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おでかけや観光におすすめの魅力的なスポットをご紹介します。
東京の下町「入谷」に鎮座する小野照崎神社。祀られている小野篁公(おののたかむらこう)は、百人一首にも撰された平安初期有数の歌人であり、漢詩は「日本の白楽天」と呼ばれました。その文才は天下無双、「その才は神に至る」と評される程の絵の大廈でもあり、法律に明るい当代きっての学者で、参議という国の要職も務め、その才能の豊かさで知られています。仕事運、芸術・芸能上達、学問などのご利益を求めて多くの人が訪れます。852年(仁寿2年)、篁公が東下の際に住んだ上野照崎の地に創建され、寛永寺の建立とともに現在の地に遷されました。江戸後期には、 学問の神様である菅原道真公(すがわら みちざね)も回向院より遷され、境内にある末社を含めると、15柱が祀られています。また、俳優の渥美清が願をかけた神社として知られ、仕事が増えるよう、ご利益を求めて芸人が訪れます。ちなみに、映画『男はつらいよ』シリーズで渥美清が演じた寅さんが首にかけているお守りは、小野照崎神社のものです。
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天明2年(1782)に本物の溶岩を運んで築かれた、都内でも珍しい富士塚「下谷坂本富士」。富士山に誰もが行けるわけではなかった時代、その姿を伝えるべく作られた、直径約15m、高さ約6mのミニチュアの富士山が小野照崎神社の境内にあります。一合目から順に十合目まで記されており、南無妙法と書かれた石碑や修験道の開祖である役小角の像も残る等、神仏習合の名残が見て取れます。先人の山守りの知恵によって今も当時の荘厳な姿を残していて、国の重要有形民俗文化財に指定されています。富士山に合わせて、お山開きが行われ、6月30日と1日には富士塚に登ることができます。【Twitter】https://twitter.com/onoterupr
不忍弁天堂は、比叡山延暦寺にならって寛永寺を創建した天海僧正が建立しました。現在のお堂は昭和33年(1958)に再建したもので、不忍池の四方からお参りできるよう八角形のお堂となっています。ご本尊(八臂大弁財天)は、長寿や芸能の守りとして信仰されています。
吾妻橋は、昭和6年(1931)に完成した長さ150mの真っ赤な上路式アーチ橋で、雷門通りを通しています。橋の名称は、江戸の東に位置することから「東(あずま)橋」や日本武尊命の伝説に由来するとされています。浅草寺に最も近い橋で歩車道境界柵には雷門マークがデザインされています。
おかず横丁は鳥越本通りにある鳥越本通商盛会の通称で、延長230m、ほとんどが日用食料品を取り扱う店からなる商店街です。戦後まで東西に分かれていましたが、昭和24年(1949)、一本化して現在の商盛会となりました。
隅田公園は、吾妻橋・桜橋間に設けられた散策公園で、700本を超える桜が植栽整備され、開花する時期には築山(言問橋上流側)でライトアップされます。また川畔の親水テラスには、水生植物観察園が設けられ、かつて自生していたヒメガマナなどの植物を視ることができます。
不忍池は、上野恩賜公園の中に位置する天然池です。室町時代頃、現在の形になったといわれています。マガモ・オナガガモなどたくさんの鴨や渡り鳥が訪れ、大都会の中でバードウォッチングが楽しめる場所となっています。春は桜、夏は蓮の花が咲き、たくさんの行楽客で賑わいをみせます。
背面地蔵は正保4年(1647)の創立で一丈三尺余りです。 その昔奥州街道の傍、 道路仏として西向きに立てられましたが、 後に明和元年 (1764) 道筋が寺の東側に改り、 地蔵尊を前向きに建て直したところ、 不思議な事に一夜のうちに元の向きになったと人々に伝えられて、 この尊称が起こったといわれています。薬王寺(やくおうじ)にあります。
合羽橋道具街は、明治末期から古道具を取扱う店が集まり、戦後、料理飲食店器具や菓子道具商店街へと発展しました。一流ホテルから主婦に至る様々な人々の要望を満たし、楽しく買い物ができ、平成15年(2003)に道具街の生誕90周年を記念して、シンボル像「かっぱ河太郎」が建立されました。
JR上野駅から御徒町駅にいたる線路脇に伸びる商店街の通称で、正式名称は「アメ横商店街連合会」といいます。昭和57年(1982)アメ横センタービルが完成し、ほぼ現在の形となりました。食料品や靴、ブランド品まで売られ約400店以上が軒を連ねます。年末には約50万人の来客があり正月の買出し風景は風物詩となっています。