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おでかけや観光におすすめの魅力的なスポットをご紹介します。
滋養のため、食材として、人々の胃袋におさめられたスッポンに感謝するために建立された塔です。上野恩賜公園内の不忍池の弁天島にあります。塔自体はスッポンの形をしていませんが輪郭が彫ってあります。
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根岸御行の松は、江戸名所図会や広重の錦絵にも描かれています。江戸名松の一つに数えられ、根岸4丁目の西蔵院不動堂の境内にあります。この松は、樋口一葉の作品「琴の音」や子規の俳句の題材にもなりました。初代の松は樹齢350年を経た後枯れてしまい、現在は平成30年に植えられた4代目の松になります。
明治27年(1894)に子規はこの地に移り、故郷松山より母と妹を呼び寄せ、子規庵を病室兼書斎と句会歌会の場として多くの友人・門弟に支えられながら俳句や短歌の革新に邁進しました。空襲により子規庵は焼失しましたが、現在の庵は昭和25年(1950)に再建され、昭和27年(1952)東京都文化史蹟に指定されています。
築地塀は、観音寺(かんのんじ)境内の南面を画する延長37.6mのいわゆる練り塀で江戸時代に築造された土塀です。土と瓦を交互に積み重ねて作った土塀に屋根瓦をふいた珍しいものです。人通りが絶えると、まるで江戸時代にタイムスリップしたような気分になります。平成4年(1992)に「台東区まちかど賞」を受賞しました。
日暮里の地は、江戸時代中頃より「日ぐらしの里」と呼ばれて、四季折々の花樹を楽しむ江戸の人々の行楽地として賑わいました。青雲寺は修性院と共に「花見寺」と呼ばれ、豊かな自然に囲まれて草花を数多く植えた美しい庭園があったといわれています。また、滝沢馬琴(たきざわばきん)筆塚の碑があります。
浅草寺は日本有数の初詣者数であり、正月三が日で200万人を超え、全国の社寺でも常に上位10位以内に入っています。元旦は午前0時に弁天山にある鐘楼で「除夜の鐘」の第一打を合図に、本堂内陣のご宝前では「新年特別祈祷」が始まり、初詣の参拝者が表参道である仲見世を通り、境内を華やかに埋め尽くします。
上野五條天神社のうそかえは菅原道真に由来する厄払いの行事で、旧年中についたうそを「鷽鳥」に託して罪を滅ぼし、新しい「鷽鳥」と受け替える神事です。毎年1月25日(正月3が日にも授与)に行われます。「鷽うそ」とは天神様と関わりが深い鳥の名前です。初天神の日に凶を祓い、吉を迎える行事で旧年の鷽を神前に納めて罪を滅ぼし新しい鷽と受け変えます。
花川戸は日本有数の履物問屋街です。靴問屋発祥の碑がある花川戸公園をメイン会場に年に一度開かれる市です。近隣の靴・履物問屋が地場産業の活性化を目的として行っています。靴・履物や財布・小物・バッグなど数十万点の商品が安く販売され、大勢の人で賑わう市となっています。
浅草の除夜の鐘は、「花の雲鐘は上野か浅草か」と芭蕉の有名な句で知られている弁天山の鐘を、正零時に地元信徒「百八会」の会員108人が交代に打ち鳴らならします。昭和26年(1951)の大晦日から今日まで続いています。この鐘を合図に浅草界隈は新年を迎え、初詣りの人々が仲見世を埋めつくしていきます。
厳有院(家綱)勅額門は、寛永寺にあります。家綱の霊廟の一部は維新後に解体されたり、第二次世界大戦で焼失しましたが、被災を免れたものです。勅額門とは天皇直筆の額を賜った門のことで、昭和32年(1957)の改修時に発見された墨書銘によって、もと家光の上野霊廟の勅額門であったものを転用したものと考えられています。