高橋至時の墓たかはしよしときのはか
高橋至時は江戸時代中期の暦学者で、寛政7年(1795)に改暦の議が幕府で起こると、同門の間重富とともに天文方に抜擢され、「寛政歴」を作りました。伊能忠敬が実測地図を作成する際には、測量を指導し完成させました。二人は「日本地図の父母」といわれています。文化元年(1804)肺患のため没しました。お墓は源空寺(げんくうじ)にあります。
基本情報
住所 | 東京都台東区東上野6-18-12 |
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アクセス(鉄道) | 銀座線 稲荷町駅→徒歩6分 |
アクセス(バス) | 東西めぐりんバス 北上野二丁目→徒歩2分 |
備考 | 【たいとう名所図会 掲載】 【国指定史跡】 |
※施設情報が変更される場合があります。最新情報は各公式サイト等をご確認ください。
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