本文へスキップします。
おでかけや観光におすすめの魅力的なスポットをご紹介します。
不忍池の蓮は、江戸時代より浮世絵に描かれたほどの名所です。戦時中は池を埋め立てて水田となりましたが、戦後、復旧作業が始まり昭和30年代頃に池として復活しました。毎年7月中旬頃から開花が始まり、夏の風物詩として親しまれています。花が咲く午前中には見物客が数多く訪れてカメラに蓮の花を収める姿も多く見られます。
詳しく見る
4月8日はお釈迦さまのご生誕を祝う「仏生会」の日です。現在では「花まつり」の名で親しまれている春の行事です。毎年、浅草寺では本堂に「仏誕図」を掛けて法要が行われ、本堂前の参道では浅草寺幼稚園園児らの行列が白象をひいて誕生仏に参拝し、甘茶の無料接待などが行われて賑やかにお釈迦さまの誕生を祝う一日となります。
春日通りから清洲橋通りに至る全長330mの全蓋式アーケードの商店街で日本で二番目に古い商店街といわれています。明治の初年に秋田藩の屋敷跡に見せ物小屋、寄席、飲食の屋台等が並び、盛り場として賑わい、下町情緒豊かな商店街として発展を続けてきました。現在も色々なイベントを行い、住民から親しまれている魅力的な商店街です。
花川戸助六の歌碑は、明治12年(1879)に九世市川団十郎が中心となり、花川戸公園内の仰願寺に建立されました。関東大震災で崩壊し、後に現在地に再造立されました。碑面には「助六にゆかりの雲の紫を 弥陀の利剣で鬼は外なり」とあります。歌舞伎十八番の一つ「助六」は、代々の団十郎が伝えていますが、助六の実像は不明です。
浅草木馬館は、昭和52年(1977)に開館した大衆劇場で、全国人気劇団が月替わりで公演し、「涙あり笑いあり」の芝居や舞踊ショーが演じらています。お目当ての役者が登場すると客席からおひねりが飛び交います。
浅草演芸ホールは、昭和39年(1964)に、寄席がない浅草で落語定席の演芸ホールとして「浅草フランス座」に増築されました。三遊亭円生や林家三平などが高座を務め、多くの落語家からも愛される寄席となり、昭和60年にはテレビ放送で「お笑い名人会」が生中継されました。
【令和4年度の開催は令和5年度に延期となりました】草鹿は、隅田公園で行われる浅草流鏑馬に先立って、隅田公園築山で古来射術の練習として行われた、シカの形をした布製の的を射る行事です。浅草流鏑馬は、江戸時代には、浅草神社の正月神事として毎年1月5日の神前において開催されていましたが、現在は台東区主催の祭事として開催されています。
バンダイ本社は、昭和25年(1950)に玩具販売の会社として設立され、おもちゃ、ぬいぐるみや菓子・食品や衣料品、カード商品などキャラクター商品を、夢と共に販売しています。小・中学生を対象とした会社見学を実施し、企画から販売までの「モノづくり」などについて学習ができます。
寛永寺は天台宗関東総本山で、寛永2年(1625)天海僧正により創建されました。徳川歴代将軍の祈祷寺と菩提寺を兼ね、全盛期は上野公園のほとんどが寺域で、30余の堂塔伽藍と36の子院を誇っていました。現本堂は、明治12年(1879)天界僧正ゆかりの埼玉県川越喜多院から本地堂を移築したものです。本尊は薬師如来です。
待乳山聖天(本竜院)は、衆生の迷いを救い、願いを叶えてくれる霊験あらたかな大聖歓喜天様を供養する浴油祈祷が毎朝修されています。境内各所に印されている「大根と巾着」は、良縁成就や商売繁盛等の功徳を表しています。住職のお話が転載されている新聞「いちょう」が毎月発行されています。