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おでかけや観光におすすめの魅力的なスポットをご紹介します。
旧東京音楽奏楽堂前の銅像です。作者は滝廉太郎と同郷の彫刻家朝倉文夫の手によるものです。滝は明治27年(1894)に東京音楽学校に入学、のちに研究科に進んで、ピアノ授業の嘱託となり音楽家として世に出ました。「荒城の月」などを作曲し、23歳の若さで夭折しました。郷里の大分県の岡城趾にも同じ像が置かれています。
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「セイコきもの文化財団」が、着物文化の普及向上を目的に平成2年(1990)に開設した美術館です。着物に関する資料の収集・調査研究を行い、江戸時代から明治・大正時代の着物や歌舞伎の舞台衣装など企画展示を行っていました。平成18年(2006)に休館となりましたが、着物に関する調査研究等は引き続き本財団で行っています。平成18年(2006)に休館
寛永寺は、江戸時代には徳川家の菩提寺であると同時に桜の名所としても有名でした。現在の寛永寺の境内にもその名残を残した桜をはじめイチョウやモミジなどがあり、秋になって色づいてきた風景は見事です。特に、イチョウは大樹もあり、境内が黄色く染まる季節の素晴らしさは、一見の価値があります。
日本スポーツ文化賞栄誉広場は、平成8年(1996)に上野恩賜公園内に設置されました。日本スポーツ文化賞栄誉広場には、国民栄誉賞受賞者の手形が展示されています。
琵琶湖の北東に位置する滋賀県長浜市は、古くから観音信仰が篤く、人々の手によって守り継がれてきた観音様が、今も数多く点在する“観音の里”です。また上野のシンボルである「不忍池」は、江戸時代、寛永寺の開祖・天海が琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえた弁天島を築かせたという歴史を持っています。長浜とのゆかりが深く、親和性の高い上野の地に立つ『びわ湖長浜KANNON HOUSE』。千年の時を超えて受け継がれてきた本物の「ホトケ」さまにお出ましいただき、慈悲の心を受ける安らぎの空間を提供します。
平成15年(2003)に、集団就職で上京した中小企業経営者ら有志団体によって上野駅広小路口前のガード下に建立された歌碑です。「あゝ上野駅(ああうえのえき)」は、1964年に発表された高度成長期の世相を描いた代表的ヒット曲で、いわゆる団塊の世代を中心に「心の応援歌」として多くの人々に勇気と感動を与えました。
報恩寺(ほうおんじ)の爼開きは、天福元年(1233)頃から伝わる神仏混淆の儀式のことです。報恩寺を開いた親鸞の高弟性信の肖像前で行われ、巨大な俎の上に、2匹の鯉とその鯉を供養するための菊の花束がのせられ、烏帽子に直垂姿の包丁人が長さ40cmの鉄の箸と包丁で鯉には指一本触れずに鯉をさばきます。さばいた鯉は観衆にふるまわれます。
寛永寺の除夜の鐘は、根本中堂の前にある鐘楼と時鐘堂の2ヶ所で鐘が撞かれます。12/31の23:30頃から、まず根本中堂で、除夜の鐘法要が行なわれ、その後鐘楼で1/1日0:00~大僧正が最初に、続いて住職、と次々に鐘を撞いていく仕組みになっています。寛永寺に事前申し込みが必要です。
ゴルフ商品街は、御徒町駅を出てすぐのアメ横通りと駅前通りにあるゴルフショップ商店街です。アメ横通りは、CMで有名な「二木ゴルフ」や「ことぶきゴルフ」「ロイヤルゴルフ」、駅前通りは「フタバゴルフ」、といったゴルフショップが建ち並びます。品揃えも豊富で、ゴルフ好きの男性客で賑わっています。
昭和8年(1933)に京成本線開通にあわせ、開業した駅です。ホームが短く4両編成の電車しか停車できないことによる乗降客の減少や、建物の老朽化のため、平成9年(1997)に営業休止となりました。駅事務室、ホームは地下にあり、ホームは電車の通過中に見ることができ、外観では入口にあたる建物を見ることができます。