が隔年おきに行われ、威勢のいい担ぎ手のかけ声と担ぎ手を鼓舞する見物客の手拍子が辺りに響き渡ります。本祭りでは、鳳凰が屋根に載った「千貫神輿(せんがんみこし)」と呼ばれる高さ3m超の大神輿が、担ぎ手の群衆のボルテージをさらに高め、会場は熱気と興奮に包まれます。
    また、下谷神社の周辺には、グルメや遊びを楽しめる露店が多く立ち並ぶため、小腹を満たしたり遊びながら祭りを満喫できるのも嬉しいポイントです。
    上野・御徒町エリア
  • 今年は7月中旬から、上野・不忍池周辺で4週間にわたり開催される「うえの夏まつり」。水上音楽堂では、コンサートやお笑い、プロレスなど日替わりで魅力的なステージパフォーマンスが催されます。その他にも、屋台が並ぶ縁日や猿回し、納涼ゆかた撮影会などその日によって様々なイベントで盛り上がります。骨董市では、掘り出し物をみつけようと多くの人々でにぎわいます。
    上野の夏の風物詩でもある不忍池の蓮がちょうど見頃を迎えますので、こちらのチェックも忘れずに。蓮が開花する午前中から出掛けて、日中のイベントを楽しみ、夜までやっている縁日まで過ごせば1日たっぷり満喫できます。

    ※各イベント内容や日程等は公式サイトでご確認の上、お出掛けください。
    上野・御徒町エリア

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